取り憑かれたように感想を綴る日々。悩みの種は、私の力でもあったということ。【海のセレンディピティ】
お久し振りになってしまいました。
発熱からのハードなお仕事で
体力勝負の毎日を送っておりました。
(無理に声出しちゃって、声出なくなっちやったよー)
あと少しで楽しみな旅行が待っているので
早く治さねば!
前回まで続いた怒涛の感想文
驚かれた方もいらっしゃるかもしれません。
すてきな感想を読んで
「私も書いてみよう」って書き始めたら
止まらなくなりました。
お付き合いくださった方
ありがとうございました…!
↓ これまでの感想
私は「感じる量」が多くって
これまでそれが悩みの種でもありました。
良いものに出会った時が特にそうで。
参加した講座がとっても良くて
思いの丈を感想で送ると
「情熱的ですね」と引かれたり(笑)
(今では笑い話ですが、かなりショックでした)
(その講師の方が大好きだったからね)
ライブやミュージカルを観に行って
一緒に行った人とあれこれ語りたいのに
同じ熱量(しゃべる量)ではないことが
寂しくなったり。
「よかったね!」という思いは同じなのに
「どこが」よかったか、になると語り合えない。
正直に話すと引かれてしまう(笑)
だからといって
「よかったね!」で終わると消化不良で…
だからいつでも感想は
自分しか見ないノートの中だけでした。
人の目に留まるところに置くには
迷惑だって思ってたんだよね。
だから今回、noteに感想を書くことは
タブーへの挑戦でもありました。
「感じていること」には形がなく
それを「言葉」という形にしていくのは
なかなか難しい作業です。
その言葉に触れた時の感触や空気感
身体への響き方を
ひとつひとつ確かめながらの作業です。
全部で6つ、感想としてはやっぱり多いけれど
(ほら、実際見たの最終回だけだから 笑)
すごくいい練習になりました。
でも、一番の練習になったのは
「言葉にすること」ではなくて
「感じたことを信頼すること」だったのだと
書き終えて気付きました。
私の感じたことは「なし」ではなく
「あり」としていい
「あり」として伝えていい。
ひとつ書き上げて投稿するたびに
それをゆるしていく練習でもあったのです。
奇しくもそのドラマのタイトルは
「海のはじまり」でした。
海の点つなぎは、まだ続いていたのです。
↓「海の点つなぎ」の話
日々の中で気付いたこと
書きたいことは他にもたくさんあったのに
なぜか取り憑かれたように
感想を書き続けた日々。
なぜ今なのだろう
なんでこんなことしてるのだろう
そう思うこともありました。
でも今は
このためだったのだな、と分かります。
「感じたことを、そのまま表現するのは
人に見えるところに置くのは
周りにとって迷惑だ」
ずっと持っていたこの思いを
手放すためだったのだと。
感想を書き始めた時より
「書いても大丈夫」「出しても大丈夫」が
広がっている感じがしています。
そして改めて
「感じたことを言葉にすること」って
好きだな、楽しいなと
素直に思えるようになりました。
世の中いろんな人がいるんだから
短い文が好きな人もいれば
たくさん綴られていると
「わぁい!」と喜んじゃう私みたいな人も
もちろんいるよね ☺︎
好きな人に、求めている人に
届きますようにと願いながら
これからも書いていこうと思います。
(ますます長文になるかも?)
「感じたことを、表現すること」は
これからやってみたいな、と思っていることに
必要な、というかその核の部分みたいなことで
8月に命という土台を確かめた後
その命を使って何をしたいのか
その土台の上に何を乗せたいのか
そこを問うた答えが
この9月の海の学びだったのだろうな、と
今振り返って思います。
やっぱり私は
与えられた「たくさん感じる力」
「それを表現する力」を使って生きたい。
今までは
「人様に迷惑だ」とすら思っていたことが
「悩みの種だ」と思っていたことが
私の一番したいことで
一番の私の力なのだと。
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