大衆社会批判と記号学 現代人はいかにして思考停止状態になったのか
フリーレンが流行ってる理由がわからんって話題から広がっていき、なぜか大衆社会論と記号学に行き着いた今日のオプチャ。
サバイバル系こそ価値観の押しつけ合いで、それが流行る社会情勢にはその社会で「正しいとされる価値観」のない状態とも言える。
ジブリこそ価値観なき時代の象徴のような作品で、ロックやヒップホップでそんなんやりだしたのが90年代後半。そして、いまだにこんなのばっかもてはやされている。
本当に頭の悪そうな歌詞であるが、著作権の関係上、各自、ご検索ください。
社会や個人に価値観がないとどうなるのか。
「正解」を求めるようになる。
セカイ系は価値観を押し付ける=人類補完計画
正解を求めると今度は思考しなくなる。ファッションで考えるとわかりやすい。全身ブランドのダサい人いるでしょ?
小久保とか小久保とか小久保とか
「正解」のある物語もある。ジブリやディズニーや「水戸黄門」や「アンパンマン」や新海誠や細田守などなど。
それらをけして下に見るわけではないが、「レ・ミゼラブル」や「カラマーゾフの兄弟」と同じ格を持った作品だというアホはいないでしょ?
noteによくあるチラシの裏にでも書いとけばいい痛々しい日記と、清少納言の枕草子を同級に置く人はいないのと同様に。
目的のない物語は快楽原則が主題となる。「呪術廻戦」が戦いそれ自体を目的としているように。
そして、価値観とは、未来または目的のために、目先に快楽原則から我慢して、なにかをすることしないことである。
しかし、ここで潮目が変わる。
つまり、目先のことに左右される方がよほど高度なことをしていると言える。なぜなら、目的がある方が「行動原理が一本化され、いちいち考えなくていいから」という結論になる。
実存問題も実は根幹にある原因はこれ。それまで考えなくてよかった個人が暇になり、あれこれ考えるようになった結果、心が病んだり、または思考停止した状態で安易な選択をしていると。
実存主義のちょっと後くらいから心理学や大衆社会批判が出てきている。
そして、現代は…膨大な量の情報を浴び続け、理解をせぬままに過ごしている現代人。
現代人「領域展開無量空処(六眼ないけど」
現代人「思考がいつまでも終わらない…」
ナレーション「やがて現代人は考えるのをやめた」
地球規模で現象学的実存主義をしたら、情報多すぎてサーバーダウンやフリーズ起こすに決まってるでしょwww
記号学の根っこも情報過多にあり。ソシュールも記号学の分野にあると考えたら、言語も記号と言えるし、そもそも学問体系とは人類がいかに個別具体的に思考をしないように、手間を省いてきたかの創意工夫のような気がしてきた。
どこまでが思考停止かどこまでが思考すべきかの境界ももっと個別具体的に考えておくべきなのかもしれませんね←無量空処状態に陥った結論www
いつもチャットしてるオプチャ🤗かもん
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