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とるのは自分のキゲンだけでいい

「人は他人のキゲン取っちゃいけないよ。
キゲンが悪いのは『その人の問題』で
あなたの問題じゃないから。


『自分の課題』か『相手の課題』か
見極めて線を引くの。

相手の問題なのに
自分の問題だと思いこんで、
『どうにかしてあげなきゃ』
ってならないようにね。


フキゲンを撒き散らすことで
誰かに構ってもらえたら、その人は
『自分がフキゲンを撒き散らせば
思いどおりになるんだ!!よし!!!』
って学習して、どんどんつけあがるんだよ。

怒鳴って喚いてフキゲンになって、
あなたと周りをコントロールしようとするよ。


だからほっとくの。成功体験を与えない。
赤ちゃんじゃないんだからさ、
怒っててもフキゲンでもほっときな。
自分のキゲンは自分でとるものだよ」


ああ、わたし
ずっと母のゴキゲンをとってきたんだな。
と、今さら氣づいた。


そして、氣づけたことに、
安堵した。
「知ったこと」で、これから
「自分の思考と行動」を変えていける。
「母をほっとくこと」に
罪悪感を感じなくていいんだ、って
ようやくわかった。
それにしてもわたし、今までずっと
罪悪感を感じてたんだなぁ。
「このあたしをフキゲンにさせたあんたが悪い!!!」
って幼少期から理不尽にずーっと怒鳴られてたから、ああわたしが悪いんだ、って思いこんだ。

ほかの誰からもフォローがなかったし、
それどころか
「きみは本当にどんくさいね」と
父からも追い打ちをかけられていたから。
家庭内には、
ほかに3人もおとながいたけれど、
誰一人わたしの味方をする者はいなかった。

というそんな過酷な環境で、
よく生き延びたな、と我ながら思う。


わたし、生きてて
本当にえらい。

最近のベクトルはこのへん📚


「自分を大切にしましょう。
たとえば温泉に行くとか、
おいしいものを食べるとか。
ちょっとおいしいコーヒーを飲むとか」


というような文章を
各所で散々読んできたけれど
実は「そうする」自分にも、
罪悪感を持っていました。
だから最初のころは、
数百円の日帰り温泉に行くのさえも
どきどきしてた。
何にも悪いことなんてないのに。


今、思うのは、たかがそんなことにも
母親のゴキゲンをうかがってたし、
誰に目撃されて、それを告げ口されて
母親から何ぞ言われるんじゃないか、
って何をするにも常に思ってたから
生きてるだけで針の筵だし
何をするにも躊躇うし、
生きてるだけで常に緊張状態だったんだな〜
ということ。


緊張をゆるめて、もう少しラク〜に
自分のゴキゲンを取っていこ〜と思った。

亀のペース。超絶スモールステップ。
それでも、少しずつ進んでいる。

わたし、生きてる。

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