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人の役に立つということ

今日はアートセラピーの学校の日でした。私のクラスにはいろんな人生、経験、いいことも悪いこともたくさん経験したからこそ、アートセラピーを学びたいという人たちが集まって、いつも刺激をもらったり、励まし合ったりしています。
今日はビーチで砂遊びの課題。
向き合うことが難しいテーマを個々受け取りながら、やってみたり、観察したり。

いつもたくさんクラスに貢献してくれてる人が、
「今日はあんまり役に立たなかった。時間を無駄にしてしまった」といいました。


わたしは彼女に会えてうれしかったし、彼女がおしえてくれた絵で書くコミュニケーションの手法も学んだ。
人生の闇も知っている人だから、そのエネルギーの変換能力に感動ももらっていたのです。
こんなに素晴らしいのに本人は自覚がない。
それどころか、役に立たなかっとさえ感じている。それが、とても悲しかった。


なのでわたしは伝えることにしました。これはお世辞じゃないんです。彼女のこころを軽くするために言うことでもなく、本当に自分が感じたことを仕えたかったから。あなたが来てくれて私はとてもうれしかった、と。


どこまで伝わったかはわからないけど。

彼女が彼女でいることと、彼女がやくにたたなかったとおちこんでいること。 その両方を見たからこそ、私が得られた気づきであり、彼女は役に立たなかったといっていたが私にはなかった視点をくれた。彼女がありのまま感じたことを言ったこと自体が、私にはとても役に立ってくれていたということを、さらに強く感じることができたのです。


一つのいい行いが循環していくイメージをするとき、最後の方って最初の循環の部分が見えてなかったりしますよね。そしてそこは、結局私たちにはあまり見えない部分だから。幼児教育と似ていて、幼児教育者の想いや、愛や、そこへそそいだエネルギーがどうなるかは、子どもが大きくなって見えてくるものでもあるし、見えてこなかったりもする。幼児教育が人生にかかわるすべてではないことも然り、環境や、本人の意思、そして、その人が自分で決めた人生の方向などもあるからです。

そういうことを考えるとき、本当に大事なことは、いいエネルギーの循環を作れる自分。
”自分でいる”っていうことが、循環のはじめなのかなっておもいます。

もし気分が悪くなっても、抱きしめて、なんでわるいのかな?ってきいてあげて。どうしたらいいのかな?気分悪いよねって共感してあげて。
学びはうけとって。
そしたら、それはもう、それだけで本当に素晴らしい循環をつくりあげてるってこと。まぁ、感情的になっても誰かの学びになることを信じてあとはまた見つめ直せばいいし。


なんかうまくまとめられんかったけど、言いたかったのは、
1. 役に立つ、ということは、なにか目に見える形で人に奉仕するということばかりではなく、ただ自分の本来の姿でいるということも同じくらい、またはそれ以上の素晴らしい影響力があるということ。
2. 本来の姿でいるには、自分に寄り添ってあげられる自分と対話して、どの感情とも仲良く共生するということ。そしてそのすべてを受け止めながら一緒に成長していく自分と二人三脚すること。
なのかな?と感じます。


対話の方法はたくさんあるのでまた機会があれば書きますね!

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