見出し画像

自分の名前を英語で正しく発音できなかったわたしはいま、ドイツに住んでいる

以前からわたしの記事を読んでくださっている方、初めましての方、この記事を読みにきていただきありがとうございます。

ドイツ語が話せないと言いつつ、ドイツで暮らす理由なぜドイツに来たのか、ドイツに来る前は何をしていたのか、とわたしについての話を今回は少し書かせていただければと思います。
もちろん人生で起こった全てのことは書ききれないけど、今後、海外に出たいと思っている方、日本や他の国で住んでいる方、自分の現状に変化を与えたいと思っている方の参考、または力になれれば嬉しいです。


自分の名前を英語で正しく発音できますか

わたしの「海外へ出たい」という気持ちは遡れば、たぶん高校生の頃に初めて訪れたオーストラリアでの経験が大きなきっかけだと思う。

わたしが通っていたのは、大阪にある公立の高校。英語が好きという理由と私立の高校には通いたくないと思っていた中学生の頃のわたしは英語科(英語に特化したコース)のある高校に進学。
当時、中学時代に塾に通っていたということもあり、偏差値もまあまあ高い高校に入学することができた。

メルボルンの学校と姉妹校提携があり、高校2年の頃に初めての海外としてオーストラリアを訪れた。
そのプログラムに参加できるのは事前のテストや面接に合格した人だけということもあり、当時のわたしとしては英語力やコミュニケーション力には少し自信があったことを少し覚えている。

2週間ほどの滞在で、ホームステイをして姉妹校先の学校に通い、現地の生活を経験しつつ、英語を実践で使う・学ぶ、というプログラム。
友達もできたし、毎日楽しかったし、英語をもっと好きになったこのオーストラリア滞在。
でも、楽しい思い出だけだったら、その後のわたしの人生は大きく変わっていたかもしれない

なぜこのオーストラリア滞在が今後のわたしの英語を学びたい、海外に出たい、という強い気持ちに変わっていったのかといえば、自分の名前の発音が英語で正しくできないことで、現地の学生たちにからかわれ、泣いた経験があったから。

わたしの名前は日本ではよく聞く名前だと思う。
特に自分の名前について、意識したことのなかったわたしは、このオーストラリアでの体験をきっかけに自分の名前を意識するようになる。

「ふうか」は英語で言う(書く)と、「Fuka」になる。
英語学習をしたことのある人ならわかるかもしれないが、「F」の発音と「H」の発音は英語では全く異なる音。
日本語には「F」の音はないから、日本人はわたしの名前を「H」の発音で呼ぶ。当時、自分の名前の発音を意識していなかったわたしも「H」だったり、「F」だったりと正しく自分の名前を発音していなかったのだろう。

「F」の発音が「H」になれば、英単語の意味が変わることがある。ただでさえ、「F」で始まる英単語にあまりいいものがないのに、わたしの名前は「F」で始まる。

でも、この経験がきっかけでわたしはもっと英語を勉強したい、と思うようになる。
からかわれたって、英語で言い返せるようになりたい、英語でも自分の気持ちや考えをもっと上手に伝えれるようになりたい、と思い、大学生になったら長期留学すると決意する。

英語は自分の可能性を広げる手段の一つ

海外にまた出る、という決意をしてからその後、大学3回生の頃に派遣留学として10ヶ月間アメリカへ。
アメリカ留学時代の話はまた書く機会があれば、と思うが実際は留学というより”遊学”だった。この留学をかっこつけたり、美化する必要はないから正直に遊学だったと認める。
でも、遊学だったからこそ、アメリカにいる間にもたくさん旅をした。

そんなわたしは、今度は「旅」に目覚めた
。 

アメリカから帰ってきて、就職活動らしい活動もせず、入社先を決め、また旅に出た。

行動力があると言われるが、実際、一人では何もできなかったわたしが「旅」の楽しさを知る。
それと同時に、英語を話せること、理解できることが情報収集において、旅だけに限らず、とても効果的で、生産性が高いことだと実感する

英語を話せるだけで、世界中に友達ができる。
世界中に友達ができると、彼らが住んでいる国に行こうとまた旅への好奇心が生まれる。

好奇心は自分の世界を広げてくれる


その好奇心が社会人になってからのわたしをまた突き動かした。


日本を出たい、ただそれだけだった

大学を卒業後、バリバリ働けるベンチャーの海外旅行会社に入社して、キテレツな新入社員研修(帆船航海)を経て、3年間そこで働いた。
毎年、海外研修としていろんな国を訪れて、休暇には、また旅に出た。
担当方面(国)が決められて、1年目はビーチ担当として、モルディブやニューカレドニア、ハネムーンで行くような国を訪れた。
2・3年目はアジア担当として、シンガポールやマレーシア、ベトナム、スリランカなどアジアの国をたくさん訪れた。

海外はわたしにとって、刺激やインスピレーションをもらえるだけでなく、”わたしがわたしらしくいられる世界”だった。


転職して、また新しい職場で、新しい課題に向き合い、人に出逢い、毎日を過ごしていた。


日本が嫌いだったわけじゃない。
でも、日本という国や日本人の習慣、当たり前に違和感を持つことが多かった。
わたしはここにいたいわけじゃない、日本を出たい、と心の片隅にそんな思いがずっとあった。

それから社会人5年目の夏、会社を辞めた

出勤最終日の1週間後には、オーストラリア・メルボルンに立っていた。

海外にいることはゴールじゃない

ワーホリを悪く言う人もいる。学生を終えて、社会人になってからでも学生気分が抜けない若者と思われていたかもしれない。
また会社辞めるのか、続かないね、と思われていたかもしれない。

でも、わたしの人生はわたしのもの

確かに、両親には心配ばかりをかけているとは思う。(今でも)
「30歳になったら落ち着いてね」と心配性な母には言われ続けてきたのに、30歳になった今もわたしは好きに生きている。
(そんなわたしを理解して、支えてくれて、応援してくれている家族には感謝しかない)

オーストラリアでワーホリをして、わたしの人生における大切な、たくさんの経験や出逢いをした。
オーストラリアでの約2年間は本当にかけがえのない時間になった。
楽しいことなんて誰もが想像できるだろう。
でも、それだけじゃない、人の冷たさも体験したし、一人でできると思っていたこともできないと知った。
自分の決断で来たと思った海外も、たくさんの人に励まされ、応援してもらっていることを改めて知った。

8ヶ月間、ロードトリップをして車で寝て、キャンプをしてヒッピー生活をした。メルボルンから北上してケアンズよりも北のデインツリーまで車で旅をした。



コロナが起きて、当たり前が一瞬で当たり前じゃなくなることを実感した。

世界は冷たいし、温かいことを知った。

オーストラリアで、彼と出会った。
コロナが起きて、わたしたち二人の絆が深まり、未来に繋がった


そして今、わたしはドイツにいる


オーストラリアから帰国して、3ヶ月間、日本に滞在した。
彼との遠距離恋愛が大変になることを予想していたのもあるが、日本に長くいる予感はしていなかった。
その3ヶ月間は、アルバイトを掛け持ちして働きまくった。アルバイトといえど、自分がやってみたかった職業に挑戦した。
正社員じゃなかったから、新しい分野に挑戦しようと思えたのかもしれない。
日本は家族、友達がいる場所。それでも、わたしはやっぱり海外にいる自分の方が容易に想像できる
日本の外にいる自分の方が、自分らしいと確信しているから。


ドイツ語に苦戦して、言語の壁にまた悩まされている。
それでもドイツに来ること自体は何も怖くなかった。
日本にずっといることの方がわたしには怖いのかもしれない。

ドイツに来た理由が、愛のため、と言うと笑う人もいるかもしれない。
でも結局、人生における一つ一つのきっかけなんてそんな大それたことの方が少ないと思う。
何かを決断する時に、大きな理由をつけたがるのは、後になって言い訳をしたくないからだと思う。


ドイツに住んでみて、いまのところは居心地はいい。
確かになんで英語じゃなくてドイツ語なの、とはいまでも思うけど、それでもこの国をいますぐ出たいとは思っていない。
でもやっぱりわたしは英語を聞くのも話すのも好きだからいずれはまた英語圏の国に住みたい。


わたしは成功体験よりも失敗体験からの方が自分に喝を入れれるタイプのようだ。
母にもよく、「ふうかはしんどい方ばっかりにいくね」と冗談混じりで言われていたがその性格はいまも継続しているみたいだ。

英語で自分の名前を上手に発音できなかった経験がいまのわたしに繋がっていると思うと、これからする失敗体験がどんな未来に繋がるのか楽しみだ。










ありがとうございます! サポートをいただいた際には、新しい人生経験のために使わせていただきます♪ 経験は人生の糧!何事もポジティブに、前向きに・・・:)