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パートナーシップ③

出産


子どもが産まれる少し前から、夫は出産による母体の死亡率などを調べ、出産には絶対に立会いたいと希望し、私よりも出産を心待ちにしているようだった。
私は、名前は記号くらいの認識で、子どもの名付けに全く興味がなかったが、夫はとても大切にしているようで、出産前から「あ〜でもない、こ〜でもない」と大変そうだった。

そんなこんなで、新しい会社に入社して半年、無事に出産した。
夫は、希望通り出産に立会い、翌日からは夜の面会時間ギリギリに日参しては、新生児を抱いたり眺めたりしていた。
余談ではあるが、私が出産した病院は夫が移転事業に携わった元職場で、子どもを取り上げた産婦人科部長は、よく知る人物だったようだ。

ある日の夕方、慌てて病室にやってきた夫は「あれ程考えた名前なのに、旧字体が使えなかった!どうしよう!とっさに思いついた名前を申請しょうかと思ったけど、いったん持ち帰った」とのこと。
……1画くらい、減るもんじゃない(減ってるけど)し、そんなに気になるなら普段は旧字体で書けば?あんなに考えたのに、その場しのぎの別の名前にしなくて良かったね。
後日、退院日に一緒に申請に行くことにした。

退院後は、実家で2ヶ月弱過ごしたが、ここにも夫が日参し、土日は泊まり込み、夜間の授乳やミルクを手伝い、私の睡眠時間を少しでも確保できるよう努めてくれた。
子どもが産まれたことで、こんなにも人が変わるのか?私が知らない夫が出てきたようで、ただただ驚くばかりである。


職場復帰


期中での保活は困難を極めたが、なんとか良心的な保育園(家からは車で少し)に入園許可が下り、私はフルタイムで職場復帰を果たした。
復帰にあたり「乳飲み子がいるのに、本当に現場職(外勤)としてやっていくのか」と支店長に詰められたが、恐らく近い将来やってくる「私が一家の大黒柱」に備えるためには、それ以外の選択肢はない。
仕事内容への情熱(確かに、内勤職はアルバイトを含めてもほとんど経験がなく、苦手意識もある)を訴え、研修(入社時に保留にしていた2ヶ月分)開始までは内勤、研修後は現場職を承諾してもらった。

職場復帰の大事な時期なので、慣らし保育は夫がほぼ全てを担った。
生後丸2ヶ月、まだまだ新生児は夜泣きが酷かったが、我々夫婦もそれどころではなく、入眠前にしっかりミルクを飲ませ、夜中は自由に泣くに任せた。
すると、1週間もしないうちに夜泣きはなくなり、子どももよく寝るようになった。これは、本当に助かった。

日々のルーティンは、朝、私が車で保育園に送り、そのまま車で出勤、帰りも私が車で保育園に迎えに行く。
このため、原則公共交通機関での出勤しか認められない会社と交渉し、車通勤を認めてもらい、申請した。

夕食は適当に丼やワンプレートで作り(アクシデント前は、一汁三菜以上、結婚以来同じメニューは出さないようにしていた)、その他の家事は夫。
子どもを風呂に入れるのは、夫。
服を着せるのは、私。
ミルクは臨機応変に。

子どもの泣き声で寝れないから、別室で寝たいという夫の希望に合わせ、私は子どもを寝かしつけ、同室で入眠。
夫は、書斎とベッドルームの2部屋を占拠し、私たちの睡眠中は自由時間を満喫していた。
アクシデント後、夫の状態を心配した同僚が夫に釣りを教えてくれたため、休日前の深夜などから釣りに出かけたりしていた。

一方、私も休日の昼間は夫に子どもを任せて友人とランチに出かけたりしていた。


市の健診や家庭訪問


復帰後、2ヶ月(産後4ヶ月)経っても出血が止まらず、私は再度婦人科病棟に短期の入院をすることになる。
1週間の有休を使い、家では夫と子どもがはじめての2人暮らしをしていた。
夫は、絶対に公共交通機関での通勤しか認められない職場のため、朝早くから車で子どもを保育園に送り、家に車を戻し、電車で通勤し、帰宅後は車に乗って、保育園まで迎えに行った。

退院後も、有休がほとんど残っていない私は、子どもの4ヶ月健診などのために休むのは困難であった。
時間単位での有休取得も可能で、比較的有休が取りやすい夫が健診は担当した。
周りは母親ばかりで、稀に両親揃っている親子がいたらしい。

市からは度々着信があったが、当時は内勤だったため、私は電話に出ることができず、折り返せる時間には市役所が業務終了時間となっていて、いつまでも市役所とは連絡が取れなかった。

自宅への戸別訪問(後から良く確認すると、原則母親が対応するようにと書かれていたが、明確な理由は不明)については、私の携帯が昼間の時間帯に繋がらないからか?土曜日にアポ無しでやってきたらしい。
“らしい”というのも、私は友人とランチにでかけており、不在にしていた。
対応したのはもちろん夫で……

市の職員「お母さん、いますか?」
夫「いません」
市の職員「お母さん、お願いしたいんですが」(玄関から覗き込もうとする)
夫「だから、出かけていていません」
市の職員「……お子さんは?」
夫「いますよ」
市の職員「お母さん、いませんか?」
夫「だから、いませんって!」

このやりとりに辟易し、夫は今でも度々この市役所の対応を思い出し、不満を言っている。
本当に“母親に会いたい”市役所の執念の根拠は不明である。
役所には(保育申請のため)私の職場も届けてあるし、時間外にいきなり自宅に来るより、電話で時間外に連絡できなかったのか?

なお、この1ヶ月〜2ヶ月後の18時過ぎにかかってきた電話を、帰路の車の中で取ることができ、市役所からの執拗な「母親にコンタクトを取ろうとする」行為はなくなった。
全く、何だったのか……


単身赴任


〈これが、私たちのパートナーシップを現在のカタチに近付けた最大の転機だった。〉

出産から半年、ついに研修が始まり、私は2ヶ月間の東京出張(単身赴任)となった。
それまでに断乳を済ませた。

平日の夫のルーティンはこうだ。
・朝、洗濯を終わらせ、子どもにミルクをあげて、車で保育園に送る
・家に戻り、身支度をして電車で職場へ
・仕事が終わると定時ダッシュで帰宅し
・車に乗り換え、保育園にお迎えに行く
・帰宅したら、子どもを風呂に入れつつ自分も適当に洗い(バウンサー大活躍)
・子どもを着替えさせたら、ミルクをあげ
・私とテレビ電話を繋ぎ
・寝かせる
完全ワンオペのシングルパパ生活である。

毎週、水曜日の日中に義母が我が家に来て(誰もいないけど)掃除や家事の細かいこと、食事の作り置きをしてくれていた。

幸い、息子はよく寝る子どもで、最低8時間は目を覚まさないので、夫も睡眠時間は確保できていたようだった。

週末は、お金はかかるが、私が毎週金曜日の夜に帰阪し、日曜日の昼に新幹線に乗ることにした。
ちなみに、この2ヶ月分(内、月1回分は会社から支給されたが)の交通費は、結果的に義母が負担してくれることになった。

夫は、ほとんど出張の機会がない仕事ばかりだったことからか“出張は大変なもの”という刷り込みがあるようで、週末、私が帰っていても「母と子どもが一緒に過ごす時間」を大切にするようにと、家事は多めに引き受けてくれたので、私の体力的な負担は思いの外、少なかった。

私は、新卒後東京で6年半過ごしたこともあり、毎晩誰かと飲みに出かけ、産後、かなり自由な時間を過ごせた。
出張の多い仕事をしていたことから、毎週の新幹線往復も全く苦にならなかった。
昭和のお父さん的な生活は、とても楽だ。


〜つづく〜

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