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短編小説「高所恐怖症」

湯煎さんからのTwitterリプライ「高所恐怖症」より

少女は脚立の上で震えながら、僕を見つめていた。
「多くの人が勘違いしているんだが、」
声のする方を見ると教授だった。
教授は少女を脚立から大事そうに抱え上げて地面に下ろす。
「こういった日常生活で使う程度の高さのものでも恐怖を感じるのが、高所恐怖症だ。」
少女は未だに落ち着かない様子で震えている。
「続きは部屋で話そう。」

少女はふかふかのソファーの端でその小さい体を沈めて、未だ落ち着かなげに膝を震わせている。
僕は彼女に何か出来ないかと考えていた。
頭を撫でて慰めるか。
そんなことを考えていると教授がマグの3つ載った盆を持ちながら部屋に入ってきた。矢継ぎ早に話の続きを始める。

「君は例えば高層階にいて、床がガラスだったら怖いかね?」
教授は僕にコーヒーのマグを渡す。
「ええ」
良い香りだ。
「そうだろうとも、それが正常なんだ。死を近くに感じるからね。その場合は高所恐怖症ではなく、高所恐怖癖と言う。私も無論その癖はある。」
続いて少女にココアの入ったマグを渡した。
「マシュマロとシナモン入りだ。元気が出る。」
舌を火傷した。だけど美味しいコーヒーだった。
「美味いだろ、ちゃんと挽いているんだから。ドリップにもコツがある。」
教授はにっこりと笑った。
実に美味しそうにマグを煽る。
そして僕の方に向き直るとこう言った。
「近くに良い店があってね、そこで買っている豆だよ。君はコーヒー豆を挽くかい?」
「いえ」
「そうか、まぁ気が向いたら行ってみてほしいね。そこの近くに良い茶葉の店もある。ラプサンスーチョンを知っているかい?」
「いいえ、すみません。」
「機会があればご馳走しよう。伝統的な紅茶だよ。」
少女が持ったスプーンがマグの縁に当たる。その音が心地良い。
「話は戻るが、高所が平気だなんて言っている連中は脳の危機察知能力が低下している様なものさ。」
教授が自分のこめかみを皮肉めいた笑みを浮かべて叩く。
眠い?
「彼女はね、他の人間に比べて感覚が鋭敏なのだ。より高い水準で危機を測っている。」
でもコーヒーは。
「その証拠に彼女は、」
そこで意識が薄れてソファーに倒れ込む。
「君が危険人物だと教えてくれた。」

「お手柄でしたね教授。」
助手が新聞片手に部屋に入ってきた。連続児童誘拐犯逮捕の記事はトップを飾っている。いや、見せしめにされているが正解か。
「あの子の手柄だよ。」
「あの高所恐怖症の?」
「彼女が教えてくれなければ、熱心に私の元へ通ってる学部の教え子が犯罪者だなんて、夢にも思わないよ。」
「あの子目当てで通っていたんですかね?」
「かもしれない。」

私は、この先彼女の高所恐怖症治療を進めるべきか、今一度悩んでいた。

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