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【短編】「あたしの、けらいになって」
*この短編は、わたしの実体験を元に書きました。
登場人物の名前はわたしを含め仮名を使っていますが、書かれているエピソード自体はノンフィクションです。
「へえ、そんなこともあるんだ」くらいのノリで読んでいただけたら幸いです。
… … …
忘れられない、友達がいます。
……いえ、「友達」と呼ぶのはおかしいのかもしれません。
わたしたちは、そういう関係をちゃんと築けていなかったのかもしれません。
だってわたしは、その子の……「家来」だったのですから。
***
あの子に出会ったのは、小学一年生の最初の授業でした。
「へえ、『なずなちゃん』っていうの? あたしはね、『なな』っていうんだよ。なんか名前似てるね」
最初に話しかけてきてくれたのは、あの子……「ななちゃん」からでした。
小学校のいちばんはじめの授業は、「周りの人と自己紹介し合いましょうの時間」でした。
正直、あんまり楽しくなかったです。
まず、大きな白い紙に、自分に関すること(好きな食べ物や飼っているペット、言われて嬉しい事に趣味まで……とにかくたくさんのこと)をいっぱい書き連ねます。
白い紙が真っ黒に埋まったタイミングで、先生は教室の中の生徒たちをその場に立たせます。
そして、ストップウォッチ片手に「よーい、スタート!」と言うのです。
そこから十五分間は「自己紹介タイム」と呼ばれる時間で、教室のクラスメイトたちに声をかけて自分の自己紹介をしなくてはいけなかったのです。
同じ人に何回も声をかけるのは当然ダメだし、ひとりぼっちでウロウロしていれば先生に捕まって「どうしたの?」と声をかけられ手を引かれるし、……今思い出しただけで、お腹が痛くなってきます。
当時のわたしは、今以上に引っ込み思案で、知らない人がいっぱいの学校という場所が怖くて怖くてたまりませんでした。家を出た瞬間から、うまく口を開けない女の子だったのです。
そんな風にぼんやり困ったようにその場に立っていたわたしに……「ななちゃん」は気付いたのでした。
「へえ、『なずなちゃん』っていうの?」
ななちゃんの席はわたしの左斜め後ろでした。
ちょんちょん、とわたしの肩を叩いてななちゃんは明るく声をかけてきたのでした。
わたしの胸についた名札を見ながら、ななちゃんはニッコリ笑いかけてきます。
ななちゃんは、フリルのついた可愛いスカートを履いていました。
わたしはそういう女の子らしい洋服をあんまり持っていなかったので、なんだかドギマギしてしまいました。
頬が熱くなって、なんだか恥ずかしい思いが湧いてきたのを、今でもよく覚えています。
……でも、話しかけてくれてすごく嬉しかったです。
その「嬉しかったよ」という気持ちだけは、絶対に否定したくはないなと、今だからこそ強く思います。
***
女の子同士。近い席。似ている響きの名前。
この程度の接点でも、縁というのは結べるものです。
気づけばわたしは、ななちゃんと一緒に行動するようになりました。
ななちゃんとわたしは、とにかくあらゆる面で違う生活を送っていました。
まず、ななちゃんは習い事をたくさんやっていました。
ピアノや空手……その他、二つほど何かやっていた気がします。
その為毎日のスケジュールがびっしり詰まっている生活を送っていました。
「月曜日はコレがあって、火曜日はアレがあるでしょ。それから……」
ななちゃんが指を折りながら忙しそうに話し出した時などは、「へえ小学生なのに大変そう」なんて、自分も小学生のくせに思っていました。
わたしも、一応ピアノ教室に通っていた時期もありましたが……そもそもななちゃんとは違うピアノ教室に通っていたし、「楽しく弾ければいいのよ」というスタンスの先生だったので、正直そこまで真剣に練習をしていませんでした(……本当に、ピアノの先生には申し訳なかったと思っています……)。
だから、ピアノのコンクールに空手の試験に……と忙しそうにしているななちゃんが、少し不思議に見えていたのをよく覚えています。
そして、次に違ったのは家族構成。
わたしは六人家族(ちなみにわたしは四人兄弟の末っ子です)で、ななちゃんは三人家族。
わたしには上にお兄ちゃんやお姉ちゃんがいましたが、ななちゃんは一人っ子でした。
今考えれば、一人っ子だったからあえてたくさんの習い事をさせていたのかもしれませんね。小学生の女の子を家でひとりぼっちにさせているよりは、どこかの教室に通わせた方が親も安心できるだろうし。
それから、ななちゃんは大きなマンションに住んでいました。
しかも、ただのマンションじゃないんです。オートロックのマンションでした。初めて遊びに行ったときはびっくりしました。
ちなみにわたしは、家族六人、都営住宅で仲良くぎゅうぎゅう暮らしてました。これはこれで楽しかったです。
他にもわたしとななちゃんは違う所がいっぱいありましたが……それでもなんとなく遊ぶことが多い友達同士でした。
まあ、ななちゃんはわたし以外にも遊ぶ友達がたくさんいたので、わたしだけポツンと残ってしまう日もありましたが……わたしはあんまり気にしないようにしていました。
自分から積極的に友達を作りにいけないわたしが悪いのだ、という風にずっと思っていたし、一人遊びは保育園の頃から得意だったので、やり過ごすのは慣れていたのです。
ななちゃんが遊んでくれない日は家や児童館でのんびり本を読んで、ななちゃんが声をかけてくれる日は一緒に遊んで……という日々を一人で過ごしていました。
当時のわたしは、本当に受け身な人間だったのです。
***
そして、「その日」はやってきました。
その日は、初めての授業参観の日でした。
普段クラスメイトのお父さんやお母さんに会う機会なんてそうないですよね(まあ授業参観に来るのは大体「お母さん」だと思いますが)。
廊下に先生以外の大人がてこてこ歩いているのが、なんだか不思議に見えたのをよく覚えています。
うちの両親は共働きだったので、どちらも授業参観には来ませんでした。
ななちゃんの両親も、来ていませんでした(たしか、ななちゃんのお父さんとお母さんは、どちらも医療関係のお仕事をしていたと記憶しています)。
「なずなちゃんのトコも親来てないの? 一緒だね」
休み時間、女子トイレに行く途中でななちゃんは笑いながら言いました。
それからわたしたちは、二つか三つほど会話を交わしました。
正直、ここで何を話したかはよく覚えていません。多分、昨日見たテレビの話とかをしたのではないでしょうか。とにかく、大した会話ではなかったのだろうと思います。
……だって、その後の話題の方が、何十倍も破壊力のあるものだったんですもの。
「なずなちゃんさ、あたしの『けらい』になって」
……突然、何の脈絡もなく、ななちゃんは言いました。
――「けらい」。
わたしは、あんまりにもその言葉に馴染みがなかったので、首を傾げて「え? なんて?」と聞き返しました。
ななちゃんは、しれっと、もう一回言いました。
「家来だよ。なずなちゃん、あたしの『家来』になってよ」
けらい。……いや、「家来」。
脳内で漢字変換され(小学一年生でもこの程度の感じは読めます)、わたしはポカンと口を開けてしまいました。
頭の上には疑問符が大きく浮かんでいます。
友達から家来にまで格下げされる意味が分からなかったのです。
……それにも関わらず、わたしは次の瞬間にはこう答えていました。
「あ、うん。いいよ」
当時のわたしは、本当に受け身な人間だったのです。
その上、まともに「NO」を言えない人間でもありました。
そうです。
文字通り「NOと言えない日本人」だったのです……。
そんなわけで、授業参観のあったあの日を境に……わたしはななちゃんの「家来」になりました。
わたしはななちゃんの家来になので、基本的にはななちゃんの「命令」には絶対服従でした(この「絶対服従してね」という指示もななちゃんのものです)。
とはいえ、です。
命令は全部ショボかったです。
小学一年生の女の子が思いつく命令なんて、ショボいに決まっています。いや、「ショボい」という言葉選びは、なんだかななちゃんを馬鹿にしてるみたいで申し訳ないですが……でも、やっぱりショボかったです。
ななちゃんの命令には、大体二つのパターンがありました。
一つ目は、「毎日守ってよね」パターンの命令。
大丈夫です。この命令は、二つか三つくらいしか出されてません。
「毎日、『あたしと二人で』帰ること」とか「学校の休み時間はあたしの選んだ遊具で遊ぶこと」とかそんな感じの命令を出されていました。
特に、一緒に帰る命令は絶対に守らなくちゃいけませんでした。ななちゃんは、なぜかわたしと二人っきりで帰るのが大好きで、他の友達が混ざってくるのがあんまり好きじゃないみたいでした(まあその日の気分で他の女の子も入れて複数人で帰ることもあったんですけど)。
わたしは、ななちゃんのマンション前まで送らないといけませんでした。
今から思えば、「わたしは彼氏か」とツッコミを入れたくなります。
二つ目は、「その日の気分で言うよ」パターンの命令。
同じクラスなのに「校内で待ち合わせして帰ろうよ」と言ってきたり(そして待ち合わせ場所はなぜか女子トイレ前)、「公園で遊ぶよ」「駄菓子屋に一緒に行くよ」と放課後の予定を決められたり……という命令を出されました。
この手の命令は、毎日毎日くるくる変わるので、「ああ、今日はこういう感じの命令なのね」という感じで受け入れていました。
……わたしは、大体の場合、この命令を全部飲み込んで従っていました。
命令内容のショボさからも分かるように、嫌だと突っぱねるほどの命令でもなかったので、「まあいっか」ぐらいの気持ちで引き受けていました。あと、「NOと言えない日本人」だったし。
でも、……やっぱり。
「全部の命令に従う」というのは、……なかなか難しいものがありました。
いくらわたしでも、「これはちょっと……」と思う命令はいくつかありました。
例えば、「おままごと」。
児童館に置いてあるお人形たちを使って「○○ごっこ」という遊びをするのですが、その時わたしに回ってくるのはいつもボロボロのお人形でした。
失礼を承知ではっきり書きますが、そもそも児童館にあるお人形のクオリティはひどいものです。服にシミがあるし、瞳の色が剥げてるし。……だから、正直どのお人形も「超可愛い」とは絶対にならないのですが(遊ばせてもらっていたくせに本当にごめんなさい)、そんな可愛くないお人形の中でもトップで可愛くないお人形ばっかりわたしに回ってきたのです。
髪の毛はチリチリでボサボサ、服の裾もほつれているし、手には泥みたいなのがついていて、どんなに擦っても取れませんでした。
しかも、おままごとでわたしの発言権はなかったのです。
ななちゃんは、わたしのお人形の台詞まで全部決めていました。
「あたしのお人形が『○○』って言うから、なずなちゃんのお人形は『××』って言うのよ」
……こんな感じで、わたしはななちゃんの言葉に従って人形を動かすだけ。
しかも、なぜかわたしの台詞が毎回ダサいのです。
好きな男の子にフラれ続ける女の子だったり、テストで0点取り続ける女の子だったり、……「どんくさい」役回りばっかり。
私は、幼いなりに「ちょっとおかしくないかな?」と思っていました。
でも、わたしはハッキリと「これは嫌だ」と言えません。
ただ、我慢の限界を超えた時、つまり「これは流石にひどいよ」と思った時は、わたしは、むぐ、と口を閉ざすようになりました。
NOを言えないかわりに、「黙る」という技を使ったのです。
これもこれでどういう態度なんだと思いますが……わたしは、これで精一杯だったのです。
ななちゃんは、そういう態度をとるわたしを本当に嫌いました。
わたしが言う事を聞かない時は、ななちゃんは、ゆっくりとわたしの耳に顔を近づけました。
そして、言うのです。
「ばか」
周りには聞こえない音量で、こそこそ、ななちゃんは言うのでした。
何回も、何回も……ななちゃんは言いました。
「ばか」とか「あほ」とか「嫌なやつ」とか……選ばれる言葉は大体こんな感じでした。
単純な言葉だったけれど、すごく、傷つきました。
ななちゃんにとって、わたしは何なのだろう……とすごく疑問に思いました。
わたしはななちゃんぐらいしか友達がいないけれど、ななちゃんはわたし以外にもたくさん友達がいました。そのたくさんの友達はななちゃんの「家来」なんかじゃなくて、ちゃんと普通の友達でした。
家来なのは、わたしだけ。
毎日命令を出されて。
それに従わなかったら、露骨に嫌な顔をされて。
おままごとで言う言葉すら、わたしは縛られて。
なんとなく我慢ができなくなって、いじめのアンケートにこっそり書いたこともありました。
後で担任の先生に呼び出され、……一言、言われました。
「なんでこんなこと書いたの? なずなちゃんは、ななちゃんの隣でいつも楽しそうに笑ってるじゃない」
――他の人から見たわたしは、楽しそうに見えているらしい。
……わたしは、それが一番意外でした。
そして、「不幸せに見えていないなら、それでいいか」と思い、アンケートに書いたことは「勘違いだった」ということにして、先生に謝りました。
***
次第に、ななちゃんはわたしを見る度にイライラした態度を取るようになりました。
じゃんけんでわたしが勝つと、「なんで勝つの?」と言われたし、「こんな簡単な漢字も読めないの?」と辞書を引くわたしを馬鹿にしてきたこともありました。
そのくせ、「命令」は続きます。
今日はジャングルジムで遊ぶよ、一緒に白いチューリップを育てよう、公園で遊ぼう、一緒のクラブに入ろう……。
その日の気分でわたしに優しくしたり、ワガママになったり、嫌な態度をとってきたり、……毎日ぐるぐるぐるぐる変わります。
ここまで振り回されながらも、わたしはどうしても、「家来なんて嫌だよ」「もうやめたいよ」という言葉をななちゃんには言えませんでした。
ななちゃんが、怖かったからです。
ななちゃんが怖い。
この感情を決定的にしたのは、ある日の放課後のことでした。
その日のななちゃんは、たまたま「他の子とも一緒に帰りたい」という気分でした。
そこで、ななちゃんは「とみ子ちゃん」という他クラスの女の子を呼んできて、ななちゃん・とみ子ちゃん・わたしの三人で下校することになりました。
その日のななちゃんは、わたしに対してやけにイライラしていました。
「なずなちゃんは、あたしたちより先を歩いちゃいけないから。ずっと後ろを歩いててよね」
そういう「命令」をされました。
ななちゃんは、わたしがずっとずっと後ろを歩かないと、ぎろりと睨んできました。
5メートルぐらい後ろを歩いていればいい、なんてものではないのです。
50メートルぐらいは離れてないと嫌な顔をされました。
ななちゃんととみ子ちゃんの会話すら聞き取れない距離を一定に保って歩かないといけなかったのです。
とみ子ちゃんもとみ子ちゃんで、嫌な意味でノリの良い性格をしていて、ニヤニヤ後ろを振り返っては、
「あーーー!!! なずなちゃん、近づいてきてるっ!!!」
「ななちゃん、なずなちゃんがもう近いよっ」
「なずなちゃん、全然言う事聞かないじゃーんっ」
と、大声を上げました。
それを聞くたび、ななちゃんはどんどん不機嫌になりました。
とうとう、むすっとした顔を浮かべて、後ろをちびちび歩いていた私の前まで近づいてきました。
そして、目を三角にしてわたしに言ってきたのです。
「なんでもっとゆっくり歩けないの? これ、命令なんだけど」
そこで、ぷっつり、……何かが切れました。
次の瞬間には、わたしはしゃがみ込んでワアワア泣き出してしまいました。
胸の中に沸き起こっていた感情をどう表現すればいいのか……わたしにはよく分かりません。
悔しいような、情けないような、悲しいような、わたしが全部悪かったような、ななちゃんをずっと責めてやりたいような……。
とにかく、「負の感情」が爆発したのだけは確かです。
そこから先の記憶は曖昧です。
気づけばわたしは児童館にいて、ランドセルを背負ったまま、児童館にいたスタッフのおばさんの膝の上で泣き続けていました。
ずっとずっと、わたしは泣いていました。
スタッフのおばさんはわたしを膝の上に乗せたり、抱っこしてくれたりしながら、泣き止むまで側にいてくれました。
ななちゃんととみ子ちゃんは、泣き続けるわたしを物陰からじっと眺めていました。
その日はずっと、わたしは一人で泣きっぱなしでした。
***
そして、次の日。
ななちゃんは、教室で本を読んでいたわたしに近づいて、こっそり尋ねてきました。
「なんで昨日、泣いてたの?」
わたしは、本から目を離さず早口で答えました。
「知らないよ」
ななちゃんの命令は、その日もたっぷり出されました。
その日もわたしは、ななちゃんの命令に大体従って、「ちょっとこれは」と思うものはだんまりでスルーし、イライラしたななちゃんに耳元で「ばか」と言われました。
***
結局、ななちゃんとは9年ほどの付き合いになりました。
小学校だけじゃなく、中学校も同じだったので。
ただ、その9年間ずっと「家来」だったのかと言われれば、……そうでもなく。
違うクラスになったり、お互い違う友達ができたり、違う部活動に所属することになったり……。
次第に「違う環境」に身を置くようになったわたしたちは、単純に一緒にいる時間が減りました。
無事、「家来」は自然消滅したのです。
というか、ななちゃん自身が「家来」という言葉を忘れただけなのかもしれません。
どうやらそれ以外に夢中になれるものを見つけたらしいのです。
中学一年生の時、ななちゃんはわたしと一緒に下校してる際に耳元でこしょこしょ言ってきたのです。
「あたしね、今、『人間観察』にハマってるの」
そして、あの人はこういう所がある、この人はああいう癖がある、……と、クラスメイトの欠点をあげはじめたのです。
わたしはそれを聞きながら、内心、こっそり思っていました。
(――多分、わたしが一番『人間観察』してると思う。)
わたしは、高校はわざとななちゃんと違う学校を選びました。
その後の進路もまったく被っていません。
そんなわけで、今現在のななちゃんの様子をわたしは知りません。
働いているのか、それとも学生をしているのか……細かい状況をよく知らないのです。
ただ、去年までは近所のドラッグストアでバイトをしている姿を見かけたことがありました(そこでチラリと会話したところ、「韓国人の彼氏がいる」ということだけなぜか分かりました)。
でも、今年からドラッグストアでのバイトをやめてしまったのか、姿をぱたりと見なくなりました。
コロナなどもありますし、体には気を付けて欲しいな、と願っています。
***
オチらしいオチもないのですが、ななちゃんのお話はここまでになります。
色々書いてしまいましたが、この記憶たちは、わたしにとってもななちゃんにとっても、過去のものです。
ななちゃんもわたしも幼かっただけだと、今では思っています。
わたしも、だんまりという態度で反抗したのはよくなかったと反省しています。
でも、当時の幼さではそれが分からなかっただけなのです。
わたしも、ななちゃんも、あれから同じだけ時間を重ねました。
……あの頃よりはお互い大人になれているはずだ、と……そう信じています。
***
忘れられない、友達がいます。
……いえ、「友達」と呼ぶのはおかしいのかもしれません。
わたしたちは、そういう関係をちゃんと築けていなかったのかもしれません。
だってわたしは、その子の……「家来」だったのですから。
でも、わたしはあえてここに書こうと思います。
忘れられない、「友達」がいます。
――と。
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