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文トレDAY34 2-アルバイトと新天地

推薦入学の時に推薦状を書いてもらった恩はあったのだが、私はその会社を大学4回生の時に退職する。

学業に専念ではなかった。いろんな人との付き合いが広がり、
会社外の外の世界に飛び出して行きたくなったのだ。
その大学は、不思議な決まりことがあって取得単位が100単位を超えると学費が半額のなる。
まるで閉店10分前のスーパーの生鮮食品のような話だ。(たとえ話が主婦ですね)
というわけで、4年目、卒論だけ途中で「棄権」110単位だけとって「卒業」できない状態にした。
5年目、いままで経験したようなことのない、いろんなアルバイトをして一般の学生のように学生生活を楽しもうと決めた。
そこでいろんなことをしたことは、すでに文トレDAY33で書いた。
思えば、人生で輝いていた時期の一つにはいるシーズンだと思う。
このシーズンを大学時代とでも命名しておこう。

さて、卒業。
就職といっても正直、リアリティが全くわかなかった。退職したあと、職業安定所に行き、失業保険金をもらっていたので「就職」の実感がわかなかった。

5年目は、アルバイトをしまくった。ちょっと書いてみる。
▪️企画書の作成アルバイト
これは、おもしろかった、事業計画の企画をまとめ書類にする仕事。事業計画に必要な本を購入してまとめる。そのとき、今のパーソナルトレーニングの計画に似たような提案書もつくったり。ネットで今ある、駅のへの検索のアイデアもだした。
▪️建築金物設計アルバイト
建築金物を納める会社で図面を書くバイト、スチール製の手すりや、階段などの図面を描き、溶接工場の職人さんに説明して作ってもらう仕事。たまに工事現場に行き、施工の確認や、採寸をした。
▪️電気図面設計アルバイト
電子工学部だったので、電子回路はある程度わかったが、電気回路は少しハードルが高かった。何事も勉強、勉強。なぜか深夜に図面をかいていた記憶がある。後でわかったのだが、ここの社長さんが、日航機123便で命をお落とす。
▪️スキーツアー添乗員アルバイト
会社が土日休みで、スキーが3度の飯より好きな人はこのバイトをしてみるといい。5年目、スキーツアーを学生友達と企画したのでここの社長さんとはよく話していました。渡邊くん、添乗員のバイトやってくれへん。
と言われ、あちこちのスキー場に行ってました。
この時、同じく社会人でバイトしていた。Mさんと知り合いになる。彼の仕事は大手のエレベーターメーカーの営業職、私のような技術畑の人間とは接点がない、今までであったことのない、仕事面における「キレ」の良さは、私を「営業」の世界のトリコにするものだった。そういう人になりたい!私は、Mさんから人生の変換点をもらった。
▪️新地の営業のアルバイト
いまでこそ、インターネットで情報が得られ、お店の予約システムが確立している。そのころの走りといえば走りなのだが、今ここで書くのも恥ずかしくなりそうな情報端末IPポストのIP(情報提供者)を集める仕事。
話をショートカットすると、広告営業をなぜかバイトがバイトを仕切るはめになる。営業経験は、前に書いた自分でやってるミニコミ誌の広告営業だけである。頼れる人もいない。企画は数日で撃沈。一件の成約もとれなかった。1日数十件お店を訪問して分かったことがある。なるほど、「そういう理由だと広告はださないなぁ」と真理を得たのがこのアルバイトの成果か?この話はまた別の機会にノートに書きたいと思う。
▪️設計事務所のアルバイト
建築設計事務所はそれこそ、星の数ほどあるが、このバイトは一風変わっていた。建築の計画をする事務所、クライアントは、行政が多い、たとえば、山を切り開いて土地を造成した場合、造成にかかる費用と宅地の販売の金額がバランスすれば事業として成立する、その計算をしたり、まちづくりのための基礎データーを集めたりする。学生のアルバイトが率先して調査の計画を立てたりする、私も和歌山の駅前の流動する人や車の調査に協力した。
アルバイトだけど主体的に動くことを求めらる職場の環境は非常に良い刺激を感じた。
ほかには、イベントの案内係、テレホンアポインター、など。
リアルに接客をするような仕事、ウェイター、飲食関係は、苦手なので応募もしていない。

改めて書いてあるアルバイトの数に驚く。さまざまな場面でさまざまな仕事をし、さまざまな人と出会い、そして知り合いがたくさんできた。私の仕事の選択肢のこの時期に大幅に拡張した。

私が一番、印象に残ったのは、スキーツアーのアルバイトで知り合いになった、Mさんの存在だ。「こんな人のようになってみたい。」
どういう人なのか?具体的に書いてみたいのだが、もやもやして言語化できない。(時間が経てば書けるかもしれないのでここで無理に考えないことにする。私の場合、考えすぎると脱線してしまう)

そこで、私は、営業職の求人が出ている会社に応募する。
初めて自分の好きで選択した新天地だ。

その会社は、OA機器の販売会社、アプリケーションソフトの販売もおこなっていた。クライアントは、さまざまな事業所。
ここでの話は、次回のNOTEで。















人生はたった一つのことで大きく道が変わる。永遠に「もし」を続けるなら

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