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日記:眩しくて消えちゃいそうだよ

人の好きになる感情は恐ろしい。
何もかもが分からない。
感情を抱えてる当人さえ分からないのなら、傍観者の僕が分かるわけない。そんな意味のわからない感情を観測するには傍観者だとむしろ面白い。だから積極的に関わる。面白いから。

身近に2人いるから、面白さは尽きない。
知り合いのカップルの男の話と同じグループにいる女子を好きになった男の2人。
三限、四限のオンラインはその2人の様子を見て遊んでいた。2人とも苦悩して未開拓の感情に振り回されている。それが興味でもあるし面白い。
でも、その2人が口を揃えて言うんだ。
「本当に好きだから」
2人とも悩んでてしんどさも抱えてる。
なら、いっそ諦めてしまえば、別れてしまえば良いのにと私は思う。悩むくらいなら、気に病むくらいなら、やめてしまえよと思う。でも、2人は思っても辞めない。やめた方がいいとさえ思っているのにやめない。理由はただ1つ。「好きだから。」本当に好きだから。信じたいとかそんなんじゃない。言葉にも出来ない想いがそこにはある。

それが僕にはひたすら眩しい。
純愛とも言える儚い想いは僕には眩しすぎる。消えることを選んでしまうくらいには眩しい。

同じグループにいる女の子のことが好きな男が今日の俺に言った言葉はあまりに真っ直ぐで綺麗で儚い好きという可愛い思いだった。
「今日遅刻してきたじゃん、その時そのまま隣に座ったときは羨ましく思えた。」と言ってた。

今日は二限からの登校。
直前まで寝ていた僕は慌てて家を出た。
自転車がパンクしていたこともあって、時間のかかるバスで登校。もちろん始業時間には間に合いそうにない。開始20分までは遅刻になるから、そこまでには間に合わせたい。それさえもギリギリになってしまうほどに、バスはいつもギリギリを生きている。責めてしまいたいけど、負けないくらいに僕も遅刻する。だから、おあいこにしような、バス。
夏場、炎天下を代わりに背負った木の影の元を走った。紫外線を避けただろうと、熱気が苦しい。ありえないほどに汗をかいた。恥ずかしいなぁ。
それで慌てて教室へ入って、いつものみんなの近くの席に座ることにした。すぐに見つけた席は同じグループの女の子の隣。遅刻ギリギリで居場所がない僕はそこに座った。冒頭に出てきた彼はその子のことを好いている。だから、彼は僕に「羨ましい」と言った。

まるで、中学時代の席替えの時、好きな子の隣になったときみたいに喜んで、離れて別の男が隣の時は一丁前に嫉妬していたころ。好きという感情に純粋に向き合っていたころ、一喜一憂していた頃を思い出してなんだか悲しく思えた。キラキラした想いを胸に抱えている憧れの人とそれを笑うしか出来ない哀れな僕。対称的ではないが、何もしなければま僕だけが1人ポツンと残された世の中になってしまう気がする。だから、何も持ってない僕は笑うしかない。なぜだかとても悲しい。感情の原因がわかったからか、悲しさが現れてきたように思う。

「本当に好き」
そういう感情に僕は出逢えてたのだろうか。
死ぬほど好きな人は二人いた。
人生の絶望を救ってくれたあの子と
その子の失恋の心を癒してくれたあの子。
死にたくなるほど好きなのに、何も叶わなかった。
ふたつともの結末は「諦め」だった。
行動はしたと思う。
でも、これが「本当に好き」という想いが当てはまるのだろうか。当てはまって欲しいと思う。その2人に人格が少し歪ませられるくらいには好きになってた。その子の人生でいいとさえ思っていた。でも、名前は同じ感情かもしれないけど、それ思って今言葉にしている人達と比べると、なにかが違う気がする。なにか認めなくない心がここにはある。その想いの正体はなんだろうか。人間みんな正体不明の想いに振り回されては、悩んでいるんだろうな。俺が笑ってるあいつらと俺も同じような人なんだろうな。そう思うと不思議だよな。

俺のあいつらに向けていた好きはこれまでとは違うもので、いわゆる「本当に好き」に値するのだろうか。きっと答えるなら解答のヒントはこれからのじんせいにある。

もっと大切に思える人に出会ったり、そんな人はもういなくて、呆気なく捨てられたあの諦めの想いが好きになるのかもしれない。