いつも心に太陽の塔。
起業する人にエールを
私の周囲の知人がサラリーマンを辞め、最近ドンドン「起業」している。
昨年からのコロナ禍で、会社の業績が悪化し、会社を辞め起業した人。
もしくはこんな時代だからこそ、自分の好きな道を歩もうと決意し起業した人。
動機は様々だと思う。
私はその知人達に「あなたなら成功する。」と尊敬の念を込めて伝えている。
例え「北極でかき氷屋をやってやる!」と意気込まれてもだ。
私は歳を重ねる事に、何かに挑戦する人を見ると、心を揺さぶられる気持ちになる。
「夢を追う」「やりたいことをやっていきたい」という気持ちは、本来人間誰にでも備わっている「本能」ではないかと思う。
否定的な周囲と失敗論
だが、起業を決意する人に対し、その周囲(友達/家族/親)は必ずしも味方とは限らない。
「お前じゃ無理だ」
「失敗する」
「やめた方がいい」
そう、失敗が怖いのだ。
おそらく、起業する本人も「失敗するかも」という己の中の数%の気持ちと戦いながら、毎日ポジティブに生きているのだろう。
「失敗するからやらない」のか「やらないから失敗するのか」
いや、そもそもやらなければ失敗すら経験できない。
では失敗とは何なのか?
「失敗とは人間にとって欠かせない行動結果」と私は捉えている。
今、こうしてnoteを書いている瞬間にも、世界各地で様々な「失敗」が起きている。
いわば、そこら辺で皆 大なり小なり「失敗」しているのだ。
その「失敗」を「成功」にする為に思考を凝らし努力するこの過程こそが、人間が一番楽しく輝いている時ではないだろうか。
ならば「失敗」というものを、真っ先にやらない理由にすることは無いのかなと思う。
「失敗」を恐れ、周囲の言葉を鵜呑みにしてやりたくない仕事をやって行く。
それが本当に自分自身の人生を生きているといえるだろうか。
さいごに
いつも心に太陽の塔。
今回はこのようなタイトルを付けたが、この太陽の塔は当初かなり批判を受けた。
この塔のデザインは大阪万博博覧会のテーマの「人類の進歩と調和」に対するアンチテーゼと、岡本太郎の「純粋さ」が形となって表れた(現れた)怪物だと思う。
その当時大衆は評価できなかった。
何故ならその時代にそぐわない、まったく初めての物だったからだ。
これを「良い」と言ってしまったら周囲に感性を疑われてしまう。
「少数派」よりも「多数派」。
周囲の考えに足並みを揃える「日本人的」考えだ。
今、こんな時代だからこそ、何かをするのであれば「普通」であっては成功は難しい。
インターネット レコメンド機能が日々進化して「AI」が人間の仕事を減らしている。
店舗に行かなくても欲しい物が届く時代が加速している。
店舗を経営し、お客を集客するのであれば
「なんだ、これは!」
と困惑するような「異常性」が店舗には必要ではないかと思う。
岡本太郎の言葉である。
私も夢を追いたい。
終わり
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