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高校生の時にたまたま知って選択したことが今につながってる

過去の選択が良かったのか悪かったのかを判断できるのは、
「いまの自分が過去の選択や経験をどう生かしているか?」
であり、周りの評価でなく自分自身がどう思っているのかだと思います。

いまの自分は中小企業診断士の仕事を生業にしてますが、色々な選択をしてきました。
独立してると大なり小なり選択したことが、後々のことにつながります。
そのなかでも大きな分岐点だったと思うのは、高校生の時の自分が選んだ道だったと思います。

偶然に「経理」の道を知り選択した高校生

「将来なんの仕事をしようか?」
と考えていた高校3年生の秋。

地元の県立高校に通っていましたが、お世辞にも勉強ができるとは言えない状況でした。
高校には部活をするためだけに通ってたと言ってもいいくらい勉強をしておらず、受験勉強も形だけしながらダラダラと過ごしていました。
入学の時には上位25%だった学力(この辺からして中途半端ですが)も、勉強が早々についていけなくなり、だからと言って努力するわけでもなく、卒業するころには下から数えるのが早いんじゃないか?というダメっぷり。

「今さら好きでもない勉強もやりたくないし、家の家計を考えると浪人することもできないし、どうしようかなぁ」
「大学もどうせいけないし、普通の会社に就職すると”営業”するんやろなぁ、人見知りやし嫌やなぁ」
といった感じです。

学歴じゃなく実力主義になると言われていたあの頃

高校に通っていたころは今から30年くらい前になりますが、当時はバブルもはじけて就職難がニュースになっていたころです。
ただ周りの大人の雰囲気も
「今が不景気でよかったね。大学卒業するころには景気が良くなってるはずだよ」
的な楽観した感じでした。
まさかその後、さらに就職難になり、「失われた30年」「氷河期世代」「ロストジェネレーション」などと呼ばれる世代になるになることも知らず・・・

記憶をたどると、「日本的経営はダメで、これからは学歴じゃなく実力主義になる。」的なことも言われ始め、成果主義が導入するやしないやの頃だったと思います。

学歴が依然として重視されて(ひょっとしたら昔より?)いますが、一方でリストラや倒産なども当たり前のようになってきました。
そういった意味で「自分で自分を守るしかない」のは、当たったのかもしれません。

たまたま廊下で呼び止められる

ある秋の晴れた放課後、友人と廊下を歩いていました。
すると突然先生に呼び止められ
「いま専門学校の担当の人が学校案内に来ているけど、誰もいないのでとりあえず聞いてみてくれないか?」
と言われました。

先生からしたら、聞いてくれる生徒を誰でもいいから確保したかったのか、はたまた、おバカな生徒の進路の選択肢を増やすために声をかけたのか。
どちらにせよ、このことが自分の人生に大きな影響を与えることとなります。

その学校は今はすでにないのですが地元の経理の専門学校。
一応、神戸では歴史のある学校らしい…。

面倒だなと思いつつ、とりあえず指定された場所へ向かい、担当の人の話を聴くこととなりました。
指定された場所へ行くと誰もおらず、私と友人の二人。
ほぼマンツーマンに近い説明が始まりました。

根が素直で単純なのか、担当者の話がうまいのか、学校の説明を聞いた後にはすっかり
「なんか経理ってできると会社全体を知れるんかぁ。経営ってところに近いからええんちゃうかなぁ」
「学費も私立の大学より少し安いし、3年間コースがあるんか。なんかちょうどええかも」
「簿記ができると手に職が付くんか」
などとその気になっていました。

親を説得

その日から、受験の戦略として

・とりあえずの推薦入試はスポーツでの加点がある大学を受験
・一般入試は、体育大学2つしか受験しない。
・不合格の場合は専門学校に進学。

と決め、親の説得にかかりました。

実際には、そこまでずば抜けた部活の成績(まぐれで1回だけ近畿大会に出場)でもなく、体育大学は「多少は運動もできるし(いまにして思えばその小さな世界しか知らないから)、普通の大学に行くよりかは面白い選択だろう」的な考えでした。

うちは両親とも中卒(母は理容・美容師の専門学校)で、特に母親は学歴がない事で夫婦ともども相当苦労をした経験からか、子供にはなんとか大学には行ってほしかったようです。

だんだんと世の中の不景気も強くなりつつあり、

「浪人してもたいした大学には行けない」
「英語だけはどれだけやってもできる気がしない。家のお金がないのはわかっているから予備校もいかない」
「浪人してお金使うよりも、専門学校なら3年で終わる。大学に行かせたと思ってお金を出してください」
「しかも家から近いので、下宿もしなくていいし交通費も安い」
「就職に強い学校で、就職率も100%らしい」
「税理士を目指すから」
「簿記とかの資格を取得して何か手に職付けているほうが、これからの世の中何かと有利だ」
「おかんも美容師と理容師の資格を持って手に職付けてるやん」

などと並びたてるうちに、はじめは専門学校へ行くことを渋っていた母親もだんだんとその気になり、将来の進路が決定しました。
ちなみに父親は全く子供の進路には口を出してきませんでした。
「やりたいようにやればいい」
現在親となった自分は、父親と同じ行動がとれるのか自信がありません・・・

勉強しなかったツケは後で必ず払わされる

ちなみに大学の推薦入試は、あと1マークで合格だったと言われ惜しかったようです。
ですが特に行きたかった学部でもなく、いま振り返ると、行かなくて良かったなと思います。
仮に合格してたら、専門学校には通わず確実に大学生になってましたので。

そして年が明け、センター試験を受験した翌々日の早朝1995年1月17日に、阪神淡路大震災に見舞われます。

地震の爪痕残る三宮にある専門学校で(近くのビルは倒壊してましたが、学校自体は無事でホント良かったです)簡単な試験と面接を行いました。

体育大学も一般はそれなりに勉強ができないと合格できませんので、案の定不合格でした。

そのため、専門学校から無事「合格通知」を受け取ることができ、なんだかんだとホッとしたことを覚えています。

受験勉強をしなかったツケを専門学校で払う

専門学校に入学してからは、来る日も来る日も朝から夕方まで簿記の勉強でした。
高卒で税理士の受験資格は短大卒業か、日商簿記1級か全経簿記上級の取得です。

「大学生が2ヵ月も夏休みあるのに、自分たちは10日しかないんかぁ」
と思ってました。

みんなが受験勉強しているときにダラダラして勉強してなかったツケですね。

なかなか簿記1級に合格できず、焦る

デキのいい同級生は次々と簿記1級を合格していきますが、自分はなかなか到達しません。
「あと少し」と言うところですが、さすがにこのままだとヤバいと焦り、2年生の途中からは授業が終わってバイトに行くまでの時間、先生にお願いして補習をしてもらいました。
今考えると、他にも自分の仕事があっただろうに付き合ってくれた先生には感謝です。

完全に高校時代に勉強をしてなかったツケを払ってます。

そのおかげもあってか何とか2年の冬に、全経簿記上級を取ることができました。(日商1級でないところがまた何とも・・・)

税理士ではなく、一般の会社で働くことを目指す

「税理士を目指す」などと言いながら、全経簿記上級を合格した段階で税理士を目指すことは諦めました。

理由は、その時から勉強しても税理士の科目合格に間に合わないこと。
またやってみて思ったのは、簿記のセンスがそこまでなく、到底税理士試験に合格できる能力は無いなとわかったこと。
また、簿記や税務に興味があるのではなくて、そもそも事業会社の経営に興味があったこと。
ちなみに1番デキてた同級生は、その後税理士5科目を取得して、現在は当社の税務申告をやってくれてます。

世の中が完全に不景気モードながらも、学校の長年の歴史と様々な中小企業への就職あっせん実績のおかげもあり(確か私の卒業した時でもほぼ100%だったような)、3年生の6月には早々と内定をもらうことができました。

そして、その会社へ就職したことが中小企業診断士を知るきっかけとなります。
その後2回の転職を経て結果として中小企業診断士へとつながりました。

簿記を知ったおかげで、財務会計が得意な中小企業診断士となる

現在は、財務会計を得意とする中小企業診断士として活動をしています。
簿記が得意だったおかげで、1次試験も2次試験もそんなに勉強をせずともいい点が取れました。
おかげで全体の底上げもできるし、他の科目へ勉強する時間を割けました。

合格して知ったことですが、意外なことに、財務会計が得意な診断士は少ないです。
そのことはとてもラッキーで、自分は他の人に無い強みを持つことができ、現在活かすことができています。

あの時、廊下で声をかけられなかったら?

きっと、会社員としてもうまくいかず、中小企業診断士にもなれていなかった、と。

#あの選択をしたから

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