見出し画像

クランクアップのその日まで

理不尽な人や、不誠実な人など
なんともモヤッとする人たち。

彼らは自分の人生において
「悪役をやってくれているだけ」
という内容の記事に深く頷いた。


自己愛性人格障害、ナルシシストなど
攻撃的なひとたちさえも
わたしが監督・脚本・演出・主演のドラマで、「悪役」をかってでてくれているのだ。
シナリオは自分で決めて生まれてきていて、
地球でそのストーリーを実体験することで
わたしの魂は磨かれて成長する。
魂のレベル上げにひと役もふた役もかって出てくれているというわけだ。
ステルス(敵避け)を唱えている場合ではない。
「ありがとう」と自然に口から出た。


とはいえ今のわたしは
カウンセリングを受け初めて間もない時期で、
情緒が荒れ狂っている。
一日のあいだで同じ人に対し、
「滅べばいい」と「ありがとう」
という相反する感情が交互に湧いてくるなど
しっかり揺さぶられているところ。
カウンセリングを受けるまで凪いでいた水面が、
今や「餌を求めてどこからともなく集まってきた鯉が一斉にバチャバチャしていて何か怖い」
状態で、自分でも戦々恐々としている。


「自己愛性人格障害の人たちは
あんなにも他人を巻き込んで
感情という名のうんこを投げつけてきて
周りに不快な思いをさせているのだから、
次からは人間に生まれてこないでほしい。
未来永劫、虫の階層で輪廻転生すればいい」

などと、底意地の悪いことがよぎったかと思えば、誰かの前向きな文章を読んで
「最優秀助演賞と理不尽大賞受賞おめでとう!あのときの理不尽すぎるアドリブ、最高に素晴らしかったです!!名演技でした!!」
と、きれいな水に触れたときと同じような
清々しい氣持ちになったりもする。
この美しい水に触れたことを忘れてしまったとき、わたしはまた彼らに対して
「小蝿になれ」
ぐらいは思いそうでひどく落ちこむ。
鬱である。


カウンセリングで受けた心理テストの結果は
うつ傾向強、アダルトチルドレン、
不安障害、愛着障害、過緊張、
回避性パーソナリティ障害

とのことだった。
医療機関ではないので「診断」ではないものの
概ねこんな傾向です、とのことだった。
結果を知らされたとき我がことながら、
「生きづらさの見本市か」と笑いがこみ上げた。
散々な結果を目の前に声を出して笑ったが、
向かいに座るカウンセラーは一切笑っておらず、真顔で見守られていた。
あ、と氣づいた。
そうか。わたしはつらいときや嫌なときに、反射的に笑うんだ。
愛着障害や回避性パーソナリティ障害などにおける「回避」の傾向、アダルトチルドレンでいう「ピエロ」の性質が出た瞬間だった。
(わたしはロストワン、プラケーターが強いんだけど)


幼少期から悲しいときに悲しむことを許されなかった。感情がたかぶったり、思いを伝えようとすると泣きそうになり、その瞬間
「うるせー!!!泣くな!!!!」と自己愛性人格障害の母親から散々怒鳴られてきたのだった。(まだ泣いてないのに)
だからつらいとき、悲惨なとき、困ったとき、
わたしは「ははは」と
心なく笑うことが癖になっている。
漫画ONE PIECEのワノ国編で
「笑う」ことしかできない彼らのことを思い出す。あの町の人たちと、わたしは同じなのだ。
おじいちゃんおばあちゃんっ子だったわたしは、祖父母の葬式でも、ついぞ泣くことはなかった。


蓋をして、無視して感じないようにしてきた自分の感情のミルフィーユの層を一枚ずつようやくめくり始めた。
これから過去を探っていって
自分の深い失望や悲しみを見つけたら、
きちんと感じて終わらせていく。
今まで見ないように、無かったことのように
ごまかして、言い聞かせて、
自分の感情を感じることを否定してスルーしてきたから、
積もり積もって「オクサレ様」のようなヘドロ状態になってしまっているのだ。
これから、自分の思考や反応の癖に氣づいていく必要がある。
認知することで変えてゆけるだろう。
奴隷(生贄・サンドバッグ)の役割から脱して
自己肯定感と、適切な自尊心を養うことが目標だ。


「嫌な奴はわたしのドラマのただの悪役」
という言葉はひとまず、
お守りのように胸にそっとしまっておく。
「ラスボス」のクランクアップのときには監督兼主演として
「悪役素晴らしかったです!最高でした!おかげで楽しかったです!ありがとうございました!」と、泣いて、笑って花を贈りたい。
「虫やのうてまた人間に生まれたらええがな」と、晴れやかな氣持ちで
「ラスボス」の旅立ちを見送れるように。


🎬💐

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?