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ないものねだり

泣いた。
電話を切って、お風呂に入って、洗濯機を回しながら、なにか少し食べよう、と冷蔵庫を開けたら涙が出てきた。
電話で話している最中、切ったら泣くかもしれないな、と感じていた。その日わたしは家にひとりだったし、だから感情が自由に出てくるのをいとわないでいようと思っていた。出てくるものは受け止めよう。そう思いながらお風呂に入って身体をゆるめていた。息を吐く。意識して。


そのひとと話すのは、たいてい、わたしにとって安心することだ。背中にやわらかいガーゼをかけてもらうような安心感。かけてもらうときの、触れるか触れないかくらいに感じる相手の手のぬくもり。ガーゼは小鳥の羽みたいに、ほんのり温かくてやわらかくて尊い。

その日、そのひとは、めずらしく自分のことを話してくれたのだった。ひよ子さんと呼ぶことにしょう。ひよ子さんと話すとき、決して、わたしばかりが話している、というわけではないと思うのだが、ひよ子さんはあまり自身について語らない。尋ねてもはぐらかしたり、「いいのよわたしのことは」と言って話を終えたがろうとする。あ、聞いたらだめなんだ、と察知して、わたしもあまり引っ張らないようにする。
話してくれたと言っても、だからきっかけはわたしが作ったのだと思う。「ひよ子さんのときはどうだった?」とか、「ひよ子さんならどう思う?」とか。そうしたら、少しずつ話してくれたのだった。ざるの目を少しずつ粗くしていくような感覚で。

「ひよ子さんのお母さんってどんなひと?」
わたしと母との関係を話題にしていたときだった。わたしはひよ子さんの語る母子関係にどんなバックボーンがあるのか知りたくなって、思い切って尋ねた。
「すごいひと」
わたしは一瞬たじろいだ。すごいひと。そう言ってしまえる世界にひよ子さんは住んでいるのか。


ひよ子さんはわたしより年上で、夫と子どもがいる。わたしたちが知り合ったのは少し不思議な場所だ。そういう不思議なことって、でも大切だったりする。
ひよ子さんは情緒の安定しているひとだ。って、わたしが自分と他人を比べたらだいたいそういう答えになってしまうのだが。でもわたしには彼女がとても安定していて、穏やかで、難なく何事のバランスもとっている、という風に映るのだった。ぎこちなく、しょっちゅう乱高下して、小石につまずくわたしには彼女が憧れの存在に位置する。
もちろん、ひよ子さんは様々な経験をして、いろいろなものを見て、それを時間とともに肉体の一部にしていくみたいに吸収してきたのだろう。その積み重ねを経た、時間(年齢)の表すうつくしさなのだとも思う。

「母には、まだ、いなくなってもらったら困る」
ひよ子さんは言った。
「わたし、たぶんずっと母を追っかけてるんだと思う。母はすごい存在だから、あんなふうになりたいって、ずっと追ってるんだろうな。でも、だから反発してた時期もあったし。それで遠回りしてた」
ひよ子さんはそのようなことを話してくれた。
「そうなんだ」
わたしは、たぶんこの辺から、「あ、泣くな」と予感した。ひよ子さんから初めて聞くお母さんの話が、とても遠い世界のような、またはとても近い、でも絶対に見たくない触れたくない世界のように思えた。どっちなんだ、わたしにとって。できれば遠い世界だと勘違いして生きていたいと願いながら、きっと本当はその逆なのだ。近いけれど見たくなくて、気づかず暮らしていたいけれど、ときどきその世界はわたしに近づいてくる。ほら、こっちをのぞいてごらんよ、とチカチカ光を発したりする。小さな火花を散らしてわたしの興味を惹こうとする。
「あー、話しちゃった」
ひよ子さんは言った。

わたしはきっと、ただひよ子さんがうらやましいのだ。立派なお母さんがいて、誠実な夫がいて、頭の良い子どももいて。夫が誠実かどうかなんて知らないし、子どもが頭が良いのかどうかも知らないけれど、そのときわたしは勝手にそういうフィルターを掛けて、ひよ子さんを眺めてしまったのだった。いいな。ひよ子さんだってすごいひとだし。仕事できるひとだし。やさしいし。頭良いし。きれいだし。お金持ちだし。わたしのコンプレックスを全部ひっくり返して当てはめて、いいないいなと地団太を踏む子どもみたいにこころの中で連呼する。いいな。わたしにはないものばっかり。

わたしも、母についてそんな風に語ってみたい。堂々と、それこそ「母にどう思われるか」なんて考えずに。でもそれはたいそう勇気と覚悟のいることだ。
母についてひよ子さんのように語れば、「そうなの、良いお母さんね」と周りに言われるのがオチだ。わたしは決してそんな反応は求めていない。わたしがどういう気持ちの変遷を経て、母との関係をこんなに前向きに語れるようになったか、わたしの費やしたエネルギーと時間をあなたはどうして労ってくれないの? わたしの苦労はみてくれないの? 具体的なエピソードを交えて三万字くらいで綴ってあげようか? 
ひよ子さんは、でもそんなことを言わない。ずっとずっと大人だから。


「わたしもひよ子さんみたいになりたい」
わたしがそう言うと、たいてい、
「えー、わたしみたいにならないほうがいいよ。わたしダメ子ちゃんだもん」
なんて言う。
ときどきうんざりするくらい、「わたしってだめなんだよ」とか「だめな妻でさ、だめな母でさ…」なんて言うから、「そんなダメダメ言わないで。全然そんなことないよ」と言ったりする。「はーい、ありがと」と返事をしてくれるが、その実、もしかしたらダメダメ言うひよ子さんに救われている部分もあるのではないかと思った。
ひよ子さんがわかりやすく自己肯定感の高そうな発言をしてきたら、いったいわたしはどう思うのだろう。もっと自信に満ちて、余裕綽々と言った振る舞いをされたら、わたしには救いようがないかもしれない。本当に遠い世界にいて、どうしたって手の届かない存在になってしまったら、ひよ子さんがわたしに掛けてくれる言葉も、なにも響かないかもしれない。

わたしはきっと、ひよ子さんに理想の母子関係を投影している。話を聞いてもらって、共感してもらって、ときに叱咤してもらって、そして相手にも話をしてもらう。甘えられることがベースにあって、でも、ときに対等に扱ってもらえる。無意識だったけれど、きっと投影していたのだろう。ひよ子さんは気づいていたのだろうか。


ないものねだりじゃん。
ぼろぼろ泣きながら、もう食べることなんてどうでもよくなって、でも納豆だけ食べようと冷蔵庫から取り出す。
手持ちの札で生きるしかないんだよ。安っぽい納豆のパックはいまのわたしにお似合いだ。

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