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日本の「べき論」について考える。

・「べき論」とは

まず初めに、「べき論」とは私が作った言葉です。「こういう時はこうすべき、ああいう時はああすべき。」というような昔から日本で育ってきた、私たちの当たり前になっている考え方を指しています。そんな「べき論」について思っていることを書いていきます。

・「べき論」に出会うまで

私は何も考えず、大学を卒業して就職しました。見えないレールのようなものがあったかのように、高校を卒業したら大学へ進み、3年生になると就活を始め、卒業したら入社をする。それに対して疑問に思ったことはありませんでした。

周りの友達も、そして兄弟もそのように進んでいたので、私にとっては当たり前でした。もちろん中には就職をしなかった友達もいましたが、それは完全なる少数派でした。

そうやって年を重ねるにつれて動くレールが、大学卒業後の4月になると私を会社員へさせました。その会社で働きたい!と熱い思いを抱いて入社したわけではありませんでした。行きたい会社への切符が手に入らなかったので、「内定」が出た会社に就職しました。

学生から社会人になることで高揚感や緊張感、不安などたくさんのものがありました。その時はレールから逸れた道を進むとは思ってませんでしたが、1年で退職をしました。

・「べき論」との出会い

実は、何度か転職をして今は4社目の会社で働いています。3社目から4社目に入社する前に半年ほどニートをしていました。ワーキングホリデーに行っている友達に会いに約1か月間海外へ行きました。

ゲストハウスで友達が働いていたので、私もそこに泊まって過ごしていました。もちろん友達は旅行で海外に来ているのではないので、私とはずっと一緒にいれません。アートが好きな私は毎日のように美術館巡りをしていました。

そこで見た光景は衝撃的でした。絵画にスマホを向け、写真を撮る人。スケッチブックを開き、床に座り込んで模写をする人、小学生くらい子たちが遠足?で美術館に来ていたり。

日本では美術館では静かに見る。自分だけの世界を楽しむもの。そういう考えが染みついています。そのせいでアートが好きな・興味がある若い人は少ないように思います。友達に聞いても、興味ないと言われます。「美術館」という響きが敷居を高くさせているのでしょう。

・「べき論」を変えたい

今まで思っていたこと、行動してきた当たり前の事は、当たり前じゃなかったんだと痛感しました。だからと言って、非常識が良いというわけではもちろんありません。そこがべき論という考え方だと思うのです。

日本全部のべき論を変えたいとは思いません。レールに乗っているだけで幸せを感じる人もいるでしょう。私はある分野のべき論を変えたいと思っています。それは自分が好きなアート分野です。

昔はみんな絵を書いたり、見たりするのが好きでした。友達の自由帳に絵を描き合いっこしたり。でも大人になると美術は敷居が高い、絵画の良さを分からないといけない、という考えがアートから遠のかさせる。難しく考えすぎなんですよね、きっと。本当はもっとシンプルなんだと思います。

・アート分野の「べき論」を変えるために

まず敷居が高いという考え方をリセットする必要があると思います。キングコングの西野さんのアートは共感しました。作品を飾るのは美術館じゃなくてもいいとの事、ごもっともです。でも街中にアートはたくさんあります。

なぜそのようなアートは注目されないのか。良くも悪くも街中のアートは馴染んでしまっているんですよね。アートを作る喜び、知る喜びを体験できれば考え方は少しでも変わると思ってます。

まだ何もできていませんが、これからアートのワークショップなどをしたいなと考えています。本物の野菜を使ってアルチンボルドの絵を描いたり。ワクワクしません?

小さなことでもそれがきっかけになって、アート分野のべき論が変わればいいなと思います。

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