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白井球審に対する炎上案件

白井アンパイアが自身のジャッジに対して不服な表情と発言をした佐々木朗希投手に対して詰め寄っていったワンシーン

東京スポーツより転載

このシーンが今非常に問題になっている。

審判が選手に対してキレるのはどうなっているのか?
佐々木朗希がこれを機にリズムを崩して悪化してしまった
18歳の松川に止められている44歳ってどうなん?

そんなことから、いろんな著名人にもコメントを求められ、過去の審判委員の人間からのコメントだったり、過去の試合を引き合いに出して批判を浴びせる。

この世間からの批判や誹謗中傷がすぎると考える。
なぜこいう事態に発展して、そして同調を産んでいくのか、特に日本人の同調には恐怖を覚えることがある。

もちろんジャッジだけを見たらストライクを取ってもおかしくないボールであったろうし、それで三振バッターアウトで回が終わっていたかもしれない。
盗塁のランナーに気を取られていて、そして低め、もしくは外に外れるだろうと判断を早めてストライクになるはずがないということが念頭にあったかもしれない。

勝負の世界で、一球の大切さはわかるし、それだけ真剣にやっているなか、なぜ人々は批判をするのだろうか?
果たしてこの白井アンパイアは真剣にやっていなかったのだろうか?

ここに関しては、間違いなく真剣にやっていない
などという人はいないであろう。

ではキレてしまうことが問題だったのか?
なぜキレてしまうような事態にまで発展してしまったのか?

あくまで仮説として、そして肯定的でも否定的でもなく平等に見ていく。
先にも書いたように盗塁の場面で主審の頭には盗塁のためキャッチャーの動きを気にしなくてはならなかったり、通常であれば、ボールに外すピッチャーもいることから、バイアスがかかっていたのかもしれない。
本人の中で実は少し際どかったかもしれないという思いがあったのではないか。
それを佐々木朗希がモロに指差して不平を言ってきたことに対して、感情的になってしまって、若いピッチャーであることから、生意気な!となってしまったのかもしれない。
これは人として褒められたことではないし、お世辞にも良い行いであるとは言えない。

だからと言って大人が!恥ずかしい!って非難することはもってのほかである。

これが違うピッチャーであれば、ここまで大きな問題になっていなかったかもしれないが、ここまで多くの批判を浴びる結果になったのは紛れもなくピッチャーが佐々木朗希であったからであろう。

批判する人間、嘲笑う人間、過去のミスジャッジを探し出してYoutubeに上げてこれはひどいと炎上を加速させる人々。

仮にこの件でひどく落ち込んでしまい、病んでしまい、死にいたるなんてことがあったとした時に、一挙になって批判していた人々はどうなるのだろうか??
プロだから批判されて当たり前?
審判がたった一つにミスで、そして感情的になってしまったことが悪いのか?

誹謗中傷が実際に死に結びついていくケースが山ほどある中で、一時的な感情に影響されて、面白おかしく非難する。
よっぽどそういう人間の方がやっていることが汚い。人間として人を非難できる立場にない。

ただもっと怖いのは同調だけして、それを知らんふりする、火に油を注ぐだけ注いで、火事になったら見て見ぬ振りして逃げる人々だ。
これが今の日本を取り巻く現状であると感じる。
非常にやるせ無い気持ちになっている。

この件を機にやはり考えるのは、いかに目の前のことにジャッジせずに反応することができるのかということであろうと思う。
もし仮にこの事件が、白井アンパイアにとって改善を促すような素敵な機会になるのであれば、それは非常にポジティブに捉えられるだろうが、間違いなく言い方や伝え方ということ、メディアはそう言ったことも気にしなくてはならないだろう。
本気でそういうことをしようと考えている人は安易にコメントなんかできないはずである。

目の前に起きた事象に対して、完全試合をした日本野球界の至宝が虐められている!助けなきゃ!審判を批判だ!!!となって同調して炎上。
そうした勝手な個人のジャッジが結果的に同調をうみ、目眩く広がっていく。
それも、あーなんて酷いんだ!という勝手なジャッジをもとに。

個人の勝手なジャッジが人を苦しめる、ちょっとしたことが大きくなってしまって取り返しがつかなくなってしまうという典型的なところであろう。

少しでもこうして、冷静に判断できる人、非難に対してニュートラルに見る目を養うということができる世の中になってほしいばかりである。



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