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バットマン同人小説『罪の起源』

DCコミックス「バットマン」の2次創作短編小説です。
暴力表現、グロテスクな表現を含みます。また、バットマンが死ぬ世界線の話でもあります。ご注意ください。

蝙蝠が死んだ。 

犯罪都市と名高い、いや名低い?それも変な言葉だ。兎に角、ネズミさえ病気になりそうなこの街で、たった一人「犯罪」というウイルス殲滅に躍起になっていた男が死んだ。
野次馬の一人が、死んだ男の奇妙なマスクを恐る恐る剝がした。
野次馬たちはそれぞれ、目をまん丸にしてその顔を覗き込んだり、悲鳴を上げたり、隣のやつとあーだこーだと議論を始めるやつ、ただ息を飲んで見守っているやつとか、反応は色々だった。
俺はと言えば、ただ黙って見ていた。
その男の顔、無惨に眠らされたその顔には生前の面影があった。
街の人間なら漏れなく知っていた。街でも有数のホワイトな億万長者、有名企業の筆頭株主、慈善家、ハンサムなプレイボーイ。
そして親のいない子供。最後の一つは俺と同じだ。


自分の話をするのはあまり好きじゃない。
その代り、人の話を聞くことと、話を書くことは好きだった。
ライターという職業は性に合ってると思う。
人の話を聞いている内に、頭の中がジャイロみたいに回転しまくって、何かと何かが繋がって、新しい回路が生まれて、光って、思いついて、その思い付きを文章にしてみたりして、また繋がって。


その「回転」もホームレスの老人に話を聞いている時に始まった。


「俺もその昔はこの街で暴れてたんだぞ?知らないだろ小僧。」
その老人は差し入れが粗悪な合成酒でも喜んだ。あっという間に酔いが回って、自分の人生を語り出す。誰だって本当は自分の話を誰かに聞いてほしい。ましてや野良で孤独な老いぼれ。さぞや後付けで膨れ上がった”作り話”が聞けそうだ。俺はポケットに手を入れて、ICレコーダーの電源をオンにした。
「それっていつの話?」
「今って何年だ?」
その男は無名で有名な「掃除屋」だったらしい。
高級クラブ"ディオゲネス"(現在その場所はストリップクラブだが、)。その誰に対しての皮肉なんだか分からない名を持つクラブのオーナーは、店の切り盛りだけでは飽き足らず「掃除」の仲介業者を兼任していたらしい。懐がいつでも膨れた奴らから依頼を受けて、ターゲットは1週間もすれば街から消える。あまりに跡形もなく消えてしまうせいで、元からいなかったみたいに扱われた例もあるらしい。死体が出なければ事件にもならない。

「一人気の毒なご婦人がいたんだ。俺がある男の"処理"を済まして暫くした頃だ。その男は殆ど天涯孤独で、家族も友人も居なかった。消すのは楽だ、失踪工作をしなくて済む。だけどな、実はその男は毎週金曜になるとある花屋で花を一輪買い求める習慣があったんだ。その花屋の女主人が、男が消えたことに気づいちまったんだよ。それで男を探し始めた。付き合っていたのか、片想いしていたのかは知らんが、手配書を自分で刷って、街で配って回って…健気だよな。涙が出ちまう。」
老人は合成酒を煽る。
「それで?その女主人は?そんなことしてたらヤバイだろ。」
「その通り、掃除の依頼主は早々に事態を嗅ぎ付けて手を回したよ。花屋は違法な"花"を売っていたとして閉業、女自身はパラノイア扱いされて精神病院に送られた。そこで本当に気が狂っちまったで噂だ。」
俺は独房みたいな病室で、孤独に狂っていく女を想像した。皮膚がひりついて、至る所が粟立つ様な感覚に陥る。
「気の毒ではあるが、恋した相手が悪かったんだ」
その時に”掃除”された男は連続強姦魔だった。
孤独なレイピスト。日中はただ黙々と仕事を過ごして、夜は静かに女を襲った。印象は薄かったが、勤務態度も良く、評判は悪くなかったらしい。
羊の皮を被った狼。
そして被害者の1人は有名メーカー社長のご令嬢。
酷くやつれた社長は、血の滲む手で札束をディオゲネスクラブに届けたという。
「あの頃は、あんな蝙蝠野郎要らなかったんだよ。"街"でなんとかしたもんだよ。こそこそした"ルール違反者"を俺たちが静かに消していった。勿論治安はハナから良くなかった。だけど今みたいにキチガイなコスプレ野郎どもが闊歩して、今日は何が起きるんだ?って怯えてる様な、そんな街じゃなかった。」
俺はもっと話を聞いていたくて、差し入れ用の安煙草を箱ごと渡してやった。マッチも擦ってやった。老人は美味そうに吸い、昇る紫煙を眺めながら話を続ける。
「忘れもしない。アイツは突然街に現れた。いや、正確にはいつ現れたか分からん。気付いたら、ヤツは夜の闇の中に立ってた。暗闇の中じゃ、アイツが何処にいるかなんて誰も分からない。最初の頃は野郎が蝙蝠のコスプレしてることだって誰も知らなかった。大抵のヤツは会ったか分からない内にぶちのめされてる。みるみる内に街の"犯罪者ども"はとっちめられた。それこそ石も玉もごちゃ混ぜだ。ディオゲネスは瞬く間に解散、俺も面倒ごとは避けたクチで、業界を退いた。それで気付けばこのザマだ。まぁ悪かない。この街ならこれでも生きてはいける。こうして親切にしてくれるやつだっているしな。」
老人は片目を瞑って、にっこりと欠けた歯を見せてくる。
「ディオゲネスの他の"掃除屋"は?」
「大抵のヤツはビビって辞めちまったよ。そりゃそうだ。あの蝙蝠野郎、正体不明の殺人鬼みたいなもんだろ?人殺しこそしてないって話だが、ヤられたやつには半身不随のやつや、皮膚が溶けて口が裂けちまったやつもいる。いっそ殺してやった方が良い様なやつだって…。そんな狂ったヒーロー気取り相手取ってまで"ビジネス"を続けてこうってヤツはそれこそ狂ってるよ。だから、狂ったやつだけ残っちまったんだよ。分かるだろ?」
サイレンと銃声、壊れた様な甲高い笑い声が夜の静寂を引き裂く。
「嗚呼、またなんかおっぱじまるぜ、あんたも早いとこ帰りな。」
老人はそそくさと帰っていった。何処へ?

”蝙蝠野郎”が何故犯罪者を襲撃し始めたのか、詳しい事はよく分かっていない。そのせいか憶測が飛び交った。市警が用意した隠密部隊、大義名分を笠に着たサディスト、神秘思想家は神の使いと呼び、悪魔崇拝者は化身と。そしてある時、本人はこう名乗ったという。"復讐"と。噂だが。
街の至る所で犯罪者が叩きのめされた。噂はみるみる内に広がって、泥棒はピッキングツールを折り、売春婦は固定のパトロンを見つけ、売人は栽培キットを焼き捨てた。なんらやましいことのない一般市民でさえ、夜の街で酔うことが減った。
「もし酔って喧嘩でもしてみろ、"悪魔"にとり殺されるちまう」
店を畳んだ者も少なくない。俺の母親のパブもそうだった。
たった1人の行動で、街は大きく揺れた。


俺は気になる事があって、図書館へ向かった。
市警が毎年発行する犯罪統計の閲覧をリファレンス係に頼んだ。無機質な感じの男。角張ったフレームの眼鏡はその印象をさらに増長している様に感じる。
「学生さん?」
そんな男が私的な言葉を投げてきたことに驚く。
「生きているうちは学ばないとね、そうでしょ?」
「じゃあ私も学生割引で映画館に行ける。気に入ったよ、君なぞなぞは好き?」
眼鏡の奥で瞳が鈍く光る。最初の印象に比べて表情がよく動く男だ。
「好きですよ。じゃあ僕から一つなぞなぞを出しましょう。」
子供の頃に誰かから出されたなぞなぞを思い出して口にする。
男は戸惑いを見せるが、俺はそのまま後を続けた。
「"思うまま自由自在に動かせる、だが持つことは叶わない、私は誰?"」
リファレンス係は戸惑った様子から、転じて嬉しそうに頬を綻ばせる。
「答えは"影"だ。いや、本当に気に入った。さぁ、犯罪統計だよ。残念だけど持ち出しは出来ないから、閲覧が終わったらここに返却に来てくれ。」

俺が気になっていたのは"蝙蝠野郎"もとい"復讐"が現れてからの犯罪の推移だ。
出現当初、犯罪は減っている。
見るからに分かりやすい犯罪者ばかりが狙われていた。強盗や引ったくり。現行犯としての制裁。案外気の小さい"小者"達は、すぐに"仕事"から手を引いたのだ。
しかし時が経つに連れ、表向きにはソレと分からない犯罪者、ホワイトカラー犯罪であったり、街の必要悪とされていたマフィアにまで、その"復讐"の手は伸びていった。
この街では、多かれ少なかれ、犯罪に手を染めて生きている者が少なくなかった。皆収入が減り、夜を恐れ、街へ出る事も減っていった。この街らしい"経済"の終わり。その抑圧された力は、別の路へと流れ込んでいく。
"劇場型犯罪"時代の幕開けである。

元々犯罪をしていた者達は一線を退き、今まで力を内に秘めていた者、理性を働かせて自我を保っていた一般人がその"呪縛"から解き放たれて行動に出始めた。彼らは皆総じて奇妙なコスチュームに身を包み、派手な犯罪を好んだ。街中に火をつけて回った蝿、人々のトラウマを増幅する薬品を撒いたカカシ、警察を挑発する様な暗号を現場に残す緑ずくめの殺人鬼、サーカスを装って当時の市長候補をバラバラにした道化師。
"蝙蝠男"が現れて、犯罪は変わった。
俺の目にはそう映る様になってきた。


俺は知り合いのツテを使って、精神病院にアポを取った。
「アンタも物好きだな」
看守のように屈強な看護師はそう言って特別監房エリアへの扉を開けた。
「下手なことは言うな?名前も言わない方が良い。あと笑うな。OK?」
俺は頷いてエリアに足を踏み入れた。病棟らしい消毒液の匂いと下水の様なすえた匂いが混ざり合って、冷えきった廊下は更に身体を冷やす様に感じた。
精神病院の中でも指折りの患者が収容されたエリア。
「1番奥だ」
看護師の声が響く。
刑務所の面会室よりももっと分厚い透明の壁が、各部屋の廊下側についていて、俺は患者達と目が合う。どこを見てるか分からない奴もいたし、どこに目がついてるのか分からない奴もいた。見ない方が良いとは思いつつ、普段入る事が出来ない場所というのは些か要らん好奇心が湧いてしまう。
目的地である1番奥の部屋にたどり着くまでに色んな部屋があった。花で埋め尽くされた部屋、山程の帽子が積んである部屋、数字だらけの部屋、何もない部屋。

目的の部屋に着く。壁にはプレイボーイの付録のポスターが貼ってある。印刷された裸の女は"後から"道化師のメイクを施されて、口の部分は大きく裂かれている。間違いなくこの部屋だ。部屋の奥の暗がりにヤツは座っている。顔はよく見えない。
「君か、話は聞いている。もっと近付いて顔をよく見せてくれ。」
想像以上に落ち着いた声だ。しゃがれているが、こもりはなく、よく通る。しかし滑舌は甘く聞こえる。いや、特定の音だけが甘い。そうか、口の"形状"のせいか。考えを巡らせながら、部屋に一歩近づく。すると深く息を吸い込む音がした。そして男は宣う。
「エビアンのクリームを使っているだろう?香水は…レールデュタン…いや、しかし今日はつけていないな。」
「残念ながら俺はFBI訓練生でも、キュートな若い娘でもない。」
先程の落ち着いた声とは打って変わって、壊れた様な笑い声が響き渡る。
「ジョークの分かるガキは大好きだ。」
男は暗がりから転がり出る様にして、その姿を照明の下に晒した。
瘦せこけた躰、細く長い四肢。肌が見える部分は、纏っている患者服よりも白い。しかし真っさらではない。爛れ、歪み、溶けている。まるでシュレッダーにかけた白地図を無理やり継いで接いで、適当に陸と陸をくっつけた様な印象だ。そして、そんな真っ白な人型の顔部分に、一点目立つ真っ赤な三日月型。耳のそばまで裂けた口。定期的に縫ってはいるのかもしれないが、片側は縫い目が膿み、もう片方は歯が剝き出しになっている。痒いのか、痛むのか、男は時折そこをジュクジュクと搔きまわす。
そう、これが祖となる”道化師”だ。年齢は定かじゃない。今街にいるのはどれもコピー品だ。見た目をそっくりにしたところで、その狂気には違いがある。なんせ薬品タンクに落とされたのはコイツだけなのだ。コピー品の中には薬品タンクに飛び込んで"ホンモノ"になろうとしたやつもいる。しかし生還したのはこの男一人。
「ところで、一体何の用だ?クラリス君」
深呼吸をするー(奴を見ながらの深呼吸は、腐った匂いを感じさせた)ーそして話を切り出す。
「”蝙蝠男”が現れてからの街の変化を調べてる。”古参”の話が聴きたくてね。」
咽たような、堪え切れずと言ったような笑いが裂けた三日月から零れ出る。
「ジョークが分かるやつも好きだが、命知らずも大歓迎だ。あの変態コスプレ野郎の話を聴く為だけにここまではるばる来たってか?」
こちらに近づき、何かを探すように目を剥くと眼球を激しく動かした。
同時に鼻をひくつかせる。
視力が殆どないのかもしれない。
白目の部分は紫がかって充血しており、中心は灰色に濁っている。
俺が畏怖を覚えて後ずさると、その微かな音に反応して眼球の中心がこちらを向く。
「折角来たんだ、土産をくれてやる。アイツのせいでこうなった…よく見てろ?いいか?目を逸らしたらお前もお揃いにしてやる。いいか?」
男は裂けていない方の口の縁に両手の小指を引っ掛け、ゆっくりと上下に広げた。膿んだ縫い目が引き攣っていく。膿と血が混ざった液体が滲み出る。見たくない。でも目を開いていた。相手には見えていないと思っても。
そしてついにプツンと弾けた。濁った赤い汁が俺の眼前にまき散らされる。思わず目を瞑り口を押える。真っ暗な世界で男の叫びと笑い声が交互に聞こえてくる。俺は半ば逃げるようにして、廊下を引き返した。
「奴に会ったらこう伝えてくれ!お前のお陰で”明るく”になれたって!」
笑い声が笑い声が笑い声が反響して追ってくる。
こんなに廊下は長かっただろうか。入口が遠のいていく錯覚。貧血の様な眩暈を感じながら、なるべく早く脚を動かそうとする。
「待って」
女の声がした。花まみれの部屋の前。
無視出来ない声だった。
「これ、精神安定効果があるの。持って行って」
食事のトレーを出し入れする小さいゲートから一輪の花が差し出される。
甘い香りが辺りを浄化する様にして、嗅覚に届く。
何故か母を思い出した。
母はこういう匂いがする人だった。
俺の頭は急激に冴えていった。
視界がクリアになる。
皮膚が全てを理解する。
回っていく。
回っていく。


全ては繋がっていた。犯罪は感染していく。
犯罪の全ての中枢に蝙蝠がいた。まるで英国きっての名探偵とライヘンバッハの滝に仲良く落っこちた、犯罪王の教授みたく。張り巡らされた糸の中心に鎮座して、己が指すべてで器用に糸を操る。
蝙蝠どころか蜘蛛を連想してしまう。
彼が生まれて、元居た犯罪者は消えた。
市民は皆恐怖し、夜の街へ出なくなった。
(花のツンとした甘い匂い。精神安定効果がある。)
その隙間に過激な犯罪者が生まれた。
「あいつが仮装したから、皆パーティーだと思って仮装し始めたの?」
彼の蝙蝠コスチュームを見て、道化師は笑った。その道化師に釣られて笑ったやつがいて、それを見てまた笑ったやつがいて。
(浴槽。たゆたう髪。赤い波紋。子供の頃の泣声。)
名探偵のフリをした犯罪の温床。
皮肉な話。
「これが、あんたの望んだ街?」
俺は雨の中突っ立って、ビショビショで、気付くと花と母親の写真を握りしめていた。
街からは悲鳴とサイレンが聞こえる。


俺は”計画”を立てる事にした。
この街の犯罪の”中枢”を破壊する方法。


”蝙蝠”をおびき出す。
”市民”が平和な生活を脅かされていれば彼は来る。
"平和な生活"。笑いが漏れる。
精神病棟の仄暗い廊下に響き渡る、
道化師の笑い声がフラッシュバックする。

人質を演じるなら、本物の市民に限る。
俺は"古き良き市民"たちを焚きつけた。
取材をしつつ、彼らの中の、奥底に眠らされた、
"あの頃の記憶"を刺激する。
蝙蝠が我が物顔で犯罪者を叩きのめす、それより前の"平和”な世界。
俺は怖い者知らずだった。
当時の街の顔役を揃えていく。各方面の手練れが俺の言うことを聞いているという愉悦が湧いてくる。しかしすぐに頭を振って愉悦を払う。邪念は良くない。冷静に進まなければ、俺が殺されては元も子もない。俺は常に彼らへの尊敬の念を忘れず、あくまで”敵”へと目線が向くように声を出し続けた。
「街を取り戻そう」
彼らは着実に奮い立っていった。自分自身を取り戻していった。ぼんやりと宙を彷徨っていた眼差しは先を射抜く様に鋭くなり、曖昧だった口調はきびきびと明瞭によく回った。きっと昔はこうだったのだろうと、彼らの"あの頃"を垣間見る。


市民の"トラウマ"を克服する。
それが俺の"宿命"の様に感じ始めていた。


”善良”で”脆弱”な市民たちを跪かせ、用意しておいた”ガス発生装置”まで歩く。白衣を羽織って、ガスマスクを被る。
電源を入れて、スイッチを握る。
”薬品”で人質全員の身が危ないと錯覚をさせれば、すぐに手出しは出来ない。
そして準備を終え、俺は”舞台”の中央に立つ。
学園祭で舞台の主役になんらか嫉妬していた頃の自分を思い出す。
覆面だったら演じても良かった。マスクは”本当の自分”を引き出す。
その効果を実感する。
だからお前もそうしてるんだろう?
頭に思い浮かべていた蝙蝠マスクが暗闇の中からぬらりと現れる。
手出しが出来なければ、心理戦を駆使してくる。
その予想は見事に的中した。
だが俺におしゃべりする気はない。
やつが口を開く前に、俺は早々にスイッチを押す。各所に設置した噴霧器からガスが噴き出していく。どうせ顔を隠すなら口も隠すことをお勧めする、と言ってももう遅い。
解毒剤を注射した俺たちとは違って”蝙蝠”はその羽を折って膝から崩れ落ちる。しかし流石にタフだ、倒れずに持ちこたえる。
やつは東洋の忍の様な鍛錬をしていて、毒物への耐性があるという都市伝説があったが、あながち間違いではないらしい。
それでも効果はあったらしく、無闇に腕を振り回している。
そこから、かつての市民たちは速かった。
”蝙蝠”を一瞬でとり囲み、膝を砕き、羽を引き倒し、毟り取った。
反撃に遭う者もいた。それでも瞬く間に蝙蝠は無力化されていった。
悲しみがこみ上げるほど無様だった。
彼らの荒い呼吸、怒声、罵声、金属が擦れる音、激しく有機物がぶつかる音、雷鳴のように、何かが折れる音、絶叫。
俺は気付くとぼろぼろと泣いていた。


蝙蝠の亡骸は道端へと棄てられた。
マスクの耳は片方折れていて、頭部は割れ欠けていた。
血が渇いて固まった口元は、力なく開いている。
牙どころか、歯も残っていない。
目も口も奥が見えない洞窟を思わせる。空虚だった。
薄い漆黒の鎧はひしゃげ、接合部である柔い関節は正しくない方に曲がっている。飽きられたガレージキット。

”かつて”の市民たちは目をぎらつかせたまま、血と汗でまみれたまま、深い夜の街へと散り散りに消えていった。

そんな事が起きたって、”正しく”日は昇る。
”今”の市民が目覚めだし、息をし始める。
そして道端の、その孤独な亡骸を囲った。


街は蝙蝠が消えて変わった。
戻ることはなかった。
進むだけだった。
より混沌とした渦に飲み込まれていく様に、犯罪はその回転を増していく。
日々多くの者が何かを失っていった。
それは物質的な物であったり、時に理性であったり。


街で再会したリファレンス係は緑のスーツに身を包んで、大層上機嫌だった。そして俺にこう言った。
「やあ、友よ。今度は私がなぞなぞを出題する番だ。
『成し遂げようとすればするほど、失うものが増えていく。
私は誰?』正解すれば見逃してあげよう。」
男は愛想よく微笑む。
俺は蝙蝠が名乗った唯一の”名”を思い出していた。


放置された警察車両からノイズ交じりの無線が聞こえてくる。
「”道化師”が精神病棟から脱走、繰り返す、道化師が」


「まさかあのボンボンが蝙蝠野郎だったとはね」
道化師は笑う。その姿は狂っていて、それでいて寂しげに。
「ならおあいこってことになっちまう。」
裂けた唇を指でなぞって、目をぐるりと回す。
「あいつのママがしていた、真珠のネックレスが千切れて、落ちる音を、まだこの耳が覚えてる。この目に比べれば上等だろ?」
道化師の笑い混じりの吐息が顔に掛かる。


全部、俺の作り話だったなら。

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