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「sonorité」レーベルのピアノの音はなぜ美しいか? ─プロデューサー・内藤晃の美学と2つの新作

 若いピアニストたちがしのぎを削る国際コンクールを見ていると、つい、それこそがクラシック・ピアノの唯一無二の世界であるかのように錯覚してしまう。しかし、オリジナリティやテクニックを競い合う演奏だけがピアノの全てではない。そもそも、作曲家自身がそうした価値観で曲を書いていない場合も多い。たとえばフランツ・シューベルトは、華やかなコンチェルトや大舞台とはまったく無縁の世界で生き、気の合った仲間と交友しながら沢山のピアノ曲を書き綴った。モーリス・ラヴェルも、パリ音楽院の在学時にはことごとく賞を逃し、サロンで地道に顔を売ることからキャリアをスタートさせた。

 どんな演奏が好きか、と内藤晃に訊く。少し考えたのち、「音楽を自己表現の手段にしていない演奏」という答えが返ってきた。「コンクールはある種の弁論大会です。けれど本来、演奏家の個性は、音楽に奉仕した結果として出てくるものだと思います」その信念は、内藤自身の演奏にも如実に現れている。作曲家や作品への探求を深めることから生まれる、過剰さを廃したナチュラルな表現がそこにある。

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「sonorité」(ソノリテ)レーベル  プロデューサー、内藤晃

 その彼の美学が、自身の活動にとどまらず、若い世代のピアニストにも光を投げかけたとき。
「sonorité」(ソノリテ)レーベルは生まれた。


『An die Musik - シューベルト・アルバム』鶴澤奏

『ラヴェル&ファリャ』神谷悠生


鶴澤奏、神谷悠生 sonoritéから新たにデビューする2人の魅力

 2021年2月にリリースされたsonoritéレーベル第1弾『Rebirth/大内暢仁』が記憶に新しいリスナーも多いだろう。パッヘルベルやブクステフーデなどのバロック時代の作品をモダン・ピアノで蘇らせた大内の演奏は、古楽、ピアノ、クラシック、ハイレゾほか幅広いジャンルのファンをざわつかせた。プロデューサーが30代の現役ピアニスト、内藤晃であることにも注目が集まった。「ピアニストの、ピアニストによるレーベル」──まだ若い内藤が、より若いピアニストをプロデュースする。筋の通ったレーベルとして成長していく予感はこの第1作目からすでにあった。

 そして9ヶ月後。コロナ禍による録音延期などのアクシデントを乗り越え、待望の第2弾がリリースされた。鶴澤奏の『An die Musik - シューベルト・アルバム』と、神谷悠生の『ラヴェル&ファリャ』の2作。両作ともデビュー・アルバムである。

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 鶴澤奏と内藤との出会いはコロナ禍のSNS。生演奏を聴いたことはなかったが、この時期盛んに行われた有志によるオンライン勉強会をきっかけに演奏動画を視聴し、「すごくいい」と直感した。「エゴが前に出ていない、慎ましく、ピュアでナチュラルな演奏」と、内藤は共感をこめて鶴澤の演奏を語る。
 そんな鶴澤を成長させたのは、バンクーバー音楽院教授のリー・カムシン。6年前のマスター・クラスでカムシンと出会い、彼が教える「エゴを抑制するピアニズム」に心動かされた鶴澤は、カナダに飛び、現在も同地で研鑽を積んでいる。
 デビュー・アルバムの最初の1曲であるシューベルト若書きのソナタは、師から与えられて取り組んだ課題のひとつだった。シューベルトについて鶴澤はこう語る。「あまりにもシンプルなので苦労したが、そこに漂う日常らしいくつろいだ雰囲気に、ますます共感を深めずにはいられなかった」「自分の心をどれだけシューベルトの音楽のそれに近づけることが出来るか」──。シューベルトを自分自身に取り込むのではなく、自分自身をシューベルトに近づけていく。作品に対するその姿勢は、内藤晃の美学にも通じている。


 神谷悠生は、実は内藤のかつての教え子である。指導のきっかけは、神谷の母が内藤の演奏に惹かれたことだった。神谷は当時中学生、内藤自身もまだ大学生で、指導経験も浅かった。「うまく教えられたか自信はない」と照れながらも、「神谷くんが自分の演奏を好きでいてくれたことはわかった」と言う。若い師の背中を見て学ぶように、彼は作曲家や作品の一次資料への興味を深め、知的な探究心を育てていった。
 端正で透明感にあふれた演奏が魅力の神谷は、デビュー・アルバムとして、自身が学んできたバロックや古典派以降のドイツ音楽ではなく、スペインにルーツを持つ近代の作曲家であるラヴェルとファリャの作品を最終的に選んだ。ラヴェルは「ごく純粋で透明な熱量」、ファリャは「主観的な感情の発露とは違う、客観的な熱さ」を持っていると神谷は言う。やや珍しいカップリングであるが、内藤からの助言を参照しつつ決めたという選曲には、神谷の音楽に対する感性と分析力が反映されている。

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11月29日、王子ホールでのリサイタルでも
透明感のあるラヴェルを聴かせた。
(写真: ナクソス・ジャパン)

楽器としての命を吹き込む──録音を支える2人の調律師

 内藤のプロデュース力は、アーティストの選定だけではなく、録音のための環境づくりにも現れている。

 ピアニストとしての実体験を通して、内藤には強い信頼を寄せている調律師が何人かいる。川岸秀樹がそのひとりだ。「透明感のある音の軌跡の美しさ」を作り出す川岸の調律と、「端正で透明感にあふれた」神谷の演奏。この組み合わせこそが最適と閃き、川岸と相談した結果、彼がメンテナンスを担当している小樽マリンホールのハンブルク・スタインウェイでの録音が決まった。
 新型コロナウイルスの感染状況の悪化で録音延期に見舞われ、出鼻をくじかれたような思いを味わったものの、気持ちを立て直して望んだ9月の録音では、神谷を長年知る内藤が「コントロールルームで唖然とする」ほどの研ぎ澄まされた演奏を見せた。川岸がこれまで大切に守り育ててきたホールや楽器こそが、神谷の「ゾーン」(集中状態)を生み出し得たのだろう。

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左から、川岸秀樹(調律)、内藤晃(プロデューサー/ディレクター)、
加賀谷昭仁(レコーディング&ミキシングエンジニア)、
神谷悠生(ピアノ)、夷石徳男(マスタリングエンジニア)


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万全の環境に導かれ、高い集中力を発揮する神谷


 鶴澤奏の調律を担当したのは、ピアノ・プロデューサーの高木裕。選んだ楽器は神谷と同メーカーのハンブルク・スタインウェイであるが、楽器の個性や整音の方向性はまったく異なる。「20世紀前半のピアニストを思わせる鶴澤さんの自然体な演奏には、高木裕さんが作る少し枯れた音が合う」──その内藤の読みは的中し、タカギクラヴィアが所有する3台のハンブルク・スタインウェイのなかから、鶴澤自身もお気に入りとなる1台が見つかった。
 会場は、録音向きのホールとして定評のあるコピスみよし。整音を「ピアノに楽器としての命を吹き込む作業」と語る高木は、ホール付の借り物のピアノよりも、自身が管理するピアノをホールに持ち込む方が、より質の高い整音ができると自負している。高木のコントロールにより、当作も、ピアニスト、ホール、楽器の特性が絶妙に組み合わさった録音に仕上がった。

 いずれも調律師の美学が反映された、ホール付のピアノと、持ち込みのピアノ。その対照性を聴くのも、このたびの2作を味わうポイントのひとつになるだろう。

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左から、高木裕(調律)、今井信介(アシスタントエンジニア)、
鶴澤奏(ピアノ)、北見弦一(レコーディングエンジニア)、
内藤晃(プロデューサー/ディレクター)


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相性ぴったりのピアノで、気負わず持ち味を発揮する鶴澤

“共鳴”を意味する「sonorité」の未来

 ピアニストは、他の楽器の奏者と比べて孤独になりがちだ。弦楽器や管楽器奏者のようにオーケストラの一員にはなれないし、アンサンブルにおいても鍵盤奏者が自分ひとりである場合が多い。近い世代であればライバルであり、年の差があっても師弟というタテの繋がりに終始することも少なくない。
 しかし内藤はレーベル運営というひとつの事業を介して、同じ美意識を共有する若い仲間たちと手を取る道を選んだ。集まること、連帯することは、アーティストの自活の手段であるとともに、芸術を守り育てる上で不可欠ないとなみである。たとえば19世紀前半にひそやかな芸術の揺籃の場となったシューベルティアーデのように。あるいは19世紀末から20世紀初頭に若いラヴェルを育てたサン=マルソー夫人やポリニャック大公妃のサロンのように。

 “共鳴”を意味する語「sonorité」が、レーベルの固有名詞として今後いかに存在感を増していくか。鶴澤・神谷の演奏をたっぷりと味わいながら、次のリリースを心待ちにしたい。

                 (文責:ナクソス・ジャパン)


『ラヴェル&ファリャ』神谷悠生
2021年12月3日配信/CD販売開始

『An die Musik シューベルト・アルバム』鶴澤奏
2021年12月3日配信/12月17日CD販売開始


【演奏会情報】
鶴澤奏 ピアノリサイタル
https://office-vega.net/event/20211213tsurusawa/
日時 2021年12月13日 19:00–21:00
会場 台東区生涯学習センター ミレニアムホール(東京)
曲目 シューベルト: 3つのピアノ曲D946、レントラーより抜粋
   ブラームス: 3つの間奏曲Op.117、愛の歌(連弾)Op.52a より抜粋