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文トレDAY83 56-プロジェクト編(1)アメリカンスクール
プロジェクト編では、単に中年男の自慢話にならないように、どんなプロジェクトをどんな切り口で挑戦したか。それが出来上がった後がどのように使われ社会に貢献するのかという観点で書いた。
私は、劇場の照明設備のデザインも行っている。
コンペ案件は(形)と(できばえ)の外観の美しさなどが評価の基準になることが多い。海外の案件は何件か設計したが、本当に使われて価値を創り出していく役割を劇場が果たしているのかどうか疑問に思うことがある。
そんななかでも本当に使われるものを作った時設計した喜びを感じるものなのだ。
アメリカのカルチャーを肌で感じる瞬間でもあったのだ。
アメリカンスクールなので高校だが、高校と侮るってはいけない。
それを説明すると少し長くなる。アメリカの演劇に対する市民の感覚は、日本人のそれと全く異なる。会社に属しながら演劇をする人は結構多い。それも素人では無く、地元にミュージカルがあるとオーディションに出る程度のダンスのスキルはある。会社側もそんな活動を積極的に応援するスタンスを持っている。地域でミュージカルがあると会社で応援したりする。
アメリカのミュージカルは、演じる方もプロなら、観る方もプロなのである。
コンサートに行くために会社に恐る恐る早退届けをだす日本とは雲泥の差である。
自ずから高校での演劇もかなり本格的になる。舞台セット美術を制作する工房、照明装置、音楽する為にリハーサル室があり、舞台の前にはオーケストラピットがある。また、演劇の様子を収録、本格的なビデオ編集室まである。企画の立案からスタッフからキャストまですべて高校生でこなす。演劇は外部の人も鑑賞可能、開演日、ホワイエには生徒の父兄が手作りした各国のフードが並ぶ。
すべてが若い感性をブラッシュアップする為にある。
これから数10年、何千人あるいは、何万人の人がこの劇場を使い、演じ、演奏し、鑑賞し、そして数多くの感動が産まれる事だろう。
層の厚い演劇人がここから産まれるのだ。
追記 先日、私の友人が書いた本を読んだ。これはイタリアの日常が肌感覚でわかるすごく楽しい本だ。その中でもイタリア人の音楽好きなことについて書かれてあり、イタリアの夏は街中が音楽に包まれる。
街を歩けばどこからともなく音楽が聞こえてくるし、家にいても窓から音楽が聞こえてきます。日常的に音楽に親しんでいるのがイタリア人の生活なのです。(中略)
イタリアでは小さな劇場から大きな劇場まで、こうした劇場がたくさんあります。ヴェローナにアレーナ(円形劇場)のようなおおきが野外劇場にあるし、街中の道端でオペラを演じている人もいます。劇場に入らなくても毎日どこからか歌が聞こえてきます。教会の鐘の音があり、歌があり、街全体が音楽で溢れています。日常の中に音楽が溶けこんでいるのがイタリアです。
生まれたところの生活環境が日本と諸外国ではこんなにも違うという事実をまずは認識することが大事ではないだろうか?
アメリカンスクールの劇場を設計してから数十年が経過した。設計時はきわめて稚拙な知識しか持ち合わせていなかった。恥ずかしい限りである。
今日、改めてこの文章を書き、この本に出会うことがなかったらこういうカルチャーの大きな違いに気づくことはできなかったと思う。
下手をすると一生気づくことなしに過ごしていたかも知れない。
設計する時は「知らないこと」を「見つけだす」目を養う必要がある。
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