となりの森の(「みんな みんな いいこ」より)
森からね、
見たことないようなやつが飛び出して来て、走って行った。
だから、追いかけた。
嘘じゃない、本当だもん。
森にいたの、見たんだよ。
*
ゆりちゃんの靴を抱いて、リクくんは必死で言い張ったんだ。
「森」っていうのは 幼稚園の脇にある。どんぐり拾いに行く所だ。
いつも薄暗くて、誰かとしっかり手を繋いでいないと、迷子になってしまいそうな気がする。
高い木の梢を見上げれば逆に、くるくる深い穴に落ちていくような不思議な気持ちになる。
だからいつも森に行くときは皆、わざとはしゃいだりおどけたりした。
リクくんはその日初めて一人、そこに行った。
ゆりちゃんの赤い運動靴を持っていた。
頬が熱い。心臓がドウシヨウドウシヨウと鳴っていた。
お帰りの時間はとっくに過ぎているのに、ゆりちゃんはたっちゃん先生とおしゃべりに夢中で、いつまでも出てこない。
靴箱にぽつんと残されたゆりちゃんの靴を、ちょっと持ち出してみただけだ。すぐに「はい、どうぞ」って 出してあげるつもりだったんだ。
なのに、ゆりちゃんが、「靴がない」って泣き出した。
先生も他のお母さんも集まってきた。
こういう時ってさ、すぐに出て行けなくなっちゃっうんだよね。
少しして、とぼとぼ戻ってきたリクくんにマサエ先生が気づいた。
手にしたゆりちゃんの靴を、皆が見た。
*
──見たことない生き物って何よ
リクくんママは目を吊り上げた。
──見つかったし、もういいじゃない。ふざけただけよね、リクちゃん
ゆりちゃんのお母さんはいつも優しい。それでも ちょっといつもより、声が尖っていた。
──謝りなさい、ゆりちゃんの靴隠して 嘘なんかついてごまかして。ちゃんとごめんなさいって言いなさい。
──だって、見たんだ、だって、いたんだ。
リクくんも 声振り絞って繰り返す。のどがひくひく震えて上手く喋れない。
園庭に残っているのはもうリクくん達だけだ。
ゆりちゃんの靴探し手伝ってたお母さん達も 愛想笑いして帰っていった。
ゆりちゃんはもうすっかり泣き止んで、困った顔で俯いている。
ゆりちゃんのお母さんも
──もういいわよね、ゆり
と言い
──またゆっくり先生とお話しようね、お母さま方も、今日のところは……
マサエ先生も、リクくんとゆりちゃんの頭をなでた。
──お友達のもの隠して、嘘ついて……
リクくんのママだけはまだ、笑わない。
リクくんから靴を受け取って、履き替えていたゆりちゃんが、急に、
あれれ、と大きな声を出した。
──あれぇ、リクちゃん、ゆりの靴、何か入ってるよ。何だろう。
拾った覚えも入れた覚えもないのに ゆりちゃんの靴から大きなつやつやのどんぐりが二つ ころんと飛び出した。
「いたんだよね、こぉんなやつ」
ゆりちゃんが両手を広げて、大きな生き物の形を作った。
「こんなのと、こんなのも」
中くらいのと 小さい形も作って見せた。
二人で何度も繰り返し観たアニメに出てくる、大好きな「奇妙な生き物」だ。どんぐり運ぶ、不思議な生き物だ。
「いたんだ、本当にいたんだ」
アニメの主人公みたいにはしゃいでさ、
ゆりちゃんは踊るように跳ねると
リクくんの手を引っ張ってぐるぐる回り出した。
「いたんだね。ほんとにほんとに いたんだね」
ゆりちゃんは嬉しくて仕方ないって顔で笑う。
最初戸惑っていたリクくんもつられて、やっと笑った。
「お母さん、帰ってリクちゃんといつものビデオ観る!」
ゆりちゃんがリクくんの手をしっかり握ったまま そう言った。
*
ゆりちゃんのポケットには、いつもお気に入りのどんぐりが、入っていたのかもしれない、
リクくんがそう思ったのは、それからずっとずっと後のことだ。
それでもさ、その時のことを思い出すとリクくんはいつも、
森の方からあの「奇妙な生き物たち」が、
目を ぱちくりさせながらこちらを伺っている様子が、
目に浮かぶんだ。
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