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死の気配の中、ひとつの光がともる。『煌夜祭(多崎礼)』感想

深い青の表紙と、綺麗な表題に惹かれて購入しました。
紹介文からジャンルを想像する程度で、特に前知識もなく読みだす時の、わくわくする感覚が好きです。
やがて読者の想像の世界にあらわれ始める風景は、人々は、どんな風に絡まりあってどんな物語を織りなすのか。

渦を描くような見た目となっている地図「十八諸島臨海図」が、最初に掲げられています。中心には王島イズー。その島を中心として、三つの同心円が描かれ、それぞれの円の外周には少しずつ離れた形で島が点在しています。左下には気球が書かれていました。

序章は、二人の語り部が始めた「煌夜祭(こうやさい)」――互いが十八の島で集めてきた伝承を、島主の館で語り合い、夜を明かすという儀式で幕を開けます。

異世界で語られる口承文芸。
それはどのような意味を持っているのでしょうか。

日本では囲炉裏のまわりで。
「むかしむかし……」で始まって、「めでたしめでたし」や「とっぴんぱらりのぷう」など、定型の結語と共に終わるもの。
まだ文字も読めない子どもに聞かせる民話、それは娯楽であり、未知の冒険、新たな旅への誘いでした。

第二話を読んでいる時、この「語り」には必ず「死」がまとわりついているな、と思いました。
それはなぜなのか?

読み進めていくうち、これはただの「語り」ではなく、不老不死の生物「魔物」をめぐる、ひとつの大きな物語であることが分かります。
人を食べることでしか飢えを癒せず、人に恐れられながらも死ぬことが出来ない、哀しい「魔物」。

第六話で物語の核心が掴め、「うーんなるほど」と唸りました。
あやしげな語り部二人きりの煌夜祭が、なぜ始まったのか。
毒をもつムジカダケが生える意味や、酸の海に浮かぶ島、数の増えない魔物たち、語り部の正体、などの謎がだんだんと明かされていきます。

人物関係と人名が入り交ざり、私の脳内では処理しきれなかったのですが、相関図を紙に書いてみて、ようやくなんとか分かりました。

終盤に入る頃から最後に至るまでは、物語に引き込まれ、面白く読めました。今まで語られてきた、一見無関係のように思える話が、ひとつに集束していき、一挙にまとめあげる構成は素晴らしいです。
第七話の「すべてのことには意味がある」というタイトル通りでした。
人々の記憶が受け継がれ、語られ、続いてゆく歴史。

死の気配が充満するこの物語の中で、ただひとつ光っていたもの――それは、人であれ魔物であれ、大切な人を愛しいと思う気持ちでした。

勝ち目のない大戦の中、絶望に埋もれて。
眼前にひろがる、地獄のような惨状で。
愛する人を守りたい、けれど守れないという葛藤の中で。

そこには善も悪も意味をなしません。正義は主観でしかない、と私たちは知っているからです。
やがてすべては……記憶に溶け、歴史となります。

構成もさることながら、世界設定がとても興味深く、長編でも読んでみたかったと心底思いました。
酸の海に浮かぶ島々、蒸気を利用して島と島とを移動する飛行船、仮面をつけて島と島を渡り歩く語り部たち。

私は「観測士」という仕事が、特に魅力的でした。島の動きや蒸気の時間などを計算して、飛行船に乗る人々の命を預かる職業。航海士と同じようなものでしょうか。彼方に臨む隣島を眺め、蒸気塔から自らの島を見渡す。それはさぞかし、うつくしい眺めに違いありません。
しかし……。

この物語は、そんな当たり前のように思える日常の風景が、永遠に続くものではないことを思い知らされます。

それでも、人々の心に残って光りつづけるものは、確かにあるのです。
語り部が流した、一筋の涙のように。

異世界ファンタジーの無限の面白さを痛感しました。多崎礼氏に心からの感謝を述べさせて頂きます。

Photo by Jordan McQueen on Unsplash

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