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2001年9月11日 - 世界の一部である私 -

2001年9月11日22時過ぎ。

夏はガスる(霧が出る)ことでお馴染みの、北海道厚岸町にある臨海実験所にいた。
実験所の学生だった私は、いつものようにお気楽な感じでネットサーフィンをしていた。
当時、実験所の学生は5人。
先輩が4人いて、わたしは一番下っ端だった。
晩ご飯は当番制でみんなで作って食べ、調査などで不在にしない限り、たいていの場合は夜中まで研究室に入り浸るという平和な日常を送っていた。

バタバタバタバタッ、ガチャ!!!

突然、研究室のドアが開いた。
「ちょっと大変!!テレビ!!飛行機がビルに突っ込んだ!」
と、慌てて1学年上の先輩が入ってきた。
「どうしました????」
「ちょっと来て、大変なことになってる!!!」
意味が分からず、テレビのある部屋へと引っ張られた。

「ニュース番組を見てたんだけどね、大変なことになってる。
見てよ、これ。
ニューヨークの高層ビルに旅客機が突っ込んだって。
そしたら2機目が来てさ。。。
1機目の別の角度の映像かと思ったんだけど、これ、2機目ってことだよね??」

明らかに先輩は混乱していた。
わたし自身、ニュース映像を見ても現実味がなかった。
画面の左上に表示されている【LIVE】という文字も嘘っぽかった。
高層ビルの上部が、黒煙と炎を吹き上げながら轟々と燃えている。
飛行機が突っ込んだと思われる辺りから、ハラハラと何かが止めどなく落ちていく。
それが何かを考えてはいけないような気がして、妙に冷静に映像を見続けた。
(のちに、壊れた建物の破片とともに、何人もの人が熱さなどに耐えられず飛び降りていたことを知る)

米国の、しかも、ニューヨークという都会のど真ん中。
突っ込んだのは一般の人を乗せた旅客機。
ペンタゴンでも同じことが起きたとか言ってる。
ペンタゴンって国防総省だよね。。まじか。。

どこかの国による攻撃?
強大な軍事力を誇る米国にこんなことして、ただで済むがわけない。
戦争。。。。?
イサザアミがどうした、アマモがどうした、などと生きものの事ばかり考えていて、地政学とか国際関係とかに疎かったわたしは、自分の知る限りの知識の中から冷戦時代のことを思い返していた。
これはまた、あの時代に感じていた薄暗さが世界を覆うのでは。。

「怖い。」
シンプルにそう思った。

あれから20年。
いまのアフガニスタン情勢に、居たたまれない気持ちになる。

冷戦時代は、多くの人が「国」という単位で敵や味方などを捉えていた。
けれど今はどうだろう。
「テロリスト」という漠然とした存在を敵とし、それぞれの「正義」を掲げて動いている。
20年前の米国での行為は「テロ」であるし、許されることではない。
ただ一方で、「テロリスト」という曖昧な存在に対して、武力に偏った解決手段を取ったことへの違和感はぬぐえずにいる。
歴史をたどれば、双方が双方にとっての「テロリスト」と言えるのでは。。

長年、アフガニスタンで活動を続けてこられた医療NGOペシャワール会の中村哲さんが、2001年10月13日に開催された「第153回国会 国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員会」に参考人として招致され、次のような発言をされています。
「本当にアフガニスタンの実情を知って話が進んでおるのだろうか、率直な意見を持つわけでございます。(中略)
やや刺激的な言葉でございますけれども、これは私は、このニューヨーク・テロ事件の蛮行というならば、現在進行しておるアフガニスタンへの空爆は蛮行と……(発言する者あり)それは違うというふうにおっしゃいますけれども、テロリスト、テロリズムの本質は何かと申しますと、これは、ある政治目的を達するために市民も何も巻き添えにしてやるということがテロリズムであれば、これは少なくとも、テロリズムとは言わないまでも、同じレベルの報復行為ではないかというふうに理解しております。(中略)
日本のテロ防止という場合に、やはり敵意を減らすということが一つの要件だと思うんですね。そういう意味では、力によって敵意が減るということはないわけで、恐怖は与えられても本当に人々の気持ちを解かすことはできない。私はそう信じますね。(中略)
建設的な事業に決して慌てなくていい、慌てなくていい。(中略)
本当に人の気持ちを変えるというのは、決して、先ほども申しましたように、武力ではない。」

時間が流れていくなかで、いろんなことが起こって、そこに悲喜こもごもがあって、今の世界が構成されている。
その世界を構成する一人ひとりは、限られた時間と、限られた空間の中で生きている。
私が言うまでもないけれど、世界は単純ではない。

20年前の今日、わたしが感じた衝撃は、わたしだけのものだ。
だからといって、それを世界の歴史とは別に語ることが可能だろうか。
一人でものを考え、自己完結していては、一面的な捉え方をしたり、二者択一を当然のように受け入れてしまいそうで怖い。

先日亡くなられた色川大吉さんは、著書「自分史ーその理念と試みー」(1992, 講談社学術文庫)のなかで、次のように記されている。

「人は自分の小さな知見と全体史とのあいだのおおきな齟齬(そご)に気づいてはじめて、歴史意識をみずからのものにする。」

自分の経験を感情も含めて、社会の出来事に重ね、共感があったり、違和感があったりしながら、世界の一部であることを意識することで、歴史をつくる「当事者」としての自分を発見できるのかもしれない。
それによって初めて、

どうして今のような世界になって、
今の世界はどんな風で、
この先どんな世界にしたいのか。

なんてことに、真剣に向き合えるんじゃないだろうか。
20年前の今日を振り返って。

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