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日記:初めての音

noteを書きてきたことが幸をそうしてか、自分への解像度が他人に比べると遥かに高いように感じる。自分の生きる軸をしっかりと持てるように人になれている気がする。一時の感情に流されるときも、揺るがない芯を持っていると思いたい。

これがメリット。
このメリットは長期的にnoteに自分についての記事をひたすら残すことを続けたから生まれたものだと思う。でも、そんなメリットを作る中にデメリットがずっと居座る。

noteを書いていると普段とは違う感情を見つけられる。言霊ってわけじゃないが、その場で思って書いてしまうことでそれが自分の感情になることがある。その場の想いで書いた感情が間違いならすぐに消す。というかそんなことは起きない。noteをへて自分を見つめ直すことで、発見できた感情。それに間違いはない。でも、自分の深層部についての感情であることは間違いない。普段は浮上してこない感情なのだから。分かって書いてしまった言葉が今の僕になる。
それがデメリット。

暗い、苦しい、寂しい、悲しい、切ない。
そんな悲壮感溢れる感情を沢山抱えた人間じゃない。でも、深層部で見つかる想いはそんなものばかり。表面に見えてる感情も大事なはずなのに。普段から見つけられるその感情は言葉にすることがない。また、すぐに会う感情だから。だから、自分にとってインプットされている自覚がない。その場だけの感情。同じその場だけの感情であろうと、深層部で見つけたものは言葉になる。そして、自分を理解してそういう人間になる。なに、これは解決することだ。普段発見する感情も言葉に、言霊に宿すだけでいい。

だから、楽しいことを言葉にしようと思う。

8月9日。俺にとっての初ライブ。
他人の曲を借りて、サークルのライブだ。吉祥寺のライブハウスに立つ。
4年のドラムの先輩と1年初心者のベースと俺。
正直不安だ。
実力的な意味で。
歌が上手く歌えるか?メンバーと上手に合わせれるか?ギターが弾けるか?不安なことしかない。
それに合わせてタイムテーブルも問題だ。
僕のバンドは初日のトップバッター。メンバーはドラム以外初心者。そんなやつらがトップバッターとして努められるか?
不安だ。

ちなみに曲はSaucy Dogの「煙」と「コンタクトケース」って2曲。
Saucy Dogは自分にとって思い出のあるアーティストだから、なにかの節目として扱われることに違和感はない。むしろ、嬉しい。1回目からSaucy Dogを扱えるのかと。

セトリ順は煙から。
その曲の特徴で言えば、イントロ部分。
イントロと言うか曲冒頭。
ひとつのコードを鳴らして僕が歌う。
そこにドラムもベースもいない。
コードの音を伸ばして、僕が歌う。
それは弾き語りのようで、見せる場面だ。

とても緊張する。
でも、少し考えを変えてみた。

その日ライブハウスにて、最初に奏られる音は僕の手から鳴るコードの音と、僕の声。
僕から皮切りにライブが始まる。もちろんその前にサウンドチェックがあることも、何かしらの楽器の音が入ることは知ってる。でも、そうじゃないじゃん。歌じゃん。曲じゃん。クオリティとかの話じゃなくて、僕にとっての初めての音がそれだ。
これこらがどうなるか分からないが、僕にとって本当になにかが始まる音がそれではないか?と思う。どれだけ素敵なことだろうか。それを任せた認識はタイムテーブルを作った人はないと思う。でも、それを誇張して僕は受け取って最高にしてやろうと思う。

僕にとっての最高に。