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若者の多くは未来を具体的に語れない。具体的に語らせてあげる、認めてあげる工夫が必要だ

 学生には「具体的に、いつどこで何のために(誰に対して)何をする」か、具体的に目標を立てよ、と言っています。しかし、いくら言っても、かなり多くの学生がこれができない。懇切丁寧に説明はしますが。

 なぜできないか。今まで一度もやってないから。やらされてないから。「いろいろチャレンジする」とか「いろいろな人と話をしてみる」とは言えるけど、「じゃあいつどこでどんなチャレンジをするんだ」とか「まずいつどこでどんな人とどんな話をするんだ」と問うと、なかなか言えない。でも目標として書いて欲しいのは「いつどこで誰にどんな」「何のために」なんです。それが書けないとなかなか行動に移せない。一部の人を除き。例えば「いつかどこかに旅したい」ではいつ行くか分からないので、「この土日に近所の寺社巡りをする」「夏に飛行機で2泊3日で北海道に行く」みたいに。具体的な計画にして切符を買う・予約をするところまでいかないと、実際に出かけられない。

 人間は目標ややるべき行動が具体的に言葉になると、行動できるような気がするんです。放っておくとどうしても楽なほうに流れてしまいがち(私も)。せっかく具体的な目標を立てても、残念ながらやらない人も多い。
 目標を具体的に数字レベル・行動レベルにし(「単位を取る」とか「いい成績を取る」ではなく「単位を取るために何をする」とか「いい成績を取るために1日何時間勉強をする」など)、かつそれが何のためなのか(「食品会社に入るため」とか「自分の野望のため」「モテるため」でもとにかく自分に寄せて具体的に)明確な言葉にして、それを何度か反芻しないと、ちゃんと行動できない気がするのです。

 一方で、就活でも人生設計でも後から振り返って「あの時こうしておけばよかった」と反省する若者は少なくない。後悔先に立たず。いつ気づくか、ですが、実は「後から振り返る」「後から反省する」機会を頻繁に作る若者は思ったより多くない。みんな思ったより惰性で生きているようにも見えます。早く気付いた人が早く改善できてますし、早く気付いた大人からのアドバイスを真面目に聞いた若者のほうが予後はいいような気がします。
 ここはすんごい難しい。大人世代に対する批判的思考は一般的に悪くない。ただピントが外れている批判も多い。相手への批判はできるけど、自分に対する批判を聞けない人は若者だけではなく大人にも多い。大人は諦めるとして、若者でも自分への批判って聞けないんですよね。たぶん自分に自信がないから。自分に自信があれば批判も聞けるんでしょうが。受け流すこともできるんでしょうが。

 まあ人のことは言えません。人に教える立場の人だけでなく人に指示をする立場の人(部下を持つ人)は、教える・指示する相手の話(本人の目標やなりたい姿など)をしっかり聞いて信頼関係を作り、相手のいいところをしっかり褒めたり認めたりした上で、「こういうふうに行動してみてはどうか」「ここは直したほうがいい」とアドバイスをするといいんでしょうね。

 弱さ・欠点が受け入れられるような心的安全性を提供する。だからこそ本人が自分の弱さ・欠点を認め、改善しようとする(かもしれない)。エイミー・エドモンドソンとかロバート・キーガンの影響を受けています。

 今回の話とちょっと中身がずれてますが。

 あるいはこんなの。






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