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ペルーで波乗り⑤〜クスコ、ドキドキ編中編(強いて言えばハイキング)〜

昏睡状態になるという副作用を喰らったイエスタデイから朝が明けて、翌朝6時。何とかちゃんと起きれました。
いよいよマチュピチュへ行きます。ドキドキ。

今日はまた別のガイドの人が来て、車でオリャイタイタイボ(オリャンタイタンボ)駅まで連れて行ってくれます。ここからビスタドームという展望列車に乗って、マチュピチュの麓まで向かいます。

少し待ちましたが、無事列車に乗れました。こ綺麗な感じで雰囲気よし。
席は4人ごとに分かれており、2人が向かい合う形でした。私と後輩が隣り同士で、向かいはブラジル人のお姉さんとアメリカ人のおじさんでした。
ブラジル人のお姉さんは感じが良かったのですが(オブリガード💓)、アメリカ人のおじさんがやや曲者でした。

一応、3時間程度の旅路を向かい合った状態で共に過ごすので、軽く挨拶をしたのですが、なぜかスペイン語が話せるかと聞いてきて、私が学校で何年か習ったけど全然ですねーと答えた瞬間から猛烈にスペイン語で話しかけてきました。

だから、全然なんだってば!
(高校3年間履修したにも関わらず、大学の初級コースを落第)

挨拶くらいは返したと思いますが、私が頑なに英語で話し続けたのでようやく英語に戻ってくれました。
でも英語に戻ってからの会話もなかなか曲者で、アメリカのどこに住んでいたんだと聞くのでケンタッキーと答えたら鼻で笑われます。

いやまあね、実はこれ、アメリカに住んでた時にも、あったんです。
ケンタッキーって、めちゃくちゃ田舎で白人主義者の州みたいなイメージがアメリカ人の中であるみたいで、アメリカに住んでいた時に国内旅行した際に一緒になった別の旅行者(アメリカ人)に同様に笑われたのを覚えています。

おじさんは、日本人でそんなところに住んでいたら大変だったろう、差別とかもあったんじゃない?と続けます。それ自体がケンタッキー州の人達への差別発言だろう、、と思いつつ適当に流してようやくおじさんの会話から解放されました。

おじさんはさておき、展望列車(ビスタドーム)について話すと、列車の席(2人ずつ向かい合っている4人席)にはテーブルもついていて、テーブルクロスが南米感のある柄で可愛かったです。窓が大きく、外の景色が楽しめて(天窓もあり)、途中で軽食もサーブされました。

(やや失礼なおじさんと可愛いテーブルクロス)

3時間の列車旅を経て、マチュピチュ村駅に到着。

さて。
ここまで昏睡症状に悩まされる以外は非常に順調に旅を進めていた私達でしたが、ここから暫くの間、辛い時間が続きました。

マチュピチュ村駅に着いたら、また別のツアーガイドが迎えに来てくれるはずだったのですが、待てど暮らせど現れません。
しょうがないので、ツアー会社へ電話をし、ガイドと落ち合えていないことを伝えます。
すると、ベロニカというガイドが迎えに行くはずだから確認するとの説明。電話を切って暫くすると、到底ベロニカ(女性名)であるとは思えない、痩せたおっちゃんが話しかけてきました。

後輩も私も警戒心マックスです。
迷える観光客をだまくらかそうとしてるのではないか、、おっちゃんにめっちゃ怪訝な目線を向けました。(こういう時、女じゃなかったらここまで警戒しなくて済むのにな、と世の不条理を呪います。)

ただ、おっちゃんは結局、私達をどこに連れて行くでもなく、あっちに並ばなくちゃいけないんだ、と手で示して、あそこで並んだ後にベロニカに会えるみたいなことを言うので、私と後輩は意を決して示された方へ行きました。

すると、そこには超・超・超・長蛇の列。

人がここまで並んでいるので、これがマチュピチュへ向かう列なのだという安心感は得つつ、その長さに目眩がします。
そもそも、ガイドに会えないよ〜の下りから、おっちゃんを信じてここに来るまでも相当長い時間を要しているのです。こっから更に待つのか。。

チケットも持っているのにこんなに並ぶってそもそもシステムがおかしいだろー!と言ってもどうにもならないので、大人しく列に並びます。

列に並んで暫くしたら、後輩が頭痛がする、高山病だと言い出しました。正直、絶対雰囲気にやられてるというか、病は気からの代表例な気しかしませんでしたが、本人が辛いと言っているので列から外れて座れるところに行くよう勧めました。
ちなみにマチュピチュはシーレボー(sea level)2,430m。

(長蛇の列)

(高山病発症中の後輩)

(実は長蛇の列の中に1人で並んでいる私)

長い行列の始発点まで、永遠の時を経てようやく辿り着きます。
この列は、ここからマチュピチュ遺跡までのバスに乗る為の列でした。いよいよ列の最前になり、スタッフの人にチケット確認して貰うと、なぜかここに来てチケットの日付が違うというアクシデント。
スタッフの人はまあいいよ、と乗せてくれるような素振りだったのですが、別のスタッフが出てきて、念のために日付変えてきてあげるよ!と私たちのチケットを持ってどこかへ消えて行きました。
そして帰ってこない。
目の前で何台もバスを見送ります。
もういい加減、待てない、と次のバスに乗れるように交渉しようと後輩と話した矢先、さっきのスタッフが笑顔で帰ってきました。

ありがとうーという気持ちと、日付違っても問題なかった気しかしないという気持ちが1:9でしたが、お礼を言ってようやくバスに乗りました。

ここまで長かった。。

バスは遺跡に向かって山を登ります。初めは外の景色を見ていましたが、またしても2人は昏睡。LAに続き、南米のバスでも懲りずに昏睡。本当に何もなくて良かったです。

目を覚ますと、マチュピチュ遺跡に入る受付エリアに着いていました。
ようやく、ベロニカと対面。

とりあえず良かった。
我々の他に日本人夫婦がいました。この夫妻を駅でピックアップして、私達のことを忘れて置いて行ってしまったらしいです。一緒に遺跡に入ります。

ベロニカさん、日本語が達者で、遺跡のことを色々と説明してくれます。写真のポーズ指南もします。

(何度かポーズ修正後、疲れてなすがままの我々の精一杯の笑顔)

遺跡の説明は色々あったけど、まだまだこの遺跡は明かされてない部分がたくさん残っているという話が印象に残りました。
まだ遺跡が続いてるのは分かっているけど、資金、労力などの問題で開拓されていないそう。
こんなに有名な遺跡でもそういうことがあるんですね。

(紅白歌合戦の司会者みたいな私とベロニカさん)

一通り遺跡を巡った後、遺跡の入り口まで戻ります。
そこで日本人夫妻とはバイバイし、ベロニカさんが私たちだけに何やら説明を始めました。

まず、荷物を預けるロッカーはあちらです、ということ。

私と後輩はそれを聞いた瞬間、心の中で同時に叫びました。

それ、、、、最初に言ってよ!!!!!!!
と。

リマの先輩宅にスーツケースは置いて行ってますが、クスコ〜マチュピチュ〜リマに帰るまでの2泊3日分の荷物を背負ったまま、マチュピチュ村駅で待ちぼうけ→超•長蛇の列を並び(後輩は高山病にかかり)→遺跡を巡っており、この時点で体力自慢の私もかなり疲弊。

疲れすぎて、さっさとすぐそこに見えているカフェ的なところに入って休みたいのですが、ベロニカさんが延々と、この道を行くと1時間でナントカ遺跡に着いて、帰り道は1時間半かかるみたいな説明をしてきます。
メインの遺跡の周りに更なる遺跡スポットが幾つかあるようなのですが、何故か全て、帰るのにかかる時間が行くのにかかる時間の1.5倍でした。
突っ込む余裕もなく、早く終わらせたかった私は食い気味で頷くことが精一杯。

(早く解放して欲しくて説明を大人しく聞く私。後輩は話を聞かずにこの写真を撮っている。)

終いにはベロニカさんに我々の顔色が悪い、医務室はあちらと言われます。
単に私たちは疲れているだけなので、医務室案内とかより早く解放してくれと内心叫びながら、大丈夫です、と言ってようやく解放されました。

往復2時間半の道なんて絶対無理なので、カフェで一息ついて、さっさと帰りのバスに乗り込みます。(実はここもまあまあ並んだ。)

このエピソード、思ったより長くなってしまいました。この旅の記録も次の投稿でラストです。