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【もの思う美容部員の記録】パール粒1個分問題

君は「パール粒1コ分問題」を知っているか?
 
化粧品の外箱にはさまざまな情報が記載されている。商品名。こころを掴むキャッチコピー。配合成分、使用方法や使用手順、容器や中身に関する注意事項。製造元にお客様相談センター等々。手元にある商品を改めて見ると、その情報量たるや、ざっと数えて平均すると、400字詰め原稿用紙2、3枚分にのぼる。
 
そのなかに、必ず使用量の記載があるのはご存じだろうか。
化粧品、特にスキンケアを使用するうえで、メーカー推奨の使用量をきちんと守って使用することは、その商品のパフォーマンスを最大限引き出せることにつながる。とりあえず、書いてある量を使うのがいちばんよいということだ。肌質やそのときのコンディションによって調節をするのは、1か月くらい使ってその商品の性格がわかってからにするのをおすすめする。1か月というのは肌のターンオーバーのサイクルを鑑みての期間だ。おおよそ1か月で調子の良し悪しの波を経験すると思う。
 
米粒1個分。さくらんぼ1個分。アーモンド1粒分。パール粒1コ分。500円玉大。適量。適量(直径約2センチ)。ポンプ1押し分。ディスペンサー1回押し分。2プッシュ分。
これらは記載されている使用量の目安の一例だ。これらを見てわかりやすいと思うか否かは個人差があると思うが、どうなのだろうか?
ポンプで出すタイプの商品は、「ポンプ1押し」や「2プッシュ」など、数字で示しやすく使用量がわかりやすい。コットン使用を推奨している化粧水も、コットンに出した際の使用量の大きさを示しているので(500円玉大など)、視覚的にわかりやすいのではないだろうか。
米粒、さくらんぼ、アーモンドも、比較的サイズ感がつかみやすい。品種によって多少の大きさの違いはあるのだろうが、ほぼ同じようなものだろう。
問題は「パール」なのだ。
パール粒1コ分。この表現が適切だと思うか? これまでの流れからすると「まあ、だいたい大きさの感じはつかめるよね」と感じると思う。わたしも、まあ、ほぼ同感だ。
 
だが、「パール粒1コ分」には問題がある。
 
新入社員の研修をするとき、わたしはその問題にぶち当たった。
みなさんは本物のパールのアクセサリーをお持ちだろうか。お持ちの方ももちろんいると思う。けれど、身近でないひとも多い。若い子ほど身近でないと思う。「パールのネックレスを母親から受け継いだ」みたいなジュエリー会社のCM的エピソードは、実際には思っているほど世の中に転がっていない(少なくともわたしには転がってきていない)。
そうなると何が起こるかというと、研修のとき、「この商品の適切な使用量はパール粒1コ分と書いてありますね。あ、みなさんはパールって持っていますか? あんまり本物を見たことのないひとのために説明しますと、直径約7.5ミリ程度の大きさです」というくだりが生まれる。目安の量を具体的に示したがゆえにわかりにくくなり、無味乾燥な数字で説明しなおすという事態に陥るのだ。
 
さらにお客様とのやりとりの際にも問題は続く。
「こちらの商品は朝晩、スキンケアの最後にパール粒1コ分をご使用ください。あ、お客様のお持ちのパールって結構大きいかもしれないんですけど、ここでいうパール粒はこのくらい(手に出して示す)ですからね、大きすぎるとべたべたしちゃうかもしれないので(満面の笑み)」
このようなやりとりをしているのは、もしかするとわたしだけかもしれない。パール粒で伝わっていると思うけど、でもひょっとすると…と心配性の気が出てきてしまい、余計かもしれないと一瞬脳裏をよぎった後、結局言葉を足してしまう。うまくいけば信頼とくだけた笑いにつながり、ただの蛇足であれば無言の反応で終わる。
 
パール粒の大きさが想像できないのではない。たとえ本物を見たことがなくてもおおよその想像はつくし、それぞれの思い描く大きさが違っていたとしてもそこそこ同じ大きさで、間違ってもりんごやゴマの大きさを想像するひとはほぼいないだろう。
研修時に結局数字で示してしまうのは、少なくともわたしたち美容部員は正確な大きさを知識として持っておく必要があるからだ。じゃあさくらんぼやアーモンドの大きさを正確に示してみろと言われたら難しいのだが、パールはさくらんぼやアーモンドより小さい。小さい分、誤差の振り幅の個人差が大きくなる。
お客様とのやりとりに関しては、まあ、わたしの勝手なおせっかいなのだ。パール粒が多少大きかろうと小さかろうと、その化粧品のパフォーマンスはそうそう変わらない。「パール粒1コ分ってこれくらいね」と信じて使用していれば、多かろうと少なかろうとプラセボ効果さえ期待できるかもしれない。

でも、と思うのだ。直径7.5ミリの粒の大きさが重要なような気がして、葛藤が生まれ、つい余計に伝えてしまう。まるでお菓子作りの際に、「ひとつまみ」でなく「小匙1ぱい」でないと失敗してしまうように。
 
化粧品というのは、日常的に使用するもののなかでもイメージの大切なプロダクトだ。中身より見た目を基準にして選ぶ場合も少なくないし、値段が高ければ高いだけ満足感が増す場合もある。以前、環境やコスト面から、パッケージがガラス瓶からプラスチックボトルに変わったとき、反響の大きさに驚いたことがある。多くは「どうして変わっちゃったの。なんだか残念だわ」というお声だ。軽くなったし捨てやすくなったのに、とわたしが言うと「そういうものよ」と会社の先輩は言った。「ガラス瓶に入っている化粧品を使っているわたし、という気概みたいなものがあるのよ。ガラスって高級感があるでしょう? それだけでいいのよ」と。たしかに、同じ水を飲むにしてもプラスチックのコップよりガラスのコップのほうがなんだか気持ちが良い。それと一緒だ。持ち重りがして、鏡台に置いたときにコン、と重厚感のある音がする。そんな化粧品を使っているわたし。
 
もしかすると、「パール粒1コ分」でないと表現できないプライドがあるのかもしれない。「直径7.5ミリ」はグローバルスタンダードだけれども、そこには「パール粒1コ分」に漂う、高級感や貴重さや美しいきらめきといった気配はない。
でも、「パール粒っていうのはですね~」というめんどくさい一幕が今日も全国各地で繰り広げられているかと思うと、数字でいいじゃんはっきりしてるし、と左脳優位っぽい心の声が聞こえてくる。
使い方を説明する何気ない数行のなかにも、こんなにもイメージを壊さない工夫がなされているのか…と改めて感心すると同時に、イメージ維持と実用性の両立というのは難題なんだなあと思う。
これはきっと化粧品に限ったことではない。服とか文房具とか器とか、日常目にするあらゆるものが抱えているジレンマなんだろうな…と思う。

そんなこと思いながら今日も店頭に立ってます。考えすぎだなわたし。

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