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「あの〜すいません」

「知らん人からよう話しかけられる。
旅先でも、初めて行く駅でも道訊かれる」


というのを、
かつて勤務していた会社での休憩中、
同僚に話したことがあった。
他愛もない話の流れだったように思う。


後日、その同僚と出かけることになった。


片道約2時間の他県まで、共に電車に揺られた。
電車を降りた駅は都会の私鉄発着駅。
平日だったけれど人はたくさんいた。


「とりあえず地上行きましょか」
という同僚と連れ立って地下から地上への階段をのぼり切り、横断歩道の赤信号で立ち止まった瞬間だった。


「あの〜すいません」
と女性に話しかけられた。


「サーティ◯ンアイスってどこですかね?」
携帯片手に焦った様子。待ち合わせだろうか。
わたしも土地勘のない場所だったので、周りに何があるかは把握していない。
「サーティワ◯……」と見渡すと、
横断歩道の向こう側にピンクの看板を見つけた。
「あ。アレですね!」と指を差した。


「ああ!ありがとうございますー!!!」


ものの数秒の出来事であった。
と、同時に信号が青に変わった。
さあ横断歩道を渡ろうぞ、と
同僚を見やると肩を震わせて笑いながら、
「ほんまに道訊かれるんや……!」
と、珍獣でも見るような目でこちらを見ていた。


「え?前に話したやん。わたし出かけるたびにこうやって」
「うんごめん話盛ってるなーと思ってた」
「平常じゃい」
「いやすごいわ。立ち止まった瞬間やん。他にも人いっぱいいてたのにねー。
道訊かれるなんて10年に1回あるかないかやわ」



話しかけたら聞いてくれそうなやつ、に
見えるのかもしれない。
少なくともいけずそうには見えていないということで安心する。いけずそうな人に道は訊ねないだろう。知らんけど。
わたしは道を訊かれることには慣れてはいる。
何しろ小学生の頃からそうだったからだ。
しかし、明らかに不審な男からつきまとわれることもあり、氣持ちのわるい何かを纏っている人は全力でスルーする。
なんというか、クサイのだ。
最近は「お守り」に鏡を身につけるようになり、
「変な人」対策も万全で過ごしている。


お守りのことはこちらから📖


先日、都会へ出かけた。
行きの電車、乗り換えのホームで電車を待っているとおばあちゃんが寄ってきた。
百貨店までの道を訊かれた。
同じ日、目的を終えて帰るときには今度は別の駅の改札で外国人から呼び止められ
「デラレナイ😭」と切符を見せられ、助けを求められた。最近は都会の駅の改札でも駅員さんがいないことが多いらしい。乗り越し精算機に案内して操作を見守ると「アリガト」と深々とお辞儀された。


カウンセリングを受けるために街に出ては
「あの〜すいません」と道を訊ねられ、
それに応えることにより
「ニンゲンコワイ」
という思いこみの枷から抜け出そうとしている。
「ありがとう」と言われて
じわりとあたたかい氣持ちになり、
「そうか、自分も誰かに助けを求めていいんだった」という、
本当に何でもないことを思い出したりもする。


 
「孤独」はいいけど「孤立」はするな。


宇宙から、そう言われているような氣がした。
どれだけ人間に不信感を抱いても
決してわたしが社会から「孤立」しないように
かみさまや宇宙存在が、

「もし、そこの。あの存在感の薄い女に道を訊いてやってはくれまいか」

などと采配してくれているのだとしたら、
感謝しかない。(皆さんありがとう)


「あの〜すいません」

という遠慮がちな声に
わたしは今日も、ふと立ち止まる。



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