わたしを拾ってくれたひとへ

世界の内側にこもる日が続いた。
内面ばかりを見つめて、外との関わりを避けた数日だった。感情をうまく外に表現できず、ただ内側で発酵させるような時間を過ごした。
自分のものなのにつかめなくて、感情は蜃気楼みたいだ。こまねいている手が夏空に泳いでいて、敏感になっているのか鈍麻になっているのかよくわからなかった。
しんどかった。

井戸水のような澄んだきれいなもので、感情や記憶を清めたかった。涙で流すんじゃなく。もっと透明で清らかなもので。鹿が気配を消して、森の奥の泉にそっと水を飲みにいくみたいに。そうやって魂をやすめるみたいに。Sicut cervus.
感傷的になっているなあ。

こういうときに、素直に助けを求められたら良いのだろう。
渦中のわたしは何がつらいのか、何に困っているのか明瞭に言葉にできない場合が多いけれど、そんなことはどうだってよく、ただ飛び散った感情や記憶をおさめるべきところへおさめる、その作業を誰かとともに行う勇気を持つということ。
信じて勇気を持つということ。わたしの課題なのだろう。

生きていくうえで、安全や安寧を確保することの難しさ。身に降りかかることを受け止めながら、時に回避しながら、くぐりぬけるように生きていくことの大変さ。

いつか、もっとうまく歩けるようになるのだろうか?
永遠に眠るその前に、もう一度だけ顔をあげるように。細くてしろい月のひかりにそう言われている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?