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短編小説「夜を覗く時」

車屋彫医さんからのTwitterリプライ「42団地」より

黒尽くめは宵闇に紛れる。
夜の【散歩】にうってつけだ。
「趣味は?」と訊かれれば【散歩】と答える。
今日は何処に行こうかな。
今夜は、"どう"しようかな。


通称「42団地(シニダンチ)」。
別に42棟あるって訳でも無いし、番地でも無い。
名前の由来は諸説ある。八という字がつく村があったから。都市開発の際に42人の変死体が出てきたから。
自殺の名所だからとか。
変な噂が受け継がれるのも仕方がない程、この辺りは鬱蒼と木が生い茂っていて薄暗い。夏でもうすら寒かったりする。住人以外は殆ど寄り付かない。

「また来たの?」
彼女燻らす煙草から甘くほろ苦い香りが漂う。
年齢は知らないけど、10代にも見えるし、30歳と言われれば30歳にも見える。
背も鼻も高い。髪は高く結ってある。
相変わらず薄汚れた白衣姿。左肩にはクーラーボックス。
なんの仕事をしているのかもよく知らない。
「趣味ですからね。」
「あんまり良い趣味とは言えないなー。もっとヤングで楽しい事をしたまえよ。彼女でも居ないのかい?」
「女性から男子に対してもそれは今時セクハラですよ。」
「こんな美人にセクハラされれば本望だろう?」
認めるのは癪だが、認めざるを得ない。
勿論美人の部分である。
「推しがいれば十分なんですよ。」
僕はスマホの待ち受けを見せつける。彼女は画面を覗き込んで、
「まぁ3次元なだけ褒めてやろう。」
と言った。
「そんなこと言ってると老害とか言われちゃいますよー?」
「そっちもハラスメントだからおあいこだ。さ、今日も”上”来るか?」
「そうですね、暇ですから。」

僕が彼女に出会ったのは屋上だった。
普段錠前が掛かっている扉を見つけた。開くと屋上への階段になっており、昇っていくと彼女がいた。
彼女は双眼鏡を持って、住人の生活を観察していた。
それからというもの彼女に遭遇すると、毎度一緒に屋上に昇った。

「今日はなんか面白いものありました?」
「相変わらずの"生態系"だ。不倫、DV、虐待。DVは"初物"もある。あの娘も懲りないなー。また別の男に殴られてる。」
「通報とかしないんですか?」
「したことだってあるんだよ。むかーし。一つ覚えておくと良いが、他人が救える部分にはかなりの制限がある。結局は本人が自分の足で立って、自分で誰かに手を伸ばすくらいの気概がなけりゃ、助かるもんも助からない。」
「家裁の調査官もおんなじようなこと言ってたなぁ。」
彼女はクーラーボックスからドクターペッパーを出すと、自分の発言の口直しの様に苦い顔でぐびぐびっと飲み下した。
「君もやるかい?」
「ドクターペッパー好きじゃないですから。」
「飲んだことは?」
「ありますよ。クスリみたい。」
「こんな美味いクスリがあんなら風邪だって悪くない。」
白衣の袖で口を拭う。
「じゃあこれやる。」
がぶ飲みメロンクリームソーダが飛んできた。
「炭酸投げないでくださいよ。」
「オランジーナは振ってから飲むのが公式って知ってたか?」
「知りませんよ、ウワ。」
見事に溢れ出た。


ベタついた手が気持ち悪い。
その時目の上を何かが煌めいた気がした。


「お、流れ星。」
彼女はすかさず目を閉じて何かを祈った様だった。
僕も後を追う様に祈る。
目を開いても、彼女はまだ目を瞑っていた。
ようやく目を開いた彼女に、
「何をお願いしたんですか?」
と訊ねると、
「平和。」
と答えた。
「君は何かお願いしたか?」
「いえ、別に。」
ここでは言わないでおく。
「そろそろ帰りますよ。また。」
「そうか。私はもう少し見てから帰るよ。気をつけて帰れ。」
僕は屋上を後にした。


階段。足音。


翌日、ネットニュースには"42団地"で女性2名の遺体が発見されたと報じられていた。
1名は一室にて性的暴行を加えられ、現場にあったと見られる包丁で刺し殺されていた。
もう1名は屋上から転落。自殺の可能性が高いとされているらしい。
2つの事件に関連があるのか調査中らしい。

1人は知らない。
もう1人は知っている。

僕の服には、まだ煙草の香りが残っていた。


今日も僕は【散歩】に出掛ける。
今日は何処に行こうかな。
今夜は、"どう"しようかな。

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