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芸術の必要性

私は今日凄くいいことがあった。

言葉が体の奥底から湧き出るように溢れる。
私は絵の才能も、音楽の才能も無いからただ自分の知っている言葉で表現するしかこの感動や美しさを表現する術が無い。

だから私は今感じているこの美しさを言葉で綴る。

何かを美しいと思うこと。
そして表現すること。

自分なりの表現方法で。

それは私にとって、私がこの世界にいる、あるいはいた事を表現する術のひとつなのだと思う。

美しいものを観て、胸打たれる音楽を聴いた時のこの感情は私の持ちうる全ての言葉を持ってしても適切に、的確に表現することは出来ないかもしれないけれど、でも今出来ることをしたい。


誰の目に留まるかも分からないこの言葉は私があとから読んで今の感情を甦らせるためのただの保険でしかない。

でもこの気持ちを忘れてしまうには惜しすぎる。

心が軽やかに弾む。
口角が少し上がる。

乗りなれた電車でさえ少し、ほんの少し色が濃い気がする。

今にも歌い出してしまいそう
でも、この気持ちを声に出して外に出してしまうのすら惜しい。

春の夜風の生ぬるさに
これほどに心を動かされるとは。

さて、自己満はここまでにして。
芸術とはなぜ必要なのか。

心が充足している人にはきっと芸術は必要ない。

この世の全てに、自分の全てに、何もかも全て満足している人には芸術は要らない。

この世の何かに、自分のどこかに、何かしらの不満や満ち足りていない感覚がある人に芸術は必要なのだと思う。

音楽でも、映画でも、絵画でも、なんでもいい。

心が動く、胸が踊る、何かを感じること。

それは心になにかの隙間がないと、不満がどこかにないとできないことだと思う。

全てに満足している人
そんな人は世界にきっと居ない。

だからこそ芸術は死なない。

何かを創作すること
それは誰かの心を動かす、そんな瞬間のためにもあるのかもしれない。

でも私は自分のために言葉を書き溜めていたい。

私が私であるために。

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