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メルケル首相の政界引退と「倫理」

「環境思想倫理学」での問い

10月から大学の後期がスタートする。
昨年度から酪農学園大学で「環境思想倫理学」を担当している。
思想??倫理??だなんて、仰々しい科目を私なんかが担当していいのか…と思ったけれど、同時にかなり面白そうだなとニヤッとした。

環境問題に取り組む際、自然科学の知識や技術だけでは不十分だと思う。
自然や生きものに対する「畏敬の念」であったり、問題が起きている地域に住んでいる人たち、その環境で育まれてきた「風土」、命への思いやりといったことが重要だと感じている。このことこそ倫理だったり思想なのかもしれないが、あまりにも日常的に考えていたので、倫理とか思想といったものとして捉えていなかった。

ただ、講義を担当するとなれば感覚的に話をするわけにはいかない。環境倫理学や思想に関わる本や文献などにできるだけ目を通した(これが面白くて、最近は哲学書にまで手を伸ばし「思索沼」にハマってしまった)。
ともかく、「環境思想倫理学」を担当するにあたって、なにを受講生に考えてもらえればいいか自分なりに答えを出した。

「わたしたち人間が人間以外の生きものと、どう生きるのか」

という問いだ。
大き過ぎる問いではあるものの、根本はこれだと思う。この問いに、様々な思想や哲学を用いながら倫理的にアプローチするための材料を用意するのが私のお仕事だろうと理解した。

今期はどんな風に進めようかと、『未来の環境倫理学』(吉永明弘, 福永真弓 編著, 2018)を参考に開いた。

メルケル首相の倫理観にドイツの再統一の歴史?

2011年の東日本大震災によって起きた福島第一原子力発電所事故を受け、ドイツに設置された「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」について紹介されている部分に目が留まった。

この委員会が設置された当時、科学技術の使用にあたり、「倫理」について議論する場を国が設置する事実に驚いた。メンバー構成が多様なことにも感嘆した。原子力の専門家はもちろん、経済学者、社会学者、さらには哲学者、宗教関係者もいる。技術的な議論に偏りがちなテーマに、倫理的な側面での判断も欠かせないと考えるドイツが羨ましかった。

倫理委員会を設置したのは、メルケル政権。
その後、メルケル首相の言動に注目するようになった。彼女はいつも彼女の「倫理観」を大切にしているように見えた。大国のトップにも物おじせずに発言する姿は頼もしく、世界が平和に向かうためのリーダーシップを大いに発揮してくれていた。特に、コロナ禍において政府が決めた制限に対して、国民へ理解を求める言動には心を打たれた。

「次の点はしかしぜひお伝えしたい。こうした制約は、渡航や移動の自由が苦難の末に勝ち取られた権利であるという経験をしてきた私のような人間にとり、絶対的な必要性がなければ正当化し得ないものなのです。民主主義においては、決して安易に決めてはならず、決めるのであればあくまでも一時的なものにとどめるべきです。しかし今は、命を救うためには避けられないことなのです。」

ドイツは第二次大戦後、東西に分割され、往来が厳しく制限されていた。
メルケル首相はハンブルク生まれの東ドイツ育ち。東ドイツはソ連の占領地に共産主義国家として、西ドイツは英米仏の統治諸州に資本主義国家として成立、経済体制も思想も違う国として40年以上分断していた。
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐという理由があるとはいえ、往来の自由を制限するということは、冷戦時代に戻るような感覚をドイツの人たちに抱かせるのだろう。特に、言論や表現の自由を制限されていた東ドイツで育ったメルケル首相にとっては、苦しい判断だったと想像される。

ドイツ人に残る?東と西の感覚

2006年、わたしはオーストラリア西部のイチゴ農園にいた。
韓国人、ドイツ人、フランス人、アフガニスタン人、ジンバブエ人など多国籍な若者たちと一緒に働き、農場が用意した一軒家で共同生活をしていた。ドイツ人の男との子たちはいつも「オーストラリアのソーセージはまずい。美味いソーセージが食べたい!」とボヤいていたのがおかしかった。

夕方、農場での仕事が終わり、いつものように外のベランダで食事をしながら飲んでいた。すると一人のドイツ人の男の子が、「お前は東側の出身だろ。街なかでも、バスに乗る時でもいつでも、服も着ずに裸同然で暮らしてるんだよな!」と茶化すように、別のドイツ人の男の子に言った。「そんなわけないだろ」と彼は返した。「同じドイツでも東は貧乏だからな」とさらに笑いながら返す。

このやり取りに驚いた。
ベルリンの壁が崩壊し、ドイツが再統一されて15年以上が経っているにもかかわらず、未だに「東だ!西だ!」と自分たちを分ける感覚があるのかと。確かに彼らは東西に分かれていた頃のドイツを経験している。けれど、再統一を歓喜で迎えたはずなのに。しかも、西は東に対して差別意識があるのか。。。

ドイツ人の男の子たちを思い返し、メルケル首相が真剣に訴える意味がスッと理解できた気がした。ベルリンの壁が崩壊して約30年。ドイツではまだまだ多くの人が東と西が分断していた時のことを覚えているだろう。だとすれば、往来などの自由を制限することによって、苦しかったことを思い出すに違いない。そればかりでなく、他者への差別意識にも熱を加えてしまう可能性も否定できないのではないか。

リーダーシップに欠かせない素養

過去の出来事も考慮して、現状を打開するための政策を検討し、実行にあたっては人々の心情も推し量って丁寧に説明する。リーダーシップには欠かせない要素だと、メルケル首相を見て確信した。

メルケル首相は今日、9月26日の総選挙をもって政界を引退する。
この引退の要因となったのが、2015年のシリア内戦により100万人を超えるシリア難民を受け入れたことだと言われる。当時、ドイツ国内は多数の難民を受け入れたことで混乱し、メルケル政権の求心力は低下、極右勢力の台頭のきっかけになったという。

死に物狂いで逃げてきた人たちを受け入れないことは、彼女の倫理観が許さなかったのだろう。その思想が、コロナ禍でのメッセージに凝縮されているように感じる。

「私たちは、思いやりと理性を持って行動し、命を救っていくことを示していかなければなりません。例外なく全ての人、私たち一人ひとりが試されているのです。」(メルケル首相, 2020 3. 19)

他者のこと、他国のことを思いやれない排他的な世界、国、人々が、どうして「人間以外の存在とも共に生きよう」と考えることができるのだろうか。
すべての存在は関わり合って生きていて、かけがえのない存在であり、「命ある相手」であるということを改めて心に刻みたい。

ドイツのリーダーシップが維持されることを期待したい。

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