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ラジオより愛を込めて

10年経とうとする今も覚えている、5月の最初の月曜日。
高校に入学したことだし、何か新しいことを始めようかなと考えていた中、「そういえばこの前ネットで話題になっていたラジオ番組があったな、あれ聴いてみようかな」と思い出したのが夕方。
少しドキドキしながら夜を待った。

SCHOOL OF LOCK!』というラジオ番組がある。
''未来の鍵を握るラジオの中の学校''というコンセプトのもと、TOKYO FMをキーステーションに全国38局ネットで22時より放送されるその番組は、主に10代向けであるものの年齢問わずリスナーを"生徒''と呼び、番組に出演するアーティストやミュージシャンを"先生''と呼んでいる。
そしてこの番組のDJ、すなわちパーソナリティは"校長''と"教頭''。この番組———学校を率いているのがこの二人だ。


先述の「ネットで話題になっていた〜」のはその約2ヶ月前、この学校の初代校長であるやましげ校長が''退任''するという発表があり、4月1日、惜しまれつつ退任した。
その時の生徒の反応はとてつもないもので、私はそのニュースを高校入学前の友達作りで盛り上がるモバゲーで知ったのだった。
そうして少し時が立って、ふと思い出した。「そういえばあの番組、どうしてたかな」と。


22時の時報とともに、エレキギターの歪んだ音色で学校のチャイムのメロディーが流れた。
イヤホンからは黒板にチョークが当たる音、男性2人の賑やかな声。
事前に公式サイトで読んでいた"校則"に則ってみる。
「起立!礼!叫べーーーーーー!!!」
その声と一緒に叫びながら、自室のベッドの上に飛び込んだ。
それが、私の青春の始まりの瞬間だった。


初代校長退任後は2代目としてとーやま校長が就任し、それを支える形で引き続き初代教頭のやしろ教頭が番組のパーソナリティを務めていた。
就任してまだ日が浅いとーやま校長はとにかく熱くて、少し不器用ながらも真っ直ぐで、音楽に詳しく、それ以上に好きなものに対する熱量と愛が溢れた稀有な人だった。
聴いているこちら側も肩に力が入るくらいの力強さで生徒を励まし、時に真剣に話に耳を傾け一緒に悩む。緊張がピークに達するとメンタルゲロを吐く。就任以前から大ファンのPerfumeが来校すると好きがありあまった末に顔面が崩壊する"ドゥフる"状態になったと思えば、10代限定の夏のロックフェス『閃光ライオット』にてファイナルステージに進めなかったバンド達のことを思い号泣するという人で、そんな校長の人柄にいつしか惹かれていったのだった。


やしろ教頭の支えもありつつ手探りで放送を重ねていき、校長就任から1年が経とうとしていた2011年3月11日、東日本大震災が発生。
その日の放送は勿論中止になったものの、いつも生徒がメッセージを書き込む学校掲示板は稼働。寄せられたメッセージは真夜中の報道特番の合間に紹介された。
震災発生は金曜日だったため、土日は通常通り放送はなし。常時報道特番の中、明けて月曜日22時ちょうど、いつものようにあのギターチャイムが鳴る。
そのチャイムと声は、被災して避難していた私のラジオにも届いた。
真っ暗な室内。小さく灯された電灯の中で聴いたいつもの声に、涙が止まらない。
被災して4日目。『ようやく助けに来てくれた』と心から思った。
その時の放送について、とーやま校長は以下のインタビューにて振り返っている。

『震災直後のラジオ、とーやま校長が「変えなかったこと」 曲にも想い』
————2020.3.11 withnews インタビューより

番組として近年に至るまで被災地支援を行いながら、震災という大きな出来事を経験したとーやま校長は少しずつ校長として頼もしくなり、放送をやっていく中で相方のパーソナリティであるやしろ教頭が退任した後も2代目・よしだ教頭、3代目・あしざわ教頭を迎え入れながら歩みを止めず放送を続けていった。
番組の周年記念の放送で歴代校長教頭が揃った際は、それぞれの癖の強さに悪戦苦闘しつつもまとめ上げながら最後まで放送をやり遂げ、それを聴いて「校長、良い校長先生になったね」と思ったのだった。


時が経ち、社会人になってしまった後は好きなミュージシャンが出演するか、ふと耳にするかくらいに聴かなくなってしまった。しかしそれは、自立した証として番組にとっては良いことなのだという。
時たまラジオをつければ懐かしい声がそこにあって、母校に帰ってきた感覚がある。
そんなノスタルジーの終わりが告げられたのは昨年の9月30日。前週にあしざわ教頭が退任し、新体制についての発表がされるとのことで、当然のように新教頭の就任発表を楽しみに待っていたはずだった。


オープニングで告げられたのは、この先半年間の放送を校長ひとりで行うこと、その半年後である来年3月末をもって校長を退任すること。
退任の理由は、「この学校が好きだから」「生徒の君を信頼しているから」。
湧き上がる寂しさの中で受け入れ、納得する気持ちは既にあったけれど、いつもの「叫べ!」の後に流れたTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの『世界の終わり』は今までで一番悲しく聴こえた。

とーやま校長は、本当に稀有な人だ。
知識もさることながら、好きなものに対する熱量と愛は尋常じゃなく、それにまつわる些細な思い出やエピソードだって鮮明に覚えている。
そしてなにより、好きなものに対する愛を力や行動に変えることができる人である。

とーやま校長自身を作り上げた、愛してやまないミュージシャンが時折出演することもあった。
先述のPerfumeは勿論、The Birthdayや奥田民生さんが出演した際はファンとしての目線もありながら、昔の楽曲やライブの細かなエピソードを交えつつインタビューを行って話を深く掘り下げていく。

退任発表後は民生さんのスタジオでも放送し、最後にはとーやま校長が学生時代にカバーしたという『人の息子』を民生さんと一緒にセッションした。

ずっと好きという気持ちを持ち続けていたら、自分を作ってくれた憧れのミュージシャンと一緒にセッションする日が来る。
好きな人と大人になってから一緒に仕事をしたりと、夢を叶えていくとーやま校長を見るのが嬉しく、なんだか希望が持ててくるようだった。
なにより「好き」という気持ちが一番大事だということを、とーやま校長から教わった。
今だってこうして、とーやま校長に対する想いが文字となって溢れてキーボードを走らせている。


この学校にはひとつのルールがある。
それは「"未来の鍵"を見つけたら卒業すること」。
聴き始めて、もうすぐ10年。
根暗のくせに自意識過剰でスクールカーストから外れかけていた高校生は、ラジオをきっかけに友達ができて、夢は見つけたけど鍵をちゃんと掴めないまま大人になった。
あいも変わらず不甲斐ないけれど、当時よりも好きなものが増えた。世界が広がった。聴いている音楽も、ラジオ番組も。

将来のことについても真剣に考えるようになった。
だから、退任して次へ進もうとするとーやま校長のことを「辞めないで、行かないで」と引き止めることはできなかった。
自分は転職活動という、人生を次のフェーズへ進めようという気持ちを抱いていたから、おこがましいけれどなんとなく退任の理由がわかる気がして、それぞれ違う道に進むように背中を押してあげたいと思ったのだった。
あの頃、いつもしてくれたのと同じように。


この学校での思い出には、いつだってとーやま校長がいた。
音楽、言葉、考え方、沢山のことを教えてくれて、それらは私の人生を彩るすべてになった。
そんな日々も、あと1週間で終わる。
それでも、私にとっての校長先生はとーやま校長ただひとりで、それはこれからも揺るがない事実。
刺激的で、苦くて、愛おしい10年間だった。


職務を最後まで全うするその時、どんな曲が流れて、どんな景色が見えて、どんな言葉が紡がれるのだろう。
それらすべてを受け入れようと思う。
受け入れて、また会えるその日の為に大事にして、そしていつかその日が来たら笑い合えるように。どうか。


校長、ありがとう。
校長は私の青春そのものでした。



今夜も電波に乗ってあのギターチャイムが鳴り響く。
新しい春がもう、すぐそこまで来ている。



#あなたに出会えてよかった

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