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好きだった、嫌いだった

 歴史が好きだった。

 幕末の歴史が好きな父の影響で、家にあった本を読んでいたら気がつくと自分も好きになっていた。
 特に好きだったのは桜田門外の変。
 時の大老井伊直弼を討ち取った、わずか18人の浪士たちが明治維新という大きな歴史の転換の起点となったという事件に対する僕の興味は、吉村昭先生の「桜田門外ノ変」を読んでからさらに加速した。
 それから、僕はその18人の浪士全員の名前を覚えたり、初めて東京に行った日にまず最初に桜田門へ行ったりと「好き」を原動力にたくさんのことを知った。

 数学が嫌いだった。

 中学で算数が数学になった意味が分からず(意味なんてない)、気づいたら人に言えない点数を取るようになっていた。
 致命的だったのはそれなりに自信のあるテストもゴミクソな点数だったことだ。
 僕の家には5教科の合計点数でPS2とDSライトの措置が決まるルールがあった。結果が良いと1日の総プレイ時間が引き延ばされ、悪いと没収という感じに。僕は数学以前に勉強そのものが嫌いだったけど、ゲームは好きだったので好きのためにそれなりに頑張った。
 だけど、どうしても数学が足を引っ張る。
 ここで普通の人なら数学を頑張って勉強するのだろうが、僕はもう自信のあるテストがダメだった経験を受けて完全に諦めていた。
 そして得意だった国語と社会で数学分をカバーする作戦に出た。「嫌い」を原動力に僕は勉強を少しだけ頑張った。そのおかげかどうかは分からないが、僕は今かなり国語に助けられている。
 ちなみにこの浅はかな作戦はほとんど失敗した。

 そんな僕が数学が入試科目にない歴史科の高校を志望することは、もはや決定事項だった。
 僕は晴れて奈良県内唯一の「歴史科」へ入学することとなった。

 結果から言うと僕はこの学校で歴史という科目が嫌いになる。ただ、これは完全に自業自得です。母校は1ミリも悪くありません。っていうか普通に良い学校でした。僕が悪いだけで。

 僕はこの学校以外へ行くつもりが全くなかったので、なにも調べていなかった。だから入試の日に学校が遠すぎてびっくりした。
 片道1時間30分もかかる?なんだこれは?同じ県内じゃないのか?と思った。
 あなたが志望した学校です。同じ県内です。

 これは余談だが、僕は自分の住む町が「田舎」だということを高校生にして始めて知った。同級生に出身地を言うと「どこだよw」と言われたからだ。
 彼は奈良市内出身だった。
 戯けて「ここから見えるあの山の向こうあたり」と言った次の日からクラスでは「鈴木は毎朝森から出てきてる」とまことしやかに囁かれるようになった。

 そしてもちろん、この学校の授業内容なんて全く調べていなかった。
 ここでポイントとなるのは「奈良県の歴史科」だということだ。ご存知の通り奈良県には数々の歴史遺産が県内各所にある。それは「掘ると遺跡が出るので、新しい建物が建てられない」と言われるほどで、僕も昔遊んだ公園に当たり前のように古墳があった。
 しかし、それらの歴史遺産は割と教科書の前の方で出てくる時代のものばかりである。
 繰り返しになるが、僕の好きな時代は幕末である。

 そう、この学校の歴史科とは「奈良県に即した古墳時代から奈良時代を重点的に学習する科」だったのだ。
 古墳や仏像の授業が毎日続き、幕末の授業を待ち続けた僕は高校2年生で未だ飛鳥時代の白鳳文化について学習していた時に、ついに目の前が真っ暗になった。
 まさか自分が仏像で胸焼けする日が来るとは思わなかった。
 それでも僕は歴史が好きだから、なんとかなると思っていた。でもそれは違った。
 「好き」は「義務」になるとたちまち億劫になって「嫌い」になるのだと知った。


 あれから約10年経った。
 もう僕は数学のテストも、仏像のテストも受ける必要はなくなった。

 毎週日曜に放送されている大河ドラマ「光る君へ」が好きだ。

 主人公の紫式部ことまひろの創作感や藤原道長の不器用な恋愛観にはどこか共感してしまうし、この時代特有の異様に多い藤原姓をカバーする豊かなキャラクター個性は見ていて楽しい。馴染みのない難しい言葉や風習がスッと理解できるのも、見ていてストレスがない。
 このドラマの影響を受けて僕は京都の紫式部の生家や、ドラマに出てきた六堂の辻という場所へ行ってみたりした。キャストさんのトークショーへ応募したりもしたし(外れたけど)、源氏物語を読むために本を購入したりした。
 そこでふと気づいた。
 あの時「嫌い」になったはずの「歴史」の「好き」を原動力に、僕はまた動き出している。
 偶然にもこのドラマは、10年前忌み嫌った奈良時代の次の平安時代が舞台だった。

 一度嫌いになったものは、決して嫌いなままじゃないんだ。
 当たり前かもしれないけれど、これは結構自分的に衝撃だった。

 あの時、好きだったもの、嫌いだったもの。
 あの時好きだったから、嫌いだったから、で遠ざけ続けるのは少しもったいないことなのかもしれない。

 むしろ、あの時、好きだったから、嫌いだったからこそ、今改めて感じるものってあるんじゃないだろうか。昔嫌いだった食べ物が食べられるようになる、みたいに。

イラスト:ずん吉さん

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