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純文学とはなんぞやという話

 純文学ってなに?

 「純文学が好き」と言うと、いつも返される言葉。

 そして、返答に困る私。

 こんにちは、名雪七湯です。

 純文学。純文学とは何かと考える事も純文学の一つ、という哲学的返答は基本、満足して貰えません。純文学と言えば、世間では芥川賞というイメージがあります。私も純文学を嗜む一人として、辿り着いた一つの「」を今記事で紹介させて頂きます。しかし、純文学の定義は様々ですので、是非、皆様の解釈もコメント頂ければ幸いです。

 先んじて、「純文学」の辞書的な意味を紹介致します。

 (大衆文学・通俗文学に対して)純粋な芸術性を目的として創作される文芸作品。(『岩波国語辞典 第八版』2019年 第8版第1刷発行 西尾実ら編 P714)

 一層、何もよく分かりません。

 「芸術性」の言葉の取り方によって、解釈が分かれます。

 ちなみに、純文学と一緒くたにされる「詩」の定義は以下のようです

 文芸の一つの形態。人間生活・自然観照から得た感動を、一種のリズムをもつ言語形式で表したもの。(同 P616)

 だそうです。こちらの方がまだ理解がしやすいと思います。

 という前置きはさておき、本題に入ろうと思います。

 私は純文学を読み自分でも書く程で、よく純文学とはなんぞやということを考えています。純文学は定義されないからこそ、純文学である、というのは言葉遊びのようでそれが事実だと思います。しかし、「純文学とは何か?」という問いに一定の解が欲しくなる。そういう時のために自分で考え辿り着いたものを、ここに記述させて貰います。

 純文学とは、ずばりメタファーだと考えます。

 メタファー、つまり比喩です。登場人物や展開が何かの比喩であると考えます。平たく言えば、「テーマ」を徹底的に描いた作品。

 例えば、小山田浩子さんの『穴』という作品があり、第150回芥川賞を受賞しております(2014 新潮社)。この作品では、田舎に移り住む夫婦が描かれますが、語り手である妻はある山の中で見たことも無い動物を追い掛け、「穴」に落ちます。そして、穴から抜け出してから彼女に見える世界は、穴に落ちる前と異なって感じ始めます。

 ここで重要なのは、何が何のメタファーであるか、を読み解くことです。

 以下、私の勝手な考察になります。

 『穴』の場合、「見たこともない動物」というのは「過去の自分」であり、結局その動物を捕まえることができないというのは、「過去の自分にはもう戻れない」ということの比喩です。

 田舎という空間は閉塞的であり、そのコミュニティごとに独特の空気感やルール、慣習があります。それまで住んでいた土地での日々はがらっと変わるでしょう。そして、語り手である妻は、田舎の歪んだ雰囲気に段々と汚染され始め見える世界が変わり果てます

 「穴」に落ちて世界が変わる。人生には大きな転換点がいくつかありますが、それは人生を後から振り返った時に見えるものです。そして、この小説ではその転換点を「穴」という可視化されたものとして表現します。

 あくまで私の考察に過ぎませんが、「比喩」という視点で作品を読むと全体図からそれぞれの意味が見えてきます。

 また、他の例を取ると、田中慎弥さんの『共喰い』(集英社 2012)で、この作品では「女を殴る父を心の底から嫌っているにも拘わらず、自分の彼女を殴りたい衝動に駆られる子供」が描かれます。またしても舞台は田舎であり、狭い人間関係の息苦しさや窮屈さが表現されています。

 今作では、父は「切ることができない血縁」の比喩であり、殴りたくないのに殴りたいという欲望は、狭いコミュニティで「正しさ」が歪みつつある様の表現です。比喩は物体や色など、「見えるもの」に使われるものであると考えられますが、私は葛藤や性質などの概念も喩えられると思います。それらを「象徴」と捉え、「寓意」と考えると分かりやすいかもしれません。

 余談にはなりますが、田中慎弥さんと言えば146回芥川賞を受賞された際に「貰っといてやる」とコメントしたことで話題になられた方です。与太話はさておき、本題に戻るとします。

 メタファーであるということは、代替性が産まれます。つまり、『穴』である場合「穴に落ちる必然性」は産まれません。「転換点」になっていれば、例えば、雷が落ちるでも道端でこけるでも寝て朝目が覚めるだけでもいいです。そしてそこにこそ、作家さんの感性やセンスが出ます。何かのメタファーとして何を宛がうか。その観点が作品を作り上げます。

 という訳で、以上が私なりの「純文学」の捉え方です。

 ただ、私の考えが絶対に正しいという訳ではないです。と同時に「比喩」という視点から物語を考察すると、作品がより深いものに感じられるでしょう。本を楽しむ一つの手助けになれば幸いです。

 また、どこかでお会いしましょう。


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