名前の無い色
昔から絵を描いたり、
ものをつくったり、
想像したり、
創造することがとても好きだった。
オリジナルのイラストを描いたり、
漫画を描いたり、
お裁縫したり、
洋服のリメイクをしたり、
読み終わった大量のなかよし(月刊誌)
を捨てるにあたり
そのまま捨てるのはもったいないな
と、それを組み上げて
ガムテープでぐるぐる巻き付け、
なぜか肘掛け付きの1人用ソファーを
つくったこともあった。
子供の発想力と行動力は恐ろしい。
絵を描いたり、
なにかをつくっている時、
完成するまでのあいだ
どこか宇宙にトリップしているみたいで
あたまのなかが静かになるのが好きだった。
まさに、夢中。
自分の中にある言葉にならないものを吐きだして、
かたちにするのが気持ちよかったし
そうやって生まれたものを
誰よりもいちばんだと認めて欲しかった。
わかって欲しかった。
思春期。
高校生の頃、
とんでもない人に出会った。
人生には、運命の出会いってやつが
本当にたくさんあるものだが、
その中でも、とても影響を受けた人。
福井利佐さん。
その年の良かった
ミュージックビデオ作品に賞を送る式典で
メインビジュアルを描いていた方だった。
ドラムを叩く女性の写真の上に
黒いラインで描かれたライオン。
ドラムスティックからは、音の波が広がっている。
初めてこのビジュアルを見た時、
あまりの力強さと繊細さと新鮮さに目を奪われた。
衝撃が走った。
パソコンなどのグラフィックデザインとは
違う気がして、
どうしても誰がこれをつくったのか知りたくて
すぐに主催の窓口に問い合わせたところ
"切り絵作家の福井利佐さんです。"
との答えが返ってきた。
切り絵?
切り絵ってあのモチモチの木とかの?
紙を切る?
自分が想像もしていなかったところから
ボールが飛んできて、あまり理解出来なかった。
それくらい、私の中にあった切り絵のイメージとは
一線を画す作品をつくる方だった。
例の如く、
創作意欲だけは一人前だったので、
迸る熱だけ持て余し
部活の文化祭での飾りつけの時に
無我夢中、見様見真似で切り絵をしてみたら
時間をかけすぎだ と怒られた。
それ以来、
自分で切り絵をすることはほとんどなかったけれど
相変わらず福井さんの切り絵が大好きだった。
ある時、福井さんの個展と
同時にワークショップが開催されることになった。
福井さんの地元、静岡。
個展も見たかったし、
どうしても参加してみたかった。
夜行バスで朝一に辿り着き、
携帯のマップで調べながら会場の美術館に向かう。
集合時間少し前に着いたが、
それらしき人や場所がない。
間違えた。
なんと、程近くにもうひとつ美術館がある。
しまった。
間に合え、間に合え と念じながら
出せる限りのスピードで走って
会場の部屋の扉を開けると、
心配そうな顔で「大丈夫ですか?」と訊ねる
福井さんの顔があった。
とても美人で優しそうな女性だった。
恥ずかしさと、息苦しさと、
これまた作品の印象を覆すような
柔和な出で立ちに思わず見惚れ、
「会場を間違えてしまって...」
と、しどろもどろに言うと
優しくほほ笑んで席を案内してくれた。
会場には子供からご年配の方
初心者や経験者など幅広い参加者がいた。
まずは切り絵の基礎
カッターナイフの持ち方や、
必ず切る対象の絵は
線がすべて繋がっていなくてはいけないことなどを
教えてもらい、簡単な課題を切った。
少しはやったことがあったので、
ここは難なくクリア出来た。
その日のメイン課題は、
自分の名前の漢字一文字を使った
オリジナルの切り絵作品をつくること。
辞書を引いたりして、
その文字が持つ意味やイメージを切り絵にする。
誰よりもこだわり抜き、
この会場の誰よりもいちばんになりたかった。
思春期、再燃。
各テーブルをアドバイスしながらまわる福井さんには
恥ずかしくてちっとも話しかけられず、
黙々とつくり続けた。
時間内に終われなくて、悔しい想いのまま
それぞれの作品の講評へ。
中途半端で恥ずかしいものを晒しながらも、
まだどこか負けたくない気持ちが残っていた。
(ワークショップって、
たぶんそういうところじゃない)
どきどきしながら自分の作品の講評を待っていた。
きっと、みんなの良いところを平等に褒めて
コメントしてくれていたのだと思うけど、
私の番になり、
「残すところと、切り抜くところのバランスが
とても良いですね。結構難しいんですよ。」
と言ってくださった。
私はもう完全にこの一言で舞い上がった。
調子に乗った。
残って仕上げて良いと言われたので
最後の一人になるまで
しっかりと完成させ、
福井さんの元に見せに行くと
優しくまた褒めてくれた。
この日の体験が私を駆り立て、
切り絵作品をつくり始めるきっかけになった。
切り絵は、普通の絵と違って
切り抜くか残すか、そのふたつしかない。
グラデーションがない。
そこが自分の中にないもので、はっきりしていて
とても好きだ。
地道にこつこつと、
しかし徐々にはっきりと、
完成が、終わりが見えてくる。
この手法もとても自分自身にぴったりだった。
切り絵をやり始めて、
ものをつくる上で感じていた
誰よりもいちばんになりたい。
という欲求が初めて満たされた気がした。
もちろん、私よりうまい人はいくらでもいて
こういう表現が出来るのか
と、悔しい気持ちになることはいくらでもある。
だけど、自分がつくったものを
自分がいちばん良いと思えるし、いちばん好きだ。
切り絵に出会って初めてようやく
自分で自分のことを認めることができたのだ。
そして、今まで言葉にして伝え切れなかった気持ちを
溢れる感情を
この表現を通して、かたちにして伝えることが
出来るようになった。
切り絵と出会えて本当に良かった。
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