『ぼくとルーツと今』
三十余年の人生を反芻(すう)するーー。紆余(うよ)曲折な生き方をしている・いたように思える。踏み込もう。
学生時代
非行少年ではなかった。ただ、周りに不良が多かった。特に中学生のころだ。
具体的には?
ーー剣道部の木刀が全て盗まれる。先輩や同級生がそれらを持って、他校に乗り込む、といった具合に、過激な非行を目の当たりにするのがつねだった。
ぼく自身はどこかシラけた目で眺めていた。
格好つけすぎでは?ムダな労力を割いてなにがしたいのかーー。といった具合に、ラディカルな暴走を「距離をおいて」みていた。
先述のとおり、非行少年ではなかったものの、学校のつくる恣意的な規範などには、反抗する精神も併せもっていた。
つまりは校則がなぜ必要なのか、なぜ押し付けるのか、と終わりのない「なぜ」に対しての反発心は抱いていた。
非行少年との違いはなにかーーおそらく、うっくつした感情を行動に移すかどうか。ぼくは冷ややかに感じられた。この理由は説明しようがない。
ぼくにはヤンキーのように、過激な行動をするのがどこかで「ダサく」思えたのだ。では、生真面目な学生でありたかったかというと、やや違う。
模範生になることを、とことん嫌悪していた。
態度・姿勢が教師に評価されるシステムは、まるで「媚を売る」卑(いや)しいものだと思えた。
一方で「学力」だけで自分を評価してほしい。ーー屈折した自己顕示欲求があったのは事実。
学習に励んだ時期はあった。同時に「得点評価」になんの意味があるのか、悶々としてもいた。
とはいえ、要領よく社会と、会社と折り合いをつけるには、ぼくが蔑視する「ゴマすり」も処世術だ。
つまるところ、学校は社会の縮図でもあった、と振り返る。
読書と映画にふれる「マセガキ」でもあった。
影響を受けたのは、松田優作と村上龍。松田の鬼気迫る演技に圧倒された。「野獣」のような姿に憧れを抱いた。
村上の過激さ、時に陽気さの溢れる小説に自己投影していたように思える。
絵を描きはじめたのも、中学〜高校時代から。言語化するのが難しい衝動から、ひたすら絵を描いた。
後づけの理由があるのなら、それは、学校体制に反発する意識と学校以外で「認められたい」。
家と学校以外の居場所を求めていたのかもしれない。
ぼくの居場所はスケッチブックの中にあったのかもしれない。
それから・・・
自称するものではないが「社会不適合者」だ。
4社以上、転職をしていた。要するに長続きしない。個人事業主として頑張ろうと意気込んだものの、なかなか上手くいかない・・・などなど、とにもかくにもうまくいかない。いまだに後悔した選択もある。
それでもいいのだ、と結果オーライな楽観をしている。なぜかーー。「諦める」ことの大切さを学べたから。いたくシンプル。多くの人は「継続は力」の美徳に縛り付けられているように映る。
ぼくは継続することと同じくらい、いや、それ以上に「諦める」ことには意義があると思える。息はずっと続かない。
それなら、ぜいたくをせず、いっそのこと、見切りをつけてしまった方が心がラクなのだ。
社会人「らしさ」に欠けるのは自覚している。
ただ、自己弁護するのなら「らしさ」の押しつけーー。これが、ぼくを苦しめるのだ。
それなら、と振り切っている。
そう。自分「らしさ」を大切にしている。見込みで今の生活を続けたら、何歳で「逝く」のかは、医師から告げられている。
--あくまで見込み。医学はウソをつくから、鵜呑みにはしていない。
といっても、だ。
それなら、と開き直っている。
ぼくは長生きすることを望んでいない。
短命でいい。
短命がいい。
振り返って満足すれば、それでいい。
生きた証拠だけは残したいーー。
この気持ちだけは何歳になっても減衰しない。ゆえにぼくはnoteに投稿する。絵を描く。教える。一定数の「誰か」に居た証明を残したいーーこの一点から、発信をつづけてゆこう。
自分を外に届けるのは、この上なく素敵だ。高揚感に満たされる。
ーー数ミリ程度、地に足のついていない、浮遊感を楽しもう。旅路はまだ、まだまだ、命があるかぎりは、続くのだから。
ところで、
ふと、思い出した。
ぼくの両親、父方も母方も愛人の子、つまり私生児だ。並行線のようなほかの家系図がどこかにあるのだろう。
その真実を知る日は、訪れないと思う。ましてや、自分のなかで知りたくない「真実」でもある。
眠る秘密に接近してなんの得があるのだろうか?
封をしておくのがいいこともある。そう思う。と、言いながらも、見方は変わるかもしれない。
感情は気まぐれなのだから。
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