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するべきことと、したいこと

皆さんはふだん暮らしていて、

”あぁ、○○しなきゃ”

や、

”○○したいなぁ”

と思うことってありますか??

この、やりたいという気持ちとやらなきゃという気持ち、似ているようで結構違いますよね。
しなきゃと思う気持ちはどこか急がされているようで、したいなぁと思うことはすぐに行動に移したり、もしくは心の中で温めてしまっておいたり。

私、昔は一日オフの日があると、いつもあれしたい、これしたい、とTo do リストに書き出したやりたいことを全力でやっていました。
ナチュロパシーの勉強していた時もかなり活発で、少しでも時間ができるとビーチに行ったり少し離れた場所へ食べ歩きに行ったり。

つい最近ふと気がついたのが、休みの日に家から出なくなったということ。

一日中家でボケ〜っと過ごすことなんてしょっちゅう。
おうち時間、大好きです。じっくり時間をかけて煮込み料理なんて作っちゃったり。

だけど何故か休みの日になると、とりあえず起きて身支度して家から出なきゃ!と思うのです。


今日は特に予定もなく、朝からずっと雨で晩御飯の買い出しも不要。
さらに先週立て続けに運動をしたせいか全身筋肉痛、体が疲れていていて口角炎までできてしまっている始末。せっかくの機会なので家でゆっくり本でも読んだり掃除やストレッチでもして養生して過ごすのがきっとベストだ。

ベストだとわかっていて、さらにそれをできる環境があるも関わらず、

”あぁ、1日に一度は外に出なきゃ”となるのです。

今日なんか2回も靴まで履き玄関を出ようとしたのに引き戻しました。笑

そして、この呪縛はどこからくるのだろうかとふと思ったのです。
いったいいつからこう思うようになったのだろうか、と。


自分では家にいればお金を使うこともないし、身体を休めることも大切だと思っている。

あぁ、そうか、この呪縛をかけていたのは他人軸で生きていた影響なんだとやっと気がつきました。



休む=怠けている


そう聞かされて育った人はきっと多いのではないでしょうか。

私もいつもどこか生き急いでいるところがあり、常に何かしていないといけない!と追われるのがデフォルトになっていました。
そして今でこそ休むことは大切とされているけれど、少し前までは休むことがいけないことという価値観を植え付けられてしまっていました。

でも体力がなく私の中で人より休息が必要な自分への罪悪感から、きっと一日中パジャマで過ごさずに外に出なさい!と言う自分の意思とは違う価値観が出来上がっていたのです。


特にここ数年は自分がヒューマンデザインのプロジェクターだと知ってからは、特に意識して休息時間を取るように大切にしています。
マニフェスターやジェネレーターの人たちと自分を比べてしまい苦しんでいるプロジェクター、きっと多いのではないかと思います。

でも、なかなか休む許可を自分に出すの難しいですよね…!


自分とは違う価値観が大多数の意見と一致し、それが自分へ投げかけられた時に、同調圧力によって自分の中での生きる軸が自分軸(○○したい)から他人軸(○○しなきゃ)へと流されてしまうのです。

こうあるべきだ、そうであるべきた、ではなく、これがしたい、あぁしたいを大切にしていきたい。
これって他人をはかる物差しとしてもとっても重要。
人の言動に対してこうあるべきだ!なんでこの人はあぁなんだ!と文句を言うよりも、彼、彼女にこうされて自分はこう思った、こう感じた、と言う自分軸を意識することはとても大事です。


自分のやりたいことがあり、自分の価値観がしっかりとしていれば、たとえそれが今の世の中の大多数と意見が反していたとしても、もしかしたらいつかあなたのその意見が主流になったりするかもしれない。

あぁ、私も知らず知らずのうちに自分軸で生きていなかったなと改めて実感しました。ほんの少しの勇気を持って自分の価値観と共に踏み出そうと改めて思います。

くるくると変わる他人軸での生き方なんてアテにならない。
来月には常識が変わってるかも!?

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