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ドラマ「海のはじまり」を観て。「自分で決める」のその先にあるもの。

月9のドラマ「海のはじまり」を観ています

…と言うと、嘘になっちゃうなぁ。

海のはじまりの、感想を読んでいます。



昔はドラマ、好きだったけれど
めっきり見なくなりました。
ちょっと刺激が強すぎるのよね。
ほら、音楽とかで盛り上げるから。

でもドラマというか、物語自体は好きだから
あらすじとか誰かの書いた感想を
追っていくのが好きなのです。



それで今回、「海のはじまり」を。

↓ オフィシャルサイト


↓ あらすじ

月岡夏は大学時代、ふとしたきっかけで付き合うようになった同級生・南雲水季と幸せな日々を送っていました。しかし就職活動を迎えようとしていたある日、突然、彼女から別れを切り出され、そのまま別れることに。それから7年が経ち、新しい人生を歩んでいた夏は、大学時代の友人からの連絡で水季が亡くなったことを知ります。別れを告げられて以来一度も会っていなかったこともあり、水季の死に実感が湧かないまま葬儀へ向かう夏は、そこで出会った「海」という名の幼い女の子と出会います。その女の子が水季の子どもであることを知って夏は驚きを隠せません。そして彼女の母親から、自分が海の父親だと聞かされます。水季が、自分の知らないところで、自分との間にできた子どもを生み、何も言わずにその子どもを育てていたことを知った夏は、水季と海が過ごした7年という月日に思いをはせ…

「海のはじまり」オフィシャルサイト(少し編集)



いろんな感想を読んでいると
人によって全然違うのがおもしろい。

登場人物の誰に心を寄せているかで
見え方が全然違うのね。

誰を「かわいそう」と思い
誰を「ひどい」と思うか
それは誰の目線で見ているかで
全然違う。



そしてね、少し離れたところから見ていると
誰も悪くないの。

そういう背景なら、そういう環境なら

そうなってしまうよね
そう感じてしまうよね
そう言ってしまうよね

誰に対しても、そう思ってしまう。



誰に自分を投影するかで
このドラマの見え方は変わるだろうし
たったひとつの正解なんてない。

それぞれの感想のすべてが正解であるし
あとは好みの問題で。

(個人的な好みとしては一方的に誰がひどい!と
 責めているものはあまり好きでない)



いろんな人の感想を読んでいるうちに
私も感じたことを書きたくなってきてしまった。

(観てもいないのに 笑)
(だって素敵な感想・考察も多いのだもの)



秋の気配はあれども
まだまだ暑いね



このドラマの感想を読んでいると
「選択」がテーマだと書かれていることが
多いんです。

生きていると必ず何かしら起きるし
思うようにいくことばかりじゃない。

でもそこで
「自分で選ぶ」ということが大切だよ、と
何度も繰り返し伝えられているの。



「自分で選ぶ」って、むずかしいよね。

自分で選ぶって
「私はこうしたい」と選ぶということだけど

純粋な「私はこうしたい」という思いって
自分自身のことなのに
なかなか分からなかったりしませんか?



誰かのためを思ったり
誰かからこう思われたくないと思ったり

そこに「誰か」が絡まってしまうと
途端に見えなくなってしまう。



「あなたはどうしたいの?」
このドラマの中では
繰り返しそう問うような場面があるけれど

純粋に「自分のこうしたい」という思いを
なかなか見つけられずにみんな葛藤してる。

ドラマがすすんでいくにつれて
ひとり、またひとりと
「自分のこうしたい」を見つけていく。




自分の「本当の思い」に出会うって
それだけで何もかもが正解になる。

晴れやか(ばかりじゃないけど)に
葛藤の渦から卒業していく。

卒業した後は、結果はどうあれ
なんだか爽やかだ。
弥生ちゃんみたいにね。



まだ飲みものはアイスを選んでしまう…



これは自分の子育て観が
大きく入ってしまうのだけれど

このドラマのテーマは「選択」だけでなく
他にも伝えたいことがあるのではないかと
思うのです。



それは

「こどもはひとりでは育てられないよ」
「自分で決めるには、その先がある」

ということ。



『ワンオペ』という言葉が出てきてから
「ひとりで子育てをする」という形が
「それも可能なこと」としてしまったように
感じられてならないのです。

ワンオペしてる人もいるんだから
だから助けてもらうのは
努力が足りない、怠けてる、とかって。

助けを求められないどころか
「しんどい」と感じることさえ
罪悪感を感じてしまうような。



水季にしたって、夏にしたって
「助けたい」「支えたい」と思っている人
周りにいっぱいいるのよ。

助けることが犠牲ではなく
その人自身の喜びと感じるような人たちが。

なのになぜか頑なにその手を取らない。
「ひとりで頑張る」と。
それでは立ち行かなくなる不安を感じながら。



水季はなんで夏と育てようとしなかったの?
なぜ津野くんの手を取らなかったの?
夏はなぜ「2人で」にこだわるの?

水季も夏も「自分のこうしたい」に従って
「自分で決める」をしているのに
なぜか上手くいかない。



それは
「他人に影響を与えず
 自分だけで完結させようとするから」

だと思うんだよね。


うちの子は好奇心旺盛な上、アグレッシブだったので
いっぱいいっぱい助けてもらってました
じゃないと体力もたなかった…



「自分で決める」にはまず
「自分のこうしたい」を分かる必要があって
「自分はこうしたいです」と伝えるところまでは
このドラマに出てくる人たちはみんなしてる。

でも上手くいかない。

なぜなら
これにはもうひとつ先があるから。



それは

「自分はこうしたいです、だから助けてください」

なんだと思うの。



他人に影響を与えることは怖い。

それが相手にとって負担になりそうだったり
相手の人生をも変えてしまうことだったら尚更だ。

「相手を不幸にしてしまう」と思ってしまう。

だから、言えない。
「助けてください」と。
相手を大切に思っているあまりに。



でもさ、こうやってドラマを見ていると
分かるでしょう?

相手に与える影響って
悪いものばかりじゃない。
相手を幸せにする影響だってあるんだ。

「助けたい」と申し出る人たちは
助けることで、不幸になる?

「助ける」ということ自体が
その人のしあわせに直結してないだろうか。

津野くんだって、朱音さんだって
きっとそれは紛れもないしあわせだ。

例えそこに「大変」や「苦労」が
くっついてきたって。



妹と。とっても仲良しさん。
いろんな人にいっぱい助けてもらって
いっぱい可愛がってもらって
この子はいっぱいみんなを幸せにしてるよ。



水季がかたくなに「自分で選ぶ」をしてきたのは
「ひとりで育てる」をしてきたのは
母親の朱音の影響。

「こどもがいることで大変だった」という
朱音の言葉がずっと苦しかったから。



朱音もまた、間違えてしまったんだよね。

水季がいることで幸せと大変の両方があった。
子育てって、そうだよね。

でも、伝える先を、間違ってしまった。



「幸せ」は
水季に伝えなければならなかったんだよ。

「大変」は
周りに伝えなければならなかったんだよ。



周りに「大変だから、助けて」って言って
助けてもらって「幸せ」だと
周りに伝えればよかったんだよ。

水季には「あなたがいて大変」の方じゃなくて
「あなたがいて幸せ」の方を伝えればよかった。

反対にしちゃったんだよね。



そうしていれば
すべてが上手くいっていたのではないかって
思うんです。

(そしたらドラマにならないんだけどね 笑)



さて、来週で最終回。

夏くんはみんなに
「こうしたいです、助けてください」って
言えるかな?

言えるんじゃないかな。
それを伝えるための、ドラマな気がするから。



それが言えたら
出てくるみんなみんなが幸せになって
終わるんじゃないかなって思ってます。


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