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松本剛選手

我が地元のプロ野球団である日本ハムファイターズの松本剛選手を見ていて、つくづく思う。人は、勝てる時は勝てる。運や実力差といった多少の負の要素など、はねのける勢いに乗る時がある。

人として差が開くのは、勢いに乗るまでの、勝てない不遇の時をどう過ごすかだ、と松本剛選手は教えてくれる。

彼は今シーズンにブレイクする前も、“名前だけは知っている選手”くらいの位置にはいた。ベンチではよく見る選手の一人だった。

同期の上沢選手や近藤選手が華々しい結果を残すなか、鳴かず飛ばずではあっても、それなりの存在感だけはあった。

今日の活躍に至るまで、並々ならぬ量と質の努力を重ねてきたのだろう。今年から台頭してきた野村・万波・清宮選手といった若手とは一線を画する“厚み”のような迫力を、松本選手からは感じる。

“結果”が人としての差を生むのではなく、“結果が出るまでのプロセス”が差を生み出す。

勝てないまでも、負けないためにどうするか。負けない一日を重ねていくにはどうするか。

試合に出られなくても、一軍のベンチに座り続ける。いつか巡ってくるチャンスを掴むために、準備を続ける。勝てないまでも、負けない日々が、今の松本選手を生み出した。

ジャンルがスポーツから音楽へと変わるが、今年30周年を迎えたMr.Childrenの桜井氏が、あるテレビ番組で答えていた。

「売れる・売れないは時の運じゃないですか。だから自分達は、バンドがどんな状況でも、その時生み出せる最高の音楽を奏でることに集中してきたんです。」

ヒット曲を連発してきた世代を代表するバンドすらも、結局は自分の最高値を目指すという、勝ちにいく戦い方ではなく、負けそうになる己と向き合う戦いだったという点に心を動かされる。曲が売れる・売れないではなく、今の自分が出せる最高値なのか、に照準が合っている。

人生というのは、つくづく長丁場で、圧倒的に勝てない時間の方が長い。歯車はいつも噛み合わない。

早い遅いはあれど、人生のどこかで気づく。世界は様々な都合と思惑と力学で成り立っていて、己一人の意志でどうこうできるものではないのだと。

自分は特別な存在ではない。世界の中心でもない。

世の中はそういう風にはできていない。

つまり、世間的に、客観的に、価値が測れるようなわかりやすい勝利や成功など、狙って取りにいけるような代物ではないのだ、と。

そこを悟るところから、本当の人生が始まるようにも思う。

それでも、大半の人は生きることをやめない。一定数、自死を選ぶ人もいるが、基本的に人は生きることを選ぶ。

野球もバンドもやめない。

私も40代に入ってから、勝つことへの興味は失ったが、負けないこととは何かという命題については、これまで以上に考え続けている。

人は勝たなくても幸福を感じられるが、負けていては決して幸せになれないのではないかと、そう思い当たることが多々あるからだ。

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