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やさしい黒、やわらかな闇(「公園の童話」より)


 公園の秋も過ぎてゆき、じいさん桜のきれいに紅葉した葉もすっかり落ちてしまいました。

「なんだか寂しくなっちゃったね、桜じいさん」

立ち止まって眺めていく人もなくなった自分達の裸んぼの姿を少し不満げに見ながら、若い桜は言いました。

「やって来るのは 猫だけだ」

 じいさん桜の幹は立派で太く、冷たい風をしっかり遮ります。葉を落としたこの時期には、そばに気持ちの良い陽だまりもできます。黒猫はいつもどこが公園の中で一等暖かいか知っていて、のそりやって来てはうつらうつら眠っています。

黒猫はじいさん桜と昔からの馴染みのようでありましたが、毎日傍にいても特に何か話しをする様子もありません。若い桜はそんな黒猫とじいさん桜を、少し不思議な思いで見ておりました。 

「あ、黒猫。私、猫は大好きなんだけど……黒だけはダメなんだよね」

「うんうん、解る。なんか不気味な感じするもんね」

制服の女の子たちが、お喋りしながら通り過ぎて行きます。

「あーあ、朝から黒猫横切ったぜ、不吉、不吉」

「あっちから回って行こうよ、お兄ちゃん」

公園を抜けて学校へ向かう兄弟が、その日は道を変えて行きます。

「シッ、シッ、あっちへ行け」

石を投げる男もいます。 そういう時若い桜は、黒猫に何も声をかけないでいるのが随分と薄情な気がして じいさん桜を伺い見ます。

「黒猫は不吉なんかじゃないよ。幸運を連れて来るって聞いたもん」

たまにはそんな風にかばってくれる子どももいます。若い桜は嬉しくなって黒猫の様子をチラと見るのですが、そんな時でも当の黒猫は全く気にも留めないという様子で陽だまりで目をつむったまま丸まっております。

「人間に興味なんかないっていう感じだよね、あの黒猫は」

ある日、若い桜はじいさん桜にそんな風に話しかけてみました。

「誰かを好きになった事、ないのかなぁ」

黒猫は今日も、近寄って来る気の良さそうな子どもからツイと離れ、いつもエサをくれるお婆さんが来ても、皿を置いて離れて行くまで知らん振りして待っています。

「あの黒猫が一度だけ ”女の子の猫”になった時のことは、今でもはっきり覚えている」

じいさん桜がぽつり、話し始めました。

「女の子の、猫?」

若い桜が聞きます。

「そう、女の子の飼い猫だ。その子はいつも同じ歌を歌いながらやって来るんだ。 とても優しい綺麗な歌だった。そして日向ぼっこしている黒猫を見つけると、必ず少し間を置いて座り、持ってきた本を広げて柔らかな声で読み始めるんだ。まるで黒猫に読み聞かせるようにね。毎日毎日同じようにやって来て、無理やり抱いたりエサで引き寄せたりもせず、女の子は猫と並んで座ってた。女の子の本を読む声は心地よく響いて、猫はうとうと夢見心地になりながらも続きを楽しみに聞いているようだった。女の子が来るとき歌っている、その歌が聞こえるのをあいつが心待ちにしているのが、周りの誰にでも解かったさ」

「黒猫と女の子は仲良くなったの?ねぇ、桜じいさん?」

「そうさ、いつの間にか二人の間の距離は縮まって、肌寒くなる頃黒猫は女の子の膝の上にいたんだよ」

若い桜は、女の子の膝の上で気持ちよさそうに眠る黒猫を思い浮かべました。

「『寒くなるからずっと一緒にいようね。一緒にいたらこんなに暖かいもの』 女の子は黒猫を家に誘った。野良猫暮らしを結構楽しんでいるように見えた黒猫も 女の子の誘いは心から嬉しかったようだ。──女の子について行くことにした、 ちょっと照れくさそうな顔をして、私に挨拶してきたものだ」

「じゃあ、黒猫はなぜ帰ってきたの?捨てられちゃったの?」

じいさん桜は随分長いこと返事をしませんでした。その間 何か大切なことをゆっくり思い出しているようでもあり、その話の続きをするのを躊躇うかのようでもありました。

「黒猫と一緒にいるとき、女の子が咳き込んだり目を痒そうにしたりしてることに気づいてはいたんだ」

じいさん桜は少し辛そうに言いました。

「数日したら黒猫がふらりと戻ってきた。──どうした?ノラの暮らしが懐かしくなったかい?──ふかふかの布団なんて寝苦しいだけだったんだろ?皆が口々に 言って笑った。ほんとは 『お帰り、戻って来てくれて嬉しいよ』そう言ってやれば良かったんだけれども」

「女の子の身体は猫といると調子が悪くなったの?黒猫は皆に何と答えたの?」

「何にも言わんさ。黒猫はただ前と同じように暮らしているだけだ」

「女の子は捜しに来なかったの?」

「来たとも。何度も、何度も。──心配しないで。大丈夫だから、一緒に暮らしても 絶対大丈夫だから……泣きそうな声で黒猫を呼びながら、それは一生懸命捜していたさ。しかし黒猫は隠れてしまうんだ。そして女の子が諦めるまで出てこなかった」

「ほんとに黒猫はそれで良かったの?」

じいさん桜は枝を静かに揺らします。 

「本当に何が良いかなんて誰にも解からないさ。けれどあいつはいつもいつも、あの子の歌が聞こえる気がして耳を立てる。サワサワと風の音がしているそれだけのときでもね」

 お月様のきれいな夜です。

今日はどこかで野外演奏会でもしているのか、遠くから楽の音が聞こえてきます。じいさん桜の足元に、夜にしては珍しくフイと黒猫が姿を現しました。聞き覚えのある旋律に、黒猫は耳をピンと立て、立ち止まります。

「黒は 好きな色だ」

じいさん桜は音楽の一部のように静かに響く声で呟きました。

「お月様を際立たせる優しい夜空の色。小さな星の光を包み込む柔らかな闇の色」

  じいさん桜は ひとりごとのように続けます。

「とても 美しい色だ」

黒猫は黙ったまま、しっぽをゆるりと揺らしました。


《 やさしい黒、やわらかな闇 了 》


 ※お話の中の季節とは合いませんが、今回UPが7月になったので、七夕と黒猫の画像を載せておきます

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