日記:田無駅

読み方は、"たなし"
決して、"たな"じゃない。
僕の日常に近づく。

君の住む街だったと思う。
そんな情報を手に入れたも覚えのないくらい昔に交わした会話。「ここから田無駅」を調べては「自転車で行ける距離だ。」と息巻いては向かおうとした。でも、僕との距離はそれが1番で精一杯だった。そのまま、何度も検索しては確認した駅への行き方も使わないまま。関係が終わった。

振られたのが4月の話。
アルバイトを3月から始めた。
田無駅とは路線も違くてなんにも関係ないものだったはず。でも、店長から「田無駅の店舗の人がいないから、今度ヘルプで行ける?」と聞かれた。系列店があるみたいだ。
結局僕が田無に初めて来たのはそのヘルプのアルバイトが初めてだった。厨房から顔を上げれば人通りの多い道が見える。仕事に集中も出来ないで、人混みの中にいるかもしれない君を探すことに集中して、会ったら何を話すかばかり考えていた。
こうして、田無はアルバイトの街になった。
忘れることができるまで、そこでアルバイトをした時は君を探しながら日銭を稼いで生きていた。

なんで、こうも田無を話をしているのかと言うと、今田無駅にいるから。自転車修理のために家から1番近い大手の自転車屋さんへ行くのだが、歩いて1時間くらいかかる田無駅の近く。普段ならそのまま帰るところだが、西武新宿線で夕方からバイト。だから、そのまま田無駅で電車に乗った。今は、バイトが始まるちょうど前の時間。そうやって家から遠いはずの、交通の便が悪いはずの田無駅が関係のなかったはずの関わりたくもない街が今の、僕の日常になろうとしてる。
何より一番の影響は大学生活。大学帰りは田無駅まで歩いて話しながら帰る。話が乗ればそのままご飯を食べることも。先週の水曜日はハブられた女の子の相談を田無のマックで話した。そして、金曜日は別れそうなカップルの相談を田無のお好み焼き屋さんで話した。
いつの間にかあの子に依存していたように、今もいつも間にか田無が近づいてる。

いつか、ばったり会ったら面白いな。
俺はめっちゃ変わったよ。
どんな意味でも君は何も分かってなさそうで良かったなって今勝手に思ってるよ。

バイトへ行かなきゃ。


この文を書いている時に「いまく」という言葉が頭をよぎった。いまく?いまいて?みたいな言葉が確かに頭に淀んでいる。しかし、正しい意味や、文法で使えない日本語ほど醜い程はないから、淀みの正体を探るために、Google検索の海に出た。
すると、何一つヒットしない。
「いまく 意味」と検索しても出てくるのは閉幕(へいまく)しか出てこない。

あの瞬間は何故か不安だった。
それこそ本当に海の真ん中に辺りにイカダでひとりで浮かんでいるような気分。当たり前のように俺の頭によぎった言葉がこの世に存在しない言葉だった。なにか、今までの時間がふとひとり寂しい空間に取り残された気がした。
結局その言葉の正体は「息巻く」でした。
ただ、俺が焦ってひとりで船を出していただけだった。ひとりぼっちにさせてごめん、今までの時間。

本当に暑いよね。
なにが暑くて。何が悲しくて。
今はお腹が減ってるのか。何をやればいいのか。
何もかもが分からない。

そう言えば、昨日2ヶ月ぶりくらいに好きだった人と会った。あってはないか。単純にテレビ通話をした。金曜日が誕生日だったんだ。それで、共通の友達から通話に誘われた。3人。何故かみんなしてカメラをオンにした。その子はノーメイクでそれに応じた。
悲しい。なにか変化があれば…なんてものは俺のひとりぼっちエゴ。告白する直前まで行ったからなにか意識が変われば喜ぶのに。今まではフラットで見れていた普段の彼女の行動が今はただの脈のない行動に見えてつらい。俺にとって特別で美しくて幸せだったあれも、きっと俺だけのものだった。それをお互いに思って共有出来ればどれほど幸せだったんだろうか。そうじゃないことをその通話で思い知った。本当に友達だ。嬉しいな。

こんな距離なら離れていたかった。
もう付き合いたいとかは考えてない。まだ、好きではあると思う。でも、あまりにもこれまでの期間や、この好きという感情の扱い方のせいで心と深く結びついている。何となく何も話す気になれなくて、眠気に委ねて寝た。起きた頃の画面には通話に1人の僕が残されていた。冷たくて寂しい。大事で仲の良い友達とも上手く話せないのが嫌で寂しい。こんなにも暑い日なのに、この話にはどこか冷たさを感じる。