2月11日:精神性がスゴイよ

バンドを辞めたい。
始まってすらないバンドだけど。
何もないバンドだけど。

そこの経緯。

今は凄い苦しい。
理由は上げればキリがないくらいにたくさんある。
ボーカルなのに、自分の歌声が好きじゃない。曲が作れない。良い詩が書けない。いいメロディが生まれない。バンドメンバーを信じられない。理想の音楽が分からない。目的が分からない。意義も分からない。理由なんてものはない。

全てが曖昧なままの現在だ。

欲しているものは「独自性」
僕じゃなきゃダメなものが欲しい。
僕が書いた詩を、僕が作ったメロディーを、僕が考えたコードを。最も表現するのに適しているのは自分で、その表現に必要な自分の声は嫌いで、誤魔化すために誰かの真似をして個性を殺す。

原動力は「憧れ」
でも、そればっかりじゃ1つ目と矛盾する。
好きな音楽はある。それを「理想の音楽」と言うこともできる。でも、僕の中に僕の音楽はない。あるのはどうにもならない心の副産物としての詩。鳴る音は誰かから借りてきた偽物の音。誰かが使ったメロディーを使えば、独自性が消えてなくなる。

そのふたつを胸に苦しさも受け入れて、先の見えない砂塵の嵐を突き進むとしよう。鋭利な石も風に巻き上げられて無事じゃいられない。それでも、嵐の中のどこかにある「憧れ」「独自性」を目指して歩こうとしよう。でも、それを見つけるには方向の見当がない。羅針盤が付いてない。このまま音楽を作り続ければそれにたどり着くのか、分からない。辿りつかなかったとしても、自分の中で満足や表現が出来ればある種の願望は叶ったとも言える。しかし、曖昧なまま、自分の音楽を嫌ったままでは、完成形など検討もつかない。きっと満足することなんて無いのかもしれない。

長々と語ったが、全て言い訳だ。
思ったように上手くいかない現実に向かって、意味の無い愚痴を言っているだけだ。心的な話出会って、やることはできる。動かすことはできるわけである。全て言い訳。苦しさから逃れる言い訳なのである。

しかし、元を辿れば、なぜここに僕はいるのだ。

自らの意思で始めたことで苦しんでいる。
それは僕の生活に必要なものではない。
本分とも言える学生生活があるはずだ。
やりたいことで苦しんでいる。

なぜに?

なら、辞めてしまえばいいのでは無いかと。
失っても何一つ損害は無い。

そう思えば、今のバイトに明け暮れてる生活も音楽のせいだ。高い楽器を買う目的でたくさんバイトをしている。そんな大金があれば、好きなことができるのにわざわざ高い買い物をしようとしている。わざわざ、苦しいバイトに励んで。
失えば何となく生きている人間になるくらいだ。

何となく生きていたって構わないだろ。
なにか成し遂げなければならないのか?
その先にあるなんとなくの平凡な日常こそ、最も幸せと言えるのではないだろうか。好きな人を作って、付き合うために努力して、どうにか付き合ったりして、その子とのデートや将来にお金をかける生活も悪くない。悪くないどころか、最高だ。
今は中途半端に音楽の道を眺めているせいで、幸せな未来の全てを捨てる覚悟だけ持っている。それを諦めればどれほど楽になれるだろうか。



それでも、僕は憧れを捨てきれない。
たった、それだけ。

今はあんまり音楽を楽しいとも言い難い。

でも、今の苦しみも、憧れの人と同じ道中にいると思うと、これさえ嬉しく思える。「もしかしたら」と思える。

それらしい理由を探しても「憧れ」しか見つからない。なにが正解かも分からない。
こう言うアーティスティックな正解の無い自己表現活動をするには、精神性が向いてない。人目を気にするし、正解を求めてしまう。人目を気にするから、自らの満足や正解を変えてしまう。「お前が嫌いなら。」で僕は曲げてしまうと思う。

今や、そんな精神性すら愛おしいことにした。

このままの精神性で僕はどうなるのか。
僕の音楽のことを好きになれるのか、僕の歌声を好きになれるのか。僕の音楽が分からないからこそ、それさえ分からない。それを知るためと言えば便利が良いかもしれない。
だからこそ、このままの精神性でこのまま励むことが面白いと。面白いと思えることにした。皆目見当もつかない。
だからこそ、改めてやってみようと僕は思う。