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子育て#14娘の事~小学生低学年の頃~

小学生1年生になった娘には何人か放課後、家を行き来する友達ができた。

当時ヘルパー2級の資格を取ったばかりだった私は子供達が学校に行っている時間だけ、訪問介護の仕事をするようにしていたので子供達が学校から帰宅する頃には在宅出来ていた。

娘はある1人の女の子と特に仲が良くなり、よく遊びに行ったり来たり。

その子は頭も良く娘が上手く出来ない折り紙をテキパキと作り、娘にも順序だてて教えてくれたりしていた。


学年がひとつ上り2年生となり、クラス替え。

再び仲の良かった女の子とも一緒になった。仲が良くなったのは他にも何人かいてその数人でグループが出来ていたようだった。

1対1だった子供の関係性が、複数となり何人かと一緒に遊ぶ事も増えてきて、今日はあの子の家、今日はこの子の家…と約束してくるようになった。


しかし娘はいつの頃からかある女の子から「今日は一緒にあそばない」「嫌いだからあそばない」など強い言葉で否定的な事をされる様になっていた。


その子の事を知っている方からや、家に遊びに来た他の子供さんからや、女の子本人やそのご家族から少しずつ話を聞いた。

その女の子はとても情緒不安定だった。

ご両親が離婚しておばあちゃんとお父さんと3人で暮らしていたが、お父さんは新しい奥さんと再婚する事になり暫く女の子はおばあちゃんと2人暮らしに。

その後新しいお母さんとも一緒に住んだり、おばあちゃんの所に戻ったり。

ある時、赤ちゃんがもうすぐ生まれると本人の口から聞いた。

まだその頃まではそれほど娘に対しても酷い事はしてこなかった。

暫くしたある日。


娘は学校から泣いて帰って来た。

泣いて帰って来るなんて、今まで1度もなかったので話をきいてみたら。

例の女の子から手紙を貰ったと。

見せてくれたその手紙には「あなたがキライ」「ぜっこうします」「もうあそばない」などなど、私でも悲しくなる言葉がこれでもかと書かれていた。

娘は悲しくて悲しくて私の腕の中で泣き崩れていた。

少しだけ落ち着いた時、私は聞いてみた。

「どうしたい?」

「イッショ二アソビタイ」

酷い言葉を浴びせられても、傷付いても遊びたいようだ。

どうしたら良いか、どうしたいか?など娘とゆっくり話すことが出来て、最終的にはその女の子に、手紙を書く事になった。

手紙をもらって悲しかったこと

一緒に遊びたいこと

一緒に遊ぶと楽しいこと

一生懸命に手紙を書く娘が愛おしかった。

子供達の間には親は入っていくことは出来ない、と思っている。

もちろん親が介入しなければならないケースもあるが。

おそらくこの女の子は自分の心の揺れを友達にぶつけていたのだと思っている。

娘と1年生から仲の良かった女の子を一人占めしたかったようだったし、自分の云う事を聞いてくれる友達を優先して遊んでいたらしい。


マイペースな娘はあの子のこうして欲しいと思うタイミングをずらしてしまったり、右から左へと移り変わる心の動きについていけていなかったのかもしれない。

人の心はすぐささくれになる。傷が深くなると他人も巻き込むのだろう。


娘はその手紙を持って翌日学校に行った。

笑顔で帰って来た娘がいた。


もちろんそれからも度々その子は我が娘だけではなく他の子ともトラブルが続いていた。

それでも繋がっている。

やっぱり我が子とも。

ある時は日曜日に電話がかかって来た。

「今からみんなで遊ぶから。集まる場所が決まったら連絡する」

と連絡があったのだが、そのまま夕方まで音沙汰無しだったり。

「あの子の家に10時集合」と電話があり行ってみると誰もいなかったり。

かなり振り回されていた。

学年が変わるとその女の子とは途端に遊ばなくなり、別の女の子と仲良くなってそんな心配は要らなくなったが、人生の勉強は始まったばかりだったのかもしれない。

これからも成長し、たくましくのびのびと生きて欲しい。

懐かしくちょっぴりほろ苦い我が子の小学生時代。


これまでの娘の事です。

読んで下さると嬉しいです。

読んで下さってありがとうございます

今日も明日も良いことがありますように(芙蓉)




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