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短編小説「此処から見える景色」

※じむじむさんからのTwitterリプライ「シンギュラリティ」よりー

老人は心底重たそうに口を開く。
「俺たちが若い頃、人工知能が人間を支配するってのは、単なる空想に過ぎなかった…。」

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当時人類は、より人体に近い義手義足の開発から義体開発に着手を始め、それと同時に人工知能を持ったクルーの量産をしていた。
この時代に流行っていたスマートホン。これもある種、人間の擬似脳と化していて、人間は記憶する事、自分の手で何かをすることをやめ、徐々に機械に脳の機能を委ね出していたのだ。
擬似脳による外部メモリ。記憶に限界はなくなり、知識も頭に入れる必要なく、いつでもネットから取り出せる。

そうなってしまえば話は早い。
自分の頭に人工知能を埋め込む者が出てきたのだ。
一般人ではない。高階層の人間だ。
彼らは既に老化に備えて、人工筋肉を使った義体への準備を進めていた。そしてそこに人工知能。
いつでも、どこでも情報を引き出し、彼らは忘れることがない。そう、全知全能、という言葉に相応しい者となり、その上肉体は老いることを知らない。

全てを知り、死を超越した。
人間はついに禁忌を破ったのだ。

ーーーーーーー

人工聴覚の調子が悪くなった。

僕の身体で唯一機械化してある部分。
幼い頃から聴覚が弱かった為、大きくなってから父がプレゼントしてくれた。
他は高くて、到底手が出せないでいる。

【八頭街】を修理屋に向けて歩みを進める中、前方、街の中央部に聳え立つ【塔】を恨めしく見上げる。

高階層の人が住んでいる高階層の塔。
僕は文字通り地面に立っている。

「義体修理」と乱雑に書かれた扉を開く。

「…ら…しゃ…」
多分いらっしゃいと言ったんだろう。
店の奥で影が動くのが見え、床が軋む。
のっそりと出てきた男は、老人だった。
長く伸ばした灰色の髪は一つに結われている。
額には大きな傷、片目は機械化しているようだ。
老人と言うには筋肉質で、とても体格が良く、
狭い店の中で窮屈そうにその身を縮めている。
「耳の修理をお願いしたいんです」

老人は耳を塞ぎ手を振る。
「修理出来ないんですか!?」
老人はびっくりした顔をしながら、僕の顔を丸ごと掴んだ。油と鉄のにおいがする大きな手に顔全体を覆われて、とても不愉快だったが、上手く身動きが取れない。
目の前は真っ暗だ。

ーーーーーーー

目を覚ますと、作業台に横になっていた。
そうだ、修理屋だ。
確かデカい老人に押さえつけられて…。

「おお、気が付いたか。すまんな、手荒な真似をして。しかしお前さん、耳が壊れたせいだろうが、恐ろしくデカい声で話すもんだから、ちょっと眠ってもらった。どうだ、直ったろ?」

しっかり直っていた。

「聞こえます。すみません、ご迷惑おかけして」

老人は首を横に振り、タバコに火をつけた。
今時タバコは、前身義体化が済んでいる高階層の嗜好品であり、低階層で吸っている者は返って少ない。
高階層の彼らは肺フィルターを定期的に交換しているらしい。生身の僕からすれば少し気味の悪い話だ。

「おじいさんは、義体化を?」
「いんや、かなり生身だ」
「それでもタバコを吸うんですね」
「タバコの煙で肺を汚す。それが人生ってもんだ」
「誰の言葉です?」
「昔読んだ本で便利屋だか探偵だかが言っていた。お前も吸うか?」
試しに一本もらってみる。珍しい体験はしてみろと父に言われているからだ。老人は少し嬉しそうに瞳を輝かせた。
口に咥えると、老人がライターを向けてくれる。
微量の熱を含んだ気が口の中に入りこんでくる。
思わず蒸せて咳き込む。
老人はカカカと小気味よく笑った。

ーーーーーーー

「AIに世界を奪われると恐れていた我々が、まさか人工知能になるとはね、あの頃は思いもしなかった」

【理事長】は遥か下にある低階層に冷たい視線を送りながら、昔を思い出しているようだった。

「しかし、実際なってみると、つまらんものだ。
分からないことはほとんどない。老いることもない。
刺激は最初だけ。仮想空間での遊びもほとほと飽きた。
義体になってしまえば、人間の根源的欲求は必要がなくなるのだよ。食べて、寝て、子孫を増やして、土地を広げて。そんなこと、こうなってしまっては必要がない。味覚はあっても食欲は失われ、眠くもならない。子孫など作らなくても、私は死なない。忘れることもない。」

違う。冷たい視線ではない。
羨んでいるのだ。生身の彼らを。過去の自分を。
あの頃には戻れない。

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「人工知能でも夢って見るんですか?」
老人は首を横に振る。
「好きな夢をインストールして見ることは叶うが、記憶の整理という作業がないからな。人間みたいには見ない」
「義体化しても涙や汗って出るんですか?」
「循環する意味が彼らにはないからな。まぁギミックとして、出すことは可能だ。俳優や娼婦には必要なんだよ」

悪夢にうなされて汗だくで目が覚める僕には、随分と羨ましい話に思えた。勿論、全身義体化出来るなんて、それこそ夢のまた夢なんだけど。

「さぁ、そろそろ店じまいだ」
老人は立ち上がって作業台の片付けをし出す。
「すみません、長々とお邪魔してしまって。お話面白かったです。また来ても良いですか?」
「なんだ、もうニコチン中毒か?」

笑いながら会釈をして店を出る。
辺りは随分暗くなっていて、月明かりが塔を照らしていた。
高階層は恨めしい。しかし、あの塔は美しい。目を見張るものがある。あの塔に住んでみたい。
低階層の誰もが持つ夢だ。塔に想いを馳せ、その間に寿命が来て死に絶える。
塔の彼らには寿命はない。

ーーーーーーー

「最後としよう」
【理事長】の言葉に、全員が頷いていた。
「反対の者は残れ。賛成の者は一歩進め」
全員が一歩進んだ。

ーーーーーーー

翌朝、街は大騒ぎだった。
上着を来て街に出る。
噂によると、塔の下に大量の義体が捨ててあったらしい。
低階層の人間がそれへ群がり、暴動に発展してしまったのだ。死者も出ているとか。
怪我人も随分出たのか、救急車のサイレンがひっきりなしに鳴っている。

きっと塔に住む彼らは、それを見下ろして楽しんでいるに違いない。
僕はタバコが吸いたくなっていた。

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