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【短編】『花たばこを吸う、わたし。』

 わたしがたばこを吸い始めたのは、小学校六年生の頃だった。

 全てのきっかけは、――おばあちゃんが儚くなったこと。

 儚くなったおばあちゃんは、わたしたちの住むアパートからいなくなってしまった。

 その寂しさを紛らわす為に、わたしはたばこを吸うようになった。

 いつも吸っているたばこの銘柄は、これ。
 「花たばこ」。
 淡いピンクの星型の花弁の筒状花。
 吸い方は簡単。
 茎の長い所をこう……煙管みたいに持つ。で、茎にそっと唇をつける。

 そっと吸って、ふって吐く。

 黄緑色が、鼻を抜けていくのを感じる。わたしの舌も、きっとその色に染まってるんだろうと思う。
 たばこを吸う度、柔い色の花びらがそよそよと動く。

 このたばこの吸い方は、大体こんな感じだった。

 ……わたしは、何べんも何べんも、花たばこを吸った。
 おばあちゃんが儚くなっちゃった、その翌日から、ずっと吸った。

 家のベランダから空を見上げながら、小学一年生の頃に買ってもらった植物図鑑の「花煙草(ニコチアナ)」がある項目のページを大きく開いて膝の上に乗せながら……何時間でも、そっ、ふっ、て吸っていた。

 頭の中で、何べんも何べんも、吸っていた。

***


 中学に上がってからは、ビールも飲んだ。

 冷えた麦茶をペットボトルに入れて、めちゃめちゃに振り回す。
 そして、それをガラスのコップになみなみとつぐのだ。

 泡がふつふつと浮かんでいるその隙に、コップをガッと両手でつかんでぐいぐい飲み干す。

 顎を大きく上げて、体を反らす。
 麦茶が、しゅらしゅらしゅらしゅら、と通っていく。
 冷たい温度が喉を伝って、胃袋の奥まで直行していく。
 鼻では息がしづらくなって、口の中の麦茶の味が段々と薄れていく。
 自分が、何を飲んでいるのか、分からなくなっていく。

 そういう時、わたしは脳内からアルコールを取り出すのだ。

 右脳にこっそり隠してあるアルコールを、三滴ほど喉の方へと流す。
 脳からどうやって喉までアルコールを持っていくのか、その仕組みはよく分からないけど、とにかく流す。
 わたしはちゃんと、アルコールを麦茶に混ぜたのだ。
 それは絶対、そうなのだ。

 だから、わたしが飲んでいたのは決して麦茶じゃなかった。

 コップの最後のひとしずくまで、そうやって勢いよく飲む干せば、――それはもうビールみたいなもんだった。

 急激に冷えたお腹をさすりながら、……わたしはまたビールを飲んだ。
 何回だって、ペットボトルをふり回して、ビールを飲んだ。

 おばあちゃんが儚くなってから、わたしの周囲はいつも静かだった。
 お母さんは夜ちゃんと帰ってくる人じゃなかったし。お父さんと呼ばれる人は、最初から家にいなかったし。

 冷蔵庫の前に座り込んで、わたしは何杯も何杯も、ビールを飲んだ。

 飲まなきゃやってられなかった。

 中学の頃は、たくさんぐれた。

 頭の中で、信号無視をたくさんした。
 安っぽいケチャップみたいな、そんなどろっとした赤の信号になった瞬間、わたしは毎回毎回飛び出した。
 突っ込んでくる車はすべてすり抜けて、鬱陶しいクラクションには舌を出す。
 背負っていたカバンから、教科書を全部投げつけてやったこともあったっけ。

 それから、頭の中で、何回も家出した。
 家出のやり方はいつも同じ。
 まずは、リュックサックに二日分程度の着替えとお気に入りの本を一冊、最後に貯金箱を放り込んで家を飛び出す。ここでポイントなのは、静かに家を出て行ってはいけないということ。やかましい音を立てて扉を閉めなくちゃいけないということ。
 そして、足が棒になるまで、ひたすら歩き続けるの。途中コンビニに寄ってパンを食べて、……とにかく歩き続ける。止まってはダメ。
 「もう歩けないよ」ってなった所で、スマホで近くにネットカフェがないか調べる。
 で、その日はそこに泊まって……いや、しばらくそこに泊まることになるのかな。それとも、ずっとそこに泊まることになるのかな。あ、その前に貯金が尽きてしまうかもしれない。ううん、お金がなくなったら短期バイトでもなんでもして稼げばいい。うん、そういうことにしよう。

 とりあえず、わたしは中学校では一通りの悪い事をやってみせた。
 何回も、何十回も、何百回も、何千回も、何万回も、何億回も。
 ――頭の中で。


***


 高校生になってからは、頭の中で暴力的な事件を巻き起こすようになっていた。

 だってわたし、爆弾魔だったのだ。
 中でもわたしは、小型爆弾を作るのが天才的に得意だった。

 仕込みは夜からはじまっている。
 白い紙を小さく小さくハサミで切る。時にはカッターを用いることもあった。
 ちまちました作業で、気が遠くなるけれど……爆弾って繊細なものだから仕方がない。
 小指にちょこんと乗るぐらいの大きさのものを、目がチカチカするぐらいたくさん作る。
 そうやって作った小型爆弾を丁寧に折り畳んで、使わなくなったシャーペンの中にどっさり入れる。そうすれば、誰にもバレずに学校内に持ち込むことができた。

 裏でわたしの悪口を言っていたあいつ。
 目の前で嫌味を言ってきたあの子。
 わたしの表面しか見ていない先生。
 大して仲良くもないくせに絡んでくる後輩。

 無差別に人を選んで、わたしは爆弾を放り込んだ。

 掃除をする時に、こっそり相手のカバンのポケットに爆弾を仕掛ける。
 学級日誌に爆弾を挟んで、先生に満面の笑みを浮かべてそれを渡す。
 後輩の面倒を見ているフリをして、その子の筆箱にしれっと爆弾を入れる。

 小型爆弾を仕込んだあとは、やることは一つ。

「トイレ行ってくるね」
「それじゃあわたしは失礼します」
「困ったことがあればまた聞きに来てね」

 その場にあった適当な言葉を並べて、早足でその場を去る。
 早歩きで校門まで向かっていく。……焦る気持ちが湧いてきたとしても、絶対にここで駆け出してはいけないのだ。後から「挙動がおかしかった」と疑いを持たれちゃダメだもの。

 校門を出て、しばらく歩いて……「ここなら誰にも見られてないな」という所で立ち止まる。
 そして、電柱の影にしっかり体を隠した上で、はっきり言ってやるのだ。



「バン!」



――・・・って。


***


 そうやってわたしは、着実に「悪い人間」へと変わっていった。

 大学一年生になったわたしは、小学六年生のあの日と同じようにベランダから空を見上げながら、花たばこを吸っている。
 窓の桟に足を投げ出して、花たばこを吸っている。

 ……そっと吸って、ふって吐く。

 何年も繰り返してきた動作は、もう手慣れたものだった。
 黄緑が唇に触れて、たばこの匂いがわたしの鼻から肺を侵していく。

 “たばこの匂い”なんて、わたし、知らないけど。

 “ビール”の味も、わたし、知らないけど。

 “信号無視”した後の車のクラクションの音なんて、わたし、知らないけど。

 “家出”してる最中に食べるパンの味なんて、わたし、知らないけど。

 “爆発”の時に本当に聞こえる音を、わたし、わたしは……知らないけど。

 そういうことを、何回も何十回も、何百回も何千回も何万回も、……何億回だって頭の中で繰り返しやってきた。
 やってやった。

 どんな凶悪な犯罪者だって、何億回と同じ犯罪を繰り返せないでしょう?

 だから、それって……何回だって繰り返せるわたしは、ある意味「本物」なんだと思う。

 これがある意味では、「本当の私」なんだって、そう思う。


***






 耳の奥には吐息が残っている。
 いつか言われた、ずっと消えることのない、声の乗った吐息が残っている。

「あの子、付き合い悪いよね」
「いっつも机にかじりついて勉強ばっか。必死かっつーの」
「つか、あいつ、クソぼろいアパートに住んでるらしいぜ」
「知ってる! ゴミ袋いっぱい積んである所だろ?」
「あの子のお母さんの仕事、知ってる……? まじやばいよ、不潔」
「父親いないんだろ? 離婚してんの?」
「いや、もっとやべえ話だよ。だってあいつの父親……」

 クスクス……。
 ハハ、アハハ、ハハハ……。

「えー、あの先輩からテストの過去問もらうの? ……あの人、良い噂聞かないんだけど」
「でもさ、学園で一番頭良いって評判じゃん。利用しとこうよ」
「同級生からガン無視されてる人だよね? 何したん?」
「興味ないよ。そこら辺の人から噂掘り出してくれば?」
「ああいう被害者面した人ってさ、自分に優しくしてくれる人間に弱いから……テキトーにおだてとこうよ」
「あっは、超策士じゃん!」

 ヒソヒソ……。
 ヒソヒソ、ヒソヒソ……。

「先生ね、あなたの為を思って言っているのよ。……もっと他の子と馴染む努力をしたらどうなの?」
「は? 何? 悪口? ……気のせいじゃないの? それに、言われる方にも問題があると思うわよ」
「そりゃ、あなたのお家が色々大変なのは知ってるけど、それとこれとは別なんじゃないかしら」



「大変なのは、あなただけじゃないのよ」


 そして今朝、わたしのお母さんは……わたしにこう言った。
 その吐息も、べったり残っている。



「なんで大学行こうと思ったの? あんたって、お金ばっかりかかるわよね。……産むんじゃなかった」



 ……うんざりするぐらい、べったりと。


***


 ……膝小僧に、おでこをゆっくり近づける。

 こうやって小さくしゃがみ込む姿勢は、まるで……まるで、お腹の中の胎児の格好みたいだったけれど、わたしはそういうつもりでこんな姿勢になっているわけじゃなかった。

 お母さんなんて、意味がない。

 今までわたしの前に現れては消えていった、同級生や後輩や先生だって、彼らがかけていった私への言葉だって、……全部が意味のないものだ。

 そこに、「本当のわたし」は存在しないのだから、何を言われたってされたって、意味がないんだ。

 本当のわたしは、優等生でもなんでもない。

 たばこは吸うし、ビールも飲む。
 毎回信号無視をしてやるし、家出もする。
 それに……爆弾魔。色んな人に、暴力的な衝動を抱いてる。

 頭の中で、何回も何回も、繰り返してきた。
 何回も何回も繰り返して……本当になるよう、本当ってことにしてもいいよねって思えるようにしてきた。

 いや、「思えるようにしてきた」じゃなくて……そうなんだ。

 わたし、わたしは……悪い子なんだ。

 よくない人間。
 そう、よくない人間だ。

 膝小僧につけたおでこが、じわじわと熱を持ってくる。
 頭がずしんと重くて、鼻がツンと突き刺さるように痛い。

 ……たばこを吸い過ぎたのが、よくなかったのかな。

 それとも、もっと、他の理由からかな。




 ――ねえ、おばあちゃん。






 ――わたしも、早く儚くなっちゃいたいな。



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