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松本人志さん問題から危惧すること

松本人志氏が女性問題で炎上していますが、なんせ30年ほど前にテレビを処分して以来、ほとんど見てないので、松本氏自体に関しては、あまり関心はありません。ただ、、

ではなぜこの件について書くかといえば、ピエール瀧さんの薬物事件以来、こういった空気(作品と人格を連座させようとする風潮)がより進行している気がするからです。ピエール瀧氏の事件は逮捕は当然としても、その後ソニーミュージックは電気グルーヴのCD等の出荷停止のみならず、過去作の回収まで行った。その以前、ASKAさん事件の際もやはり過去作の回収が行われました。その後のいくつかの不祥事事件でも、おそらく同様のことが起こっています。

今更、の話題でもあるけれども

アーティストやタレントの犯罪はもちろん許されないことだし、適切に処せられるべきと思います。だが、その「作品(表現)」にまで罪は及ぶのか? それが否なことは、こんにち自殺幇助罪の太宰治の作品が教科書に載り、殺人犯だったカラバッジョの絵が美術館に飾られ、麻薬密売に手を染めたジュネの作品が世界中で読まれていることからも言うまでもないこと。女性を無理心中で死なせたから、麻薬密売したから、と太宰やカラバッジョの作品まで歴史から消去してしまえば文化にとって大きな損失だ、というのは当然のことと思います。90年代の連続殺人犯であり獄中で文学賞を受賞した作家、永山則夫(1949-1997)の物議を始め、過去からこういった問題は度々議論されているし、特に新しい話題でもありません。基本的に、よほどの危険思想や、ある種の犯罪を助長させるものでない限り、その作者がどんな人格、思想信条であれ、その作品に類は及ばないことは当然です。

だが、時代は逆行している

だが、まるで中世の異端審問が蘇ったのごとく時代は逆行しつつあるように見えます。先のピエール瀧氏やASKA氏の件もそうだし、去年ケヴィン・スペイシーも性的暴行で訴えられ、その主演映画が公開中止に(のち無罪が確定)。数年前のR・ケリーの逮捕、その後のソニーの契約解消なども記憶に新しいし(この時も数多くの議論がありました)、数限りない。個々の是非はあれ、問題は彼らが白か黒かの話ではなく、「彼らの表現物まで罪を負うのか」ということでしょう。そして近年その趨勢が強まっている。松本氏の件は今後、裁判の行方次第だが、仮に彼が有罪にでもなれば(加えてその行為が予想以上に悪質であったとすれば)、過去作品の自粛、回収、という声が出ることは予想できます。

今もう一度、作者と、その作品を切り離すべきことを確認したい

彼が仮に性加害をしていたのなら罪に服すべきだし、犯罪ではなくとも不倫をしていたのなら、倫理的な問題はあるでしょう。しかし倫理観を欠いた表現者など、過去にいくらでもいた訳で。ピカソのゲルニカ製作時の破廉恥な逸話は有名ですし、チェット・ベイカーはたびたび女性に暴力を振るっていました。ビートルズはじめ、ロックバンドのツアーの醜聞は限りない。画家、作家、ミュージシャン、、etc、彼らに倫理や道徳を説くことじたいが虚しい。太宰、ピカソ、チャーリーパーカー、モーツァルト、と遡ればキリがないし、また彼らが立派な人間でなくともその作品は素晴らしいことは疑いない事実でしょう。松本さんもその私生活がどうであれ、彼が素晴らしい仕事をしてきたことは確かだと思います。

人格と作品を連座させようとする問題の本質

この風潮はつまるところ、何が問題か。第一には先に述べた通り、優れた犯罪者の作品が忘却されてしまうという文化的損失の面です。ですが更に進めると、このことのより大きな問題は、創作者の人格的欠陥が創造物にまで類を及ぼすことにより、翻っては「だから、アーティストは品行方正であらねばならない」という風潮に、更には「品行方正な人格が、優れた作品を生む」という歪んだ価値観を生んでしまうことではないでしょうか。そうなってしまえばこれはもう、恐ろしいディストピアの世界です。

別に、アーティストは特異な人格であるべき、それが常人には生み出せぬ創作力の原動力だ、といった陳腐な天才論を主張したい訳ではありません。ではなく、優れた仕事とその人格にはまったく何も関係がない、ということを今一度、確認しておかないと、品行方正なクリエイターの作品しか次世代に残らなくなる。更に進めば「品行方正な心が、良質の作品を生み出す」といった気持ち悪い世界へと突入してしまうことへの、危惧です。

その為にも敢えて、犯罪者であれどその仕事は仕事として、別個に評価していく態度を今一度、確認することが大事なのではないでしょうか。もちろんその犯罪の事実とセットで後世に残していけばいい。「ほら、彼は人格は最低だったけれども、こんな美しい作品を残したんだよ」と。

「美しい人しか、美しい作品は残せない」という世界より、
「欠落した人間でも、美しい作品を作ることができる」、
という方がずっと「美しい世界」だと思うのですが。

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