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「母ごはん」さえあれば、どこだって「実家」

実家遍歴

我が家は、父・母・私・妹の4人家族。
生まれも育ちも全員雪国。

けど人生いろいろなもので
6年前に父、3年前に妹、1年半前に母と
順番に大都会へ移り住んだ。

母は大体月1度で帰ってくるけど
基本こっちにいるのは私だけ。

大学1年生頃まで暮らしていた家はもうないし
そのあとは祖父の家に住んでいたし
今の家は4人で暮らしたこともない。

だから、いわゆる「実家」と
呼べる場所はもうないと思っていた。

急遽、もうひとつの我が家へ。

なんでもないとある金曜日の朝。

前夜大きな手術をした父の体に
異変が起きたと知らせがあり
急遽、大都会へ乗り込んだ。

着いた頃には容態が少し安定したと
病院から連絡があったようだった。

でも、まだ起きていないし、面会できないし。

急に職場も休んだからそれも不安で
とにかく心がドンっと重かった。

母も妹も疲れていたから
近所のお蕎麦屋さんで父の好きなやつを頼み
パッとたいらげ、サッと帰宅し
そのまますぐ眠りについた。

久しぶりの鍋炊ごはん

翌朝、目が覚めると母がキッチンに立っていて、
鍋から「カタカタ…」と懐かしい音も聞こえてきた。

この家、私が生まれた時から炊飯器が無い!

両親それぞれが一人暮らしだった時代は
持っていたこともあるらしいのだけど、
やっぱり邪魔だからと手放したとのこと。

だから私は鍋で炊かれた米で育った。

そのせいで家庭科の授業で恥をかいたし
たまにお米が柔らかすぎたりもするし
自分で炊くには面倒すぎるし。

そんなこんなで今では炊飯器派なのだけど
久々の光景に胸が高鳴った。

鍋の音も炊き上がるまでの甘い香りも
なんか良くて、なんか落ち着いた。

「帰ってきた〜」

ぼやっとしているといつのまにか
できたての朝食がテーブルに。

炊きたて白米・焼いた紅鮭・具だくさん豚汁・煮たまご

いただきますをして
ひとくち、ふたくち。

「帰ってきた〜」と思った。

体にも心にもとにかく沁みた。

もうひとつの我が家には
住んだことがないから、
いつも特に帰ってきた感はない。

でも毎回帰る日に
「またね我が家」と思うのだけど、
それは滞在中にお母さんのご飯を
食べるからなのでは?とふと感じた。

バター醤油のタレがおいしいトンテキ
2日目のラインナップ(トマトとブロッコリーは欠かせない)
健康のための豆(父作酢大豆)

母ごはんの秘密

「お母さんはお酒飲みながら
のんびりつくるのが好きなの」

「急いで作ったりできないし
そんな何品も作ったりできないんだごめんね〜」

そんなことを言いながら忙しい日も疲れた日も
ご飯を作り続けてきてくれた母。

食卓に並ぶのは、私たち家族への想いたっぷりのごはん。

でも作るのが嫌にならないように
自分の好きなものを作ったり
気軽に作れるよう工夫をしていたのも、今ならわかる。

〜月1で帰ってきた時のスペシャル朝ごはん〜
エビフライ(私の好物,食べやすい大きさのエビ)/ブロッコリーとトマト(野菜不足を心配した母からの贈り物)/あげのお味噌汁(いつもの)/おいなりさん(私も母も好きなやつ)

好きじゃない野菜がある時は好物がセットだったり
味に敏感な私(幼少期)のために鮭は基本紅鮭だったり。

自分が料理をするようになってやっと
食材の選び方、大きさ、味付け、食感
全部に理由があるってわかった。

これが「母ごはん」のおいしさの秘密だった。

私もつくりたい!

これまで漠然と
おいしいと思って食べていた母ごはん。


でもおいしさの秘密に
やっと気づけるようになったからこそ、
余計にお母さんからの「変わらない愛」
を感じて安心できるんだとわかった。

そして、
その変わらないあったかさと
母ごはんにつまった懐かしい記憶が
「実家に帰ってきた」と
感じさせてくれるんだと気づけた。

自分の家への帰路、
そんなことを考えていたら
ふいに母のつくる
「豚丼」が食べたくなった。

レシピを教えてもらったのだけど
「豚肉のくわ焼き」だよと言われて
その初耳メニュー名に衝撃(笑)

まだまだ母ごはんを深掘りしたいし
私も「食べたい」と言われるものを
作れるようになりたいと思った。


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