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『プラトニックな浮気』

 これまでで一番本気な恋愛は、プラトニックな「不倫」だった気がする。

 今から4年ほど前の話。

 かの女には旦那がいた(今も婚姻生活が続いているかは分からない。かの女と連絡をとっていないので)。

 それを分かっていた。

 相手もぼくも。その上で、互いへの好意がーー不倫をしているという、背徳感に近いものからなのかーー日に日に増していった気がした。

 前の話なのにその記憶は鮮明だ。

 かの女に会いに、かの女の住んでいる県まで、夜行バスで向かった。

 揺られて約4時間。

 現地で落ち合い、居酒屋で3〜4杯ほど酒を呑んだ。酔ったフリをして、イチャつこうとぼくが迫った。

 恥も外聞もないとは、まさにこのことだと思っている。
 それなのに、なぜか性的な目でかの女を見られなかった。

 肉体関係は持たなかった。

 きっと本気で好かれたかったのかもしれない。

 軽々しい男でないと、見られたかったのかもしれない。

 肉体関係を持ってしまうことが、恐ろしかったのも事実かもしれない。

 余計にのめり込んでしまいそうだから。

 「恋は盲目」ーー。この陳腐な言葉がどうも好きになれないものの、「盲目」にならないよう自分を制御した。

 夜行バスのバス停で、「これが本当の『サヨウナラ』じゃなくて『また会う』きっかけだよね?」
 「うん。好きだから」
 「次はぼくの住んでいるところに来てよ」
 と言い、別れた。

 こうした具合に、プラトニックな不倫は、離れても熱を帯びていった。毎日、電話をしたり、チャットをしたり、と。

 夜行バスを使うほどの距離だから、とても遠い。

 遠距離不倫。会えない時が続いた。連絡をするだけの不倫関係。

 かの女の図々しさは承知だった。

 旦那がいるのに、ぼくに「好き」と言い、思わせぶりをする。多分、旦那との夫婦生活が円満ではなく、不満もあったのかもしれない。

 そのはけ口がたまたまぼくだった。
 そう被害者目線で見えもする。
 だとしても恨む気には、なぜかなれない。

 なぜか、今、再会しても相手を咎めることはないハズだ。多分、他愛もないことを話すのだと思う。

 バス停で「サヨウナラ」をしてから3カ月。

 お互い、激しい言い合いになった。原因は不確か。どちらにあるかすら、曖昧なくらいだった。

 隠れていた、もしくは、隠していた不満が、爆発したのかもしれない。

 結果、言い合いの果てにお互い、以降連絡を取らなくなった。要するに、ぼくたちの関係ともいえない関係は、終わった。

 ぼくはかの女を恨んでもいないし、かの女はぼくの記憶の中で、一番夢中になった女性だ。

 プラトニックな不倫相手に、一番夢中になるなんて、ばかげているかもしれない。

 ただ、ぼくは思うのだ

 相手を本気で好きになれたのは、ほつれた関係だったからなのかもしれない、と。

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