『写真家は、人を撮るときに何を考えているのか?』というイベントに参加しました

 先日、『写真家は、人を撮るときに何を考えているのか?』というイベントに参加してきました。登壇者は、写真家のワタナベアニさんと、編集者の今野良介さん。今野さんはアニさんの著書『カメラは、撮る人を写しているんだ。』の編集を担当されている方です。

 今回のイベントは大きく2つのパートに分かれていました。事前に受け付けていた質問を元にしたトークと、撮影と現像の実演(!)、両方があったのですが、どちらもすごく楽しかったです。

 前者では、特に「理想的な答えがあるわけではない」という趣旨のお話が、 非常に興味深かった。僕を含めて、多くの人は「正解」を求めがちです。何か唯一正しい答えがあって、それを学ぶことこそが自身の技術を向上させるための手段であると、勘違いをしているわけです。そういう姿勢に対してアニさんは「写真は、自分にはこう見えているということを表現する」ことこそ意味があるとおっしゃっていました。それは「AIの台頭に、写真家はどう向き合うべきか」という別の質問への回答にもあった「価値があるのは体験である」という考えにも通ずるお話だと感じます。
 
 つまり、生成AIがいくら高性能になっても、そこには文脈もなければ想いもない。AIが生成した写真がいくら美しかろうと、個人の人間が直接得る体験には敵わないということです。被写体と撮影者が、その日その場所で出会って、一緒に共有した時間が写真には投影されています。瞬間に撮影された写真は一枚ですが、そこには前後に過ごした思い出も、コンテクストとして写っている。写真の本質的な価値というものは、文脈にこそ存在しているんだろうなと、僕自身は解釈しました。それはアニさんの著書のタイトル『カメラは、撮る人を写しているんだ。』ということばにも表れているのではないでしょうか。

 そう考えると、AIが生成した写真というのは、本来あるはずのない「正解」を無理やり提示した形とも言えそうです。そういった「正解」は、この先もいろいろな場面で大いに利用されていくことと思いますが、逆に人間の感情に真に訴えかけようという場合には、どこまでいっても生身の人間の力が必要なんでしょうね。 

 僕はカメラを持っていますし、趣味でたまに撮影したりもしていますが、ただの素人です。撮影を仕事にしたいわけでもありません。というか僕にはできない。
 じゃあなんでこのイベントに参加したかというと、やっぱり写真が好きだからなんでしょうね。一言で「好き」と言ってもグラデーションがありますが、僕の「好き」は、めちゃくちゃ浅瀬でチャプチャプ遊んでいるようなものです。だから技術的なことは見ていてもわかりません。だけど、今回の現像の実演をこの目で見て、作品が出来上がっていく過程を追っていくという体験は、めちゃくちゃ刺激的で面白く、貴重な体験でした。その道のプロが仕事をしている様を、間近で見るというのは、こんなにもすごいのかと感動すること自体が楽しい。

 何かと意味とか効率性を求められがちな時代ですが、僕はそういう「楽しい」とか「面白い」に価値を置いて、自分で考えていろいろと体験してみることを重視していきたいです。そしてそれを自分の写真にも反映できたら、きっと豊かな生活が送れるんじゃないかなぁと、そんなことを思ったのでした。

 それではまた!

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