57.変わらない自分のクセ
私はどうやら頑張り屋さんらしい。
え?別に普通だけどな…。
でも、人にはそう映っている。
振り返ってみると
【頑張っていないといけない】
というのは子どもの頃からしみついているかもしれない。
頑張っていない自分はダメだ的な…。
すべて自分。
すべて自己責任。
人に迷惑はかけない。
という家庭で育ち、早々から自立していたように思う。
優秀な2人の兄をもち、おてんばな私は【私はどうせバカだし…】とよくすねたり、泣くのを我慢したりもしていた。
すねてないでもっとがんばりなさいよ!
もっともっとって母に励まされたっけ。
できないのはがんばりがたりないだけって。
今はできないもんはしょうがないさって派だけどね。w
この家は、私の意見なんて通らないって思うこともあったっけ。
今もめちゃくちゃ優しい兄たちだが、幼い頃は、1番上の兄と母の意見が絶対の家だった。
でもいつも仕事で遅くなる父だけは違った。
むしろ私にだけ甘かった。
よく散歩にも2人ででかけた。
救われていた。
まぁまぁ母と兄が厳しいこともあり、
【頑張っていない自分がダメなんだ】
いつしかそうおもうようになっていった。
勝手な被害妄想だけど。
それと同時に
【がんばる自分を好き】になった。
自分ががんばればなんとかなる。
そう思って生きてきた。
がむしゃらに頑張ってきた記憶もないが、そこそこ真面目に勉強もした。
少し頑張ったら頑張っただけのことはあった。
そして運も良い私はのらりくらりしていたが、地方公務員として幼稚園教諭となる。
幼稚園で働くようになり、終わりのない教育現場に足を突っ込んだ。
それが【頑張り】に更なる拍車をかけた。
早く一人前の先生になりたくてがむしゃらに働いた。やることは山積み。休日も頭の中がオフにはならなかった。
私は人に頼ることも苦手だ。
頼ること=ダメなこと
とさえ思っていた。
【人に迷惑をかけてはいけない】
【あたりまえ】
これも散々言われて育った。
今考えると、結構厳しい家で育ったんだなと我ながら思う。w
それでも家族が大好きで、特に食事の時間はとても大好きだった。
みんな話が止まらず、いつも大笑いしていた。
幼い頃、土日は決まって夕飯のあと、家族揃ってカードゲームやトランプなどして果物を食べたっけ。
家族で過ごす楽しい時間もあったためか、家族のことは今でも大好きだ。
ぐれるわけでもなく、親に言われたことに逆らわない、いわば、真面目な子ども時代を過ごした。
ただ、争い事や、ケンカ、言い合いになるくらいなら身を引く方が楽。という技はものごころついた頃にはあった。
「何がいい?」と聞かれても、「何でもいい」といつも相手に決めてもらうことが多かった。
自分の意見を伝えたところで相手がきにいらなかったら通らないし、相手と意見が違うくらいなら初めから意見言わなくてよくない?
いつしか自分の本当の気持ちを伝えなくてもべつにいいやと思うようになった。
まだどうなるかさえもわからないのにあきらめたり、きっとそうに違いないと思い込みが強い傾向もあったりして、今もまだそんな想いがたまに見え隠れしている。
子育ても、子どものために良いことはどんどん吸収して実践した。
育休中も、のんびりすればいいものの、せかせかと動き回っていた気がする。
ボーっとしていたらダメな気がする…
そんな想いがやはりまだまだ残っていて動いていないと、何かにとりくんでいないと、むしろ忙しくしていないと自分がダメなんじゃないかと自分を追い込むクセがあるのかもしれない。
全身蕁麻疹を経験し、自分に優しく生きようとのんびりしてきた。
頑張ってもどうにもならないこともある経験もした。
生きるとは、一切皆苦だったとやけに納得した日もあった。
あれから5年以上たつ…。
自分は変わったと思い込んでいたが、また私の悪い癖が騒ぎ出している(笑)
人って変わらんなぁ。
のんびり生きよう、無理のないように。
自分を大切にしよう。
今の自分で大丈夫。
頑張らない自分でも大丈夫。
そう自分につぶやく今日この頃です。
最後まで読んでくださりありがとうございました!
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